つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

山口薫

2025年01月10日 | 山口薫展
昨日福井良之助展についての記事を書かせていただき、その後福井の雪景色の作品ばかりを画像で見ておりましたところ、今朝本当に名古屋にも雪が降ってびっくり!

余りの寒さにいつものラジオ体操もパス、雪は佐橋が大好きだったことを思い出してまた落ち込んでしまったので、このまま雪が降ったら布団に潜り込んだまま店もお休みさせていただこうかな??と甘いことを考えておりましたら、、出かけるころにはすっかり晴れてきて、慌てて身支度を始めました。

また義娘のMAHOが「お母さん、大丈夫ですか?」「雪の影響は地下鉄などないようです」など優しく連絡をくれたので、随分励まされて店に出てくることができました。

独りで自由になった部分も多く、慣れてくればそう悲しいこともありませんが、ふとしたことで、そう、ちょっと雪がちらついたことぐらいで、悲しみのスイッチが入ってしまうのは、生きている人間ならではの脆さかもしれません。








山口薫について、書かせていただくのは今日が最後になるだろうと思います。

雑誌の掲載のこともあり、随分長く作品をお預かりすることができました。
そして、みなさまには長い時間、薫作品についてのブログ記事でお付き合いをいただきました。

私が薫作品にここまで拘ったのは、全て「一人で佐橋美術店の営業を続ける」ことへの不安、うしろめたさからでした。山口薫展は佐橋美術店の卒業式と決めてこの一年半を過ごしてきた私には「これから」の決心がなかなかつきませんでした。佐橋と2人で仕事をさせていただいた佐橋美術店との本当の意味のお別れに時間がかかったという事だと思います。


そして、どこまでできるかは全くわかりませんが、皆様のお力をお借りしてもうしばらく店を続けさせていただきたい。山口薫作品とのお別れと福井良之助展の開催を前に、今はそう思えています。







あらためて、山口薫は1960年代の、他界までの8年ほどの作品があってこその画家だと感じています。

薫の生きるという事への苦悩、思想は、この晩年の作品たちによって実り、「生死」の境を超えて、というよりその境界線を薫は見事に融かして画家としての一生を終えたように思えます。マリモ、たわわの柿はその代表選手のような作品です。




歳を重ねていくということは、まさに「生死の境界線を溶かしてゆく」ことではないかとこの頃考えています。それは病や痴呆などの形で表現されるものかもしれません。
けれど、できるなら実感という経験を重ね、また精神の成長を諦めず、自分なりに納得できる信仰を得たい。その信仰によって生死を超えていきたい。

私にとってはその信仰とはおそらく、芸術であり、美であり、知るということだろうと想像しています。

あちら側もこちら側もなく、あの「つたの塀と鉄の門」はただ美しくそこにあるだけ。

そういつか思えるようになりたいと切に願っています。


仕事始めの一週間に、お便りばかりでなく、「近くまで来たから」「お正月に大塚美術館に行ってきたので」と短い時間にお顔をお見せくださったお客様がいらしてくださいました。大変嬉しく、心豊かな一年のはじまりとなりました。またブログにも沢山の皆様にお立ち寄りいただきました。まことにありがとうございました。



追伸
山口薫作品についてのホームページ、ブログの記事を順次削除させていただく予定でおります。ご了承のほど、お願い申し上げます。



















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