年が明けてからの4日間は、家から一歩も出ずに過ごしました。2日は、再度息子の家族が来てくれて楽しく過ごしましたが、あとはひたすらボーっとテレビを見て過ごしました。
ただ、昨日は少し佐橋の部屋の片付けをしました。
店の佐橋の机周りと、自宅の佐橋の部屋の片付けさえすませてしまえば、のちのち、私がショックを受けたり泣けてしまいそうなメモ書きなどが出てこないだろうと思ったからです。また、どこかに本当の佐橋の姿を探したいという気持ちがあるのだと思います。
夫婦というのは、幸せの記憶と同時に闘いの記憶も育みながら生活を共にするものだと思います。
相手を喪い、思い出の蓄積作業も止まってしまうと、不思議と幸せの記憶よりもその闘いの記憶が、残された者、つまり私を傷つけるのです。きっと幸せの記憶はあとから少しづつ私を癒してくれるのでしょう。
実際昨日も、部屋の片付けをした後かなり落ち込んでしまいました。
普通ここで、どこかへ出かけたり、誰かに連絡を取って気分転換を図るのでしょうけれど、今回いただいたお休み中は極力人と会わず
できるだけ自分の中に閉じこもってみようと思っていました。
けれど、たえて、たえて、鬱々になって、やっぱりだめかぁ〜、妹に電話しようか?となった時、携帯に着信がありました。義娘のお母様からでした。「ゆみちゃん?」「なっちゃん、どうしているかなと思って」この着信に全て救われました。
昨年の初夏から初めは両目を瞑って、それから片目を少しづつ開けて、今年は薄目であっても両目を開けるようにして、よく自分と周りを見渡してみようと思います。きっと長く両目を瞑った分、色々なものが見えてくるはずです。そして、また苦しくなったら目を瞑ってじっとしていればいい。
感じ方一つだということくらいわかっていても、体と心がそうさせてくれないのだから、じっとしているしか仕方ないのです。
それだけの深い縁を佐橋と名古屋に私は結んでしまったのです。
高山辰雄のブロンズ。
いかにも寂しそうに立ちながら、長い髪で自分を隠しうつむきながら、しっかりと何かを見つめ、考えている眼。
そこにこの作品の美しさがあると思います。そして、微笑んでいるようにも見えます。
人の孤独を知る高山辰雄という画家の魅力そのものだと思い、私は年末この作品と数日を過ごし心を落ちつけることができました。
すぐにまたお休みをいただきますが、明日から営業をさせていただきます。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
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