2009年12月12日(土)
関東百駅巡礼歩行、第60番の集合地は東武東上線の東松山駅。常
連メンバーのほか、『地図で歩く秩父路』(さきたま出版会発行)の著者
である、I さんも初参加された。
新装なった駅をバックに記念撮影をして、10時5分にスタートする。
東口から少し南に進んで東に向かう。御茶山町に入ると、屋内ゲートボ
ール場があった。ゲートボールは屋外でプレイするものと思っている人が
多いのか、違和感を感じた人もあったようだ。
隣接する神明小の横を北に向かい、東松山市ウオーキングセンターへ。
国内最大のウオーキング大会「日本スリーデーマーチ」開催都市ならで
はの施設である。
市内7コースのウオーキング地図や、比企地域ウオーキングマップなど
があったので、皆がもらう。
センター前を東に進み、市野川の橋を渡り吉見町に入る。橋のそばに、
「当選寺」という無住の寺がある。選挙に縁起がよい名なので、立候補者
がお参りに来るらしい。
寺の背後が、国史跡の松山城跡。市野川が形成した低地に突き出た
丘陵の東端に築かれた、北武蔵地方屈指の平山城だったという。
城郭としての体裁は15世紀半ばとみられ、天文から永禄年間に上杉、
武田、北条各氏の争奪戦になったとか。のち豊臣勢に攻められ、天正
18年(1590)に落城したという。
毎年、日本スリーデーマーチでそばを通るのだが、寄ったことはなかっ
た。西側から広葉樹林を上がると、本丸跡を中心に、小さいながら複雑な
城郭がよく残されている。
本丸跡からは、西側に東松山市街や奥武蔵の山並みなどが望まれた。
ところどころに残るモミジの紅葉を眺めながら、急斜面を北に下ると、
岩壁に挟まれた断がいに立つ懸崖(けんがい)造りの岩室観音がある。
松山城主が代々信仰していたが、松山城の攻防戦の際、兵火で焼失し、
現在のお堂は、江戸時代の寛文年間(1661~73)に再建したものと
いう。
観音堂を挟む岩室には、四国八十八か所の霊場の本尊を模した仏像が
祭られていた。
道路を挟んで北側にあるのが国史跡の吉見百穴(よしみひやくあな)。
たくさんの横穴は、古墳時代後期に死者を埋葬する墓穴として作られた
ものという。
ここも、毎年通過しているが初めて入る。横穴群を巡る遊歩道を上部
まで上がり一巡し、途中のベンチのところで昼食にした。
横穴群の中ほどに、地下軍需工場跡の開口部があり、入ると、直径3m
ほどの洞窟がかなり奥まで伸びていた。第二次大戦末期、東京・武蔵野
市にあった中島飛行機工場の移転先として建設され、エンジン部品の製
造をはじめたようだが、1か月ほどで終戦になったと記されていた。
百穴の西側の林間を回り、背後の台地に上がる。古くからの住宅地の
そばの畑に、大きなトウガンが下がり、カボチャのような大きなユズが落
ちていた。
コブシのつぼみがかなりふくらみ、この冬の暖かさが感じられる。
弁天池のある龍性院に立ち寄り、東側から田んぼの横を北に向かう。
ケヤキやカシなどの屋敷林に囲まれた農家を眺めながら進み、北吉見の
十字路際の八坂神社へ。小さい社殿だが、境内は豊富な樹林に囲まれて
いる。
十字路の南には、北向観音のお堂があった。
天王山の新興住宅地を抜け、雑木林の残る天王山自然公園に入る。こ
の先、東側の丘陵上に見えるアンテナ塔に向かって近道をしようというの
が、やまさんの狙い。
そばの注宅の横を谷間の雑草地に下り、小さい流れを横切る。オレンジ
色のピラカンサがたくさん実る一角を抜け、ススキの間をかき分けて、1車
線の道に出た。
アンテナ塔の立つ丘陵の南に回り、八反田の民家の間を進むと、林間
への細い道がついている。
稜線まで上がり、戻り気味に取り付け道路を入り、アンテナ塔のそばに
出た。
アンテナはNTTドコモの比企無線中継所で、さくがあり中には入れなか
った。
八反田の散在する住宅地へ。庭先にピラカンサとミカンがたわわに実を
付け、近くにはクチナシがたくさん実っていた。
その名も「観音」集落の、北側の高台にある今日一番のポイント、坂東
三十三観音霊場第十一番札所、吉見観音・安楽寺に入った。
行基が東国順錫(じゆんしやく)の折、聖観音像を刻んで岩窟(がんくつ)
に安置したのが起こりとか。のちに桓武天皇の時、坂上田村麻呂が奥州
征伐を祈願して七堂伽藍(がらん)を建てたという。
本堂は寛文元年(1661)の造立、本堂東側に立つ三重塔は寛永年間
(1624~44)再建で、県の指定文化財になっている。
境内の何本かのモミジが見ごろで、納経所に向かう庭園のマンリョウが、
一杯実を付けていた。
大きな仁王の立つ山門を抜け、石段を下って門前の通りへ。「どびんや」
という売店があり、名物は厄除けだんごとか。
取り立てのユズも数個百円で販売しており、何人かが購入した。
県道271号を少し進み、ゴルフ練習場の横を上がって学校前集落と和名
集落の間の高台に出る。雑草地の向こうに東側の展望が広がり、筑波山
が望まれた。
和名集落の北端にある無住の正伝寺に入って休憩。豊富な木々に囲ま
れた静かな境内、葉の落ちたイチョウの大木の下に、ギンナンがたくさん
落ちていて、女性の何人かが拾って袋に入れる。
和名の南に回り、和名沼の北側から「風の杜(もり)」と呼ぶ自然環境保
全地区へ。一帯は県の「ふるさとの緑の景観地」にも指定され、トウキョウ
サンショウウオやホタルの生息が確認されているという。
クヌギ、コナラ、アカマツなどの雑木林を抜け、谷間に続く広大な工場、
カルソニックカンセイの建物を見下ろしながら南に下る。
天神沼の南で県道27号に出て、近くの亀の甲バス停に15時44分に
着く。15時53分発のバスで東松山駅に向かった。
(天気 晴、参加 10人、距離 11㎞、地図 東松山、歩行地 東松山
市、吉見町、歩数 22,200)
関東百駅巡礼歩行、第60番の集合地は東武東上線の東松山駅。常
連メンバーのほか、『地図で歩く秩父路』(さきたま出版会発行)の著者
である、I さんも初参加された。
新装なった駅をバックに記念撮影をして、10時5分にスタートする。
東口から少し南に進んで東に向かう。御茶山町に入ると、屋内ゲートボ
ール場があった。ゲートボールは屋外でプレイするものと思っている人が
多いのか、違和感を感じた人もあったようだ。
隣接する神明小の横を北に向かい、東松山市ウオーキングセンターへ。
国内最大のウオーキング大会「日本スリーデーマーチ」開催都市ならで
はの施設である。
市内7コースのウオーキング地図や、比企地域ウオーキングマップなど
があったので、皆がもらう。
センター前を東に進み、市野川の橋を渡り吉見町に入る。橋のそばに、
「当選寺」という無住の寺がある。選挙に縁起がよい名なので、立候補者
がお参りに来るらしい。
寺の背後が、国史跡の松山城跡。市野川が形成した低地に突き出た
丘陵の東端に築かれた、北武蔵地方屈指の平山城だったという。
城郭としての体裁は15世紀半ばとみられ、天文から永禄年間に上杉、
武田、北条各氏の争奪戦になったとか。のち豊臣勢に攻められ、天正
18年(1590)に落城したという。
毎年、日本スリーデーマーチでそばを通るのだが、寄ったことはなかっ
た。西側から広葉樹林を上がると、本丸跡を中心に、小さいながら複雑な
城郭がよく残されている。
本丸跡からは、西側に東松山市街や奥武蔵の山並みなどが望まれた。
ところどころに残るモミジの紅葉を眺めながら、急斜面を北に下ると、
岩壁に挟まれた断がいに立つ懸崖(けんがい)造りの岩室観音がある。
松山城主が代々信仰していたが、松山城の攻防戦の際、兵火で焼失し、
現在のお堂は、江戸時代の寛文年間(1661~73)に再建したものと
いう。
観音堂を挟む岩室には、四国八十八か所の霊場の本尊を模した仏像が
祭られていた。
道路を挟んで北側にあるのが国史跡の吉見百穴(よしみひやくあな)。
たくさんの横穴は、古墳時代後期に死者を埋葬する墓穴として作られた
ものという。
ここも、毎年通過しているが初めて入る。横穴群を巡る遊歩道を上部
まで上がり一巡し、途中のベンチのところで昼食にした。
横穴群の中ほどに、地下軍需工場跡の開口部があり、入ると、直径3m
ほどの洞窟がかなり奥まで伸びていた。第二次大戦末期、東京・武蔵野
市にあった中島飛行機工場の移転先として建設され、エンジン部品の製
造をはじめたようだが、1か月ほどで終戦になったと記されていた。
百穴の西側の林間を回り、背後の台地に上がる。古くからの住宅地の
そばの畑に、大きなトウガンが下がり、カボチャのような大きなユズが落
ちていた。
コブシのつぼみがかなりふくらみ、この冬の暖かさが感じられる。
弁天池のある龍性院に立ち寄り、東側から田んぼの横を北に向かう。
ケヤキやカシなどの屋敷林に囲まれた農家を眺めながら進み、北吉見の
十字路際の八坂神社へ。小さい社殿だが、境内は豊富な樹林に囲まれて
いる。
十字路の南には、北向観音のお堂があった。
天王山の新興住宅地を抜け、雑木林の残る天王山自然公園に入る。こ
の先、東側の丘陵上に見えるアンテナ塔に向かって近道をしようというの
が、やまさんの狙い。
そばの注宅の横を谷間の雑草地に下り、小さい流れを横切る。オレンジ
色のピラカンサがたくさん実る一角を抜け、ススキの間をかき分けて、1車
線の道に出た。
アンテナ塔の立つ丘陵の南に回り、八反田の民家の間を進むと、林間
への細い道がついている。
稜線まで上がり、戻り気味に取り付け道路を入り、アンテナ塔のそばに
出た。
アンテナはNTTドコモの比企無線中継所で、さくがあり中には入れなか
った。
八反田の散在する住宅地へ。庭先にピラカンサとミカンがたわわに実を
付け、近くにはクチナシがたくさん実っていた。
その名も「観音」集落の、北側の高台にある今日一番のポイント、坂東
三十三観音霊場第十一番札所、吉見観音・安楽寺に入った。
行基が東国順錫(じゆんしやく)の折、聖観音像を刻んで岩窟(がんくつ)
に安置したのが起こりとか。のちに桓武天皇の時、坂上田村麻呂が奥州
征伐を祈願して七堂伽藍(がらん)を建てたという。
本堂は寛文元年(1661)の造立、本堂東側に立つ三重塔は寛永年間
(1624~44)再建で、県の指定文化財になっている。
境内の何本かのモミジが見ごろで、納経所に向かう庭園のマンリョウが、
一杯実を付けていた。
大きな仁王の立つ山門を抜け、石段を下って門前の通りへ。「どびんや」
という売店があり、名物は厄除けだんごとか。
取り立てのユズも数個百円で販売しており、何人かが購入した。
県道271号を少し進み、ゴルフ練習場の横を上がって学校前集落と和名
集落の間の高台に出る。雑草地の向こうに東側の展望が広がり、筑波山
が望まれた。
和名集落の北端にある無住の正伝寺に入って休憩。豊富な木々に囲ま
れた静かな境内、葉の落ちたイチョウの大木の下に、ギンナンがたくさん
落ちていて、女性の何人かが拾って袋に入れる。
和名の南に回り、和名沼の北側から「風の杜(もり)」と呼ぶ自然環境保
全地区へ。一帯は県の「ふるさとの緑の景観地」にも指定され、トウキョウ
サンショウウオやホタルの生息が確認されているという。
クヌギ、コナラ、アカマツなどの雑木林を抜け、谷間に続く広大な工場、
カルソニックカンセイの建物を見下ろしながら南に下る。
天神沼の南で県道27号に出て、近くの亀の甲バス停に15時44分に
着く。15時53分発のバスで東松山駅に向かった。
(天気 晴、参加 10人、距離 11㎞、地図 東松山、歩行地 東松山
市、吉見町、歩数 22,200)