あるきメデス

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関東百駅巡礼歩行 東武伊勢崎線 境町駅(群馬)

2011-06-16 16:12:56 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年6月11日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第75番は、東武伊勢崎線の境町駅。日韓友情ウオークに参加された山浦敬子さん
も久しぶりにお顔を見せ、6人が10時40分に駅を出た。


 境町は、合併して現在は伊勢崎市境となっている。駅前から、暗渠(あんきよ)となった佐波新田用水路沿
いを西に向かい、まずは境よしの記念公園に入った。

 背の高いタイサンボクが大きな花をたくさん付け、公園内には柵に囲まれたお堂もあり、緑がいっぱい。
どうやら公園の名前になっている「よしの」という方の、広大な屋敷跡ではないかと思われた。

 南に進み、旧日光例幣使街道である国道354号に出て、萩原諏訪神社へ。文久元年(1861)に建て直さ
れたという道標があるが、半分に折れていた。その横には、八十貫目(300㎏)と刻まれた力石もある。


 国道を東に向かう。スーパーFRESSAY構内の隅に「日光例幣使街道 織間本陣跡」碑があり、周辺には、
古い宿場だったことをしのばせる、りっぱな蔵造りの建物が何棟も残っていた。

 駅前通の先で南に入り、長光寺に行く。お堂の前に伝教大師の立像があり、「春も漸(やや) けしき調(とと
の)う 月とむめ」の芭蕉句碑が立つ。ほかにも句碑が幾つかあり、庭木もよく手入れされている。


 その先には弁天池があり、中の島に祭られた弁天堂は、小さいながらもきらびやかな木彫が施されていた。


 養護学校に転用された旧境高校の前を西に向かう。民家が途絶えて畑作地帯となり、大きな葉に覆われた
ゴボウ畑が目につく。


 色づいた小麦畑が広がり、上水道の浄水場横を進んで広瀬川の中島橋際に上がる。橋の下にあったベンチ
で昼食にした。

 ベンチには、バーベキュー禁止の表示があるが、珍しくスペイン語とポルトガル語でも書かれ、この近辺には
これらの国語を話す住人の多いことが推察される。


 ビオウヤナギの咲き競う河川敷から橋に上がり、右岸の高崎伊勢崎自転車道を下流に向かう。


 広い河川敷はヨシキリのさえずりが賑やかで、キジやウグイスも鳴く。


 右からの韮川との合流点付近に桑の木があり、桑の実が色づいていた。


 韮川の北向橋を渡って島村集落に入った。この地域は、古くからの養蚕地帯ようで、県道295号の交差点
際に「島村養蚕農家群」の標識があり、周辺には養蚕農家らしい造りの民家が多い。

 それら民家の北と西側は、上州名物の空っ風を防ぐ「かしぐね」と呼ぶ、カシの木を高く刈り込んだ防風林で
囲まれていた。

 利根川水辺プラザ公園の横を進んで、島村渡船船着場に向かう。島村渡船は、利根川の築堤によって分断
された島村集落を結んでいて、県道295号の一部として、無料で乗船できる。

 渡船場よりかなり手前の小屋に船頭さんがいて、声をかけるとバイクで船着場に先行して準備し、乗船させて
もらえる。私たちが、今日最初の乗船者とのことだった。

 ちなみにこの渡船は、江戸時代中期から行われていたようで、現在はエンジン付きだが、昭和年代までは竿
(さお)でこぐ船だったという。運行時間は8時半から17時(冬期は16時半)までである。

 きのうの雨で濁り、かなりの水量があったが、数分で対岸に渡る。渡し終えると船は、常駐場所の対岸にすぐ
戻って行った。


 利根川右岸河川敷には、色鮮やかなナヨクサフジがたくさん咲き、一面に広がる芦原でヨシキリが鳴き競って
いる。


 青空が増えてきて、霞んではいるが東方に筑波山や加波山が望まれる。


 境島小のそばに「島村蚕種業績の地」碑があり、この地から、明治初めに全国に先駆けて蚕種輸出を図った
ことが記されていた。


 境島小構内には、明治32年(1899)に建てられた「島村沿革碑」があり、養蚕業を発展させた島村の人々の
歴史が記されている。なお、この小学校の校章は、桑の葉、蛾(が)、繭(まゆ)を組み合わせた珍しいデザイン
だという。

 県道際に標識のあった「島村の板倉」は見つからず、埼玉県深谷市との県境際にある日本基督教団島村教会
のところに行く。

 この教会は、明治30年に建てられたもので、県内で2番目に古いものとか。当時の島村文化の一面を象徴する
建物で、国の有形文化財に登録され、一部は島村めぐみ幼稚園に使われていたようだ。

 県境になっている農道を東に向かう。周辺には深谷名産のネギ畑や、よく育ったゴボウ畑が多く。ゴボウ問屋の
建物もあった。点在する民家は、養蚕農家の面影を残す建物が多い。

 10戸前後だけの狭い深谷市飛地の横から、利根川自転車道になっている利根川右岸堤防に上がる。海から
175㎞の標識があり、間もなく県道14号の上武大橋南詰へ。前橋からサイクリングで来たという親子が休んで
いた。


 長さ1㎞前後ある、車道に平行した自転車と歩行者専用橋を渡り、県道の西に平行する平塚の里道を進む。
早川の薬師橋を渡って、世良田(せらだ)の集落に入った。

 すぐ先に広々とした薬師公園があり、並木になっているタイサンボクが大きな花を見せている。

 ケヤキ並木の通を東に少しで、太田市歴史公園へ。このあたりは12世紀中頃に成立した新田(につた)氏の
荘園があったところで、「新田荘遺跡」として国史跡に指定されている。

 公園の一角に新田荘歴史資料館↑があるが、入館は省略した。

 この地は徳川氏発祥の地でもあるようで、徳川家康が関東に入国後、将軍家の厚い比護を受けており、資料
館の西側一帯が世良田東照宮の境内である。

 東照宮は、寛永20年(1644)に、3代徳川家光が日光東照宮古宮を移築して祭り、神領200石を寄進したと
いう。境内の一角で休憩したが、時間がないので拝観は省略した。

 東照宮の御黒門や太鼓門、承久3年(1221)創建で東日本最初の禅寺という長楽寺の前を通過して、北に向
かう。国道354号の先には、背の高い屋台庫が2棟並んでいた。


 田園地帯に出ると、色づく麦畑の上でヒバリがさえずる。

 休耕田にカモの群れが遊ぶ農道を進み、県道14号の東側にある世良田駅に16時14分に着いた。

 どこにあるのかも知らなかった境町駅だが、日光例幣使街道の宿場町、島村渡船と蚕の里、新田荘遺跡と東照
宮など、多くの歴史を認識する機会が得られ、盛りだくさんのウオーキングだった。

 (参加 6人、天気 曇後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 上野境、(伊勢崎)、深谷、本庄、歩行地 伊勢崎
  市、太田市、歩数 22,00)


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