あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

狭山丘陵西端の六道山公園や山ろくの社寺などを巡る(東京)

2017-03-14 16:38:19 | カントリーウオーク
 2017年3月12日(日)

 前日の冷たい風も治まり穏やかな晴天に恵まれた今日は、カントリーウオークグループ
の例会に参加した。

 集合はJR八高線(はちこうせん)の箱根ヶ崎駅。この駅での例会はちょうど20年ぶ
りだが、駅舎は橋上に改築され、駅前広場も広くなっていた。4組に分かれて10時05
分に東口をスタートする。


 駅前広場のマンホールデザイン

 
 == 瑞穂町郷土資料館などを経て六道山公園へ ==

 駅前で都道166号を横断し、古くからの住宅地を北北東に進んんで突き当たりの円福
寺へ。

 天正元年(1573)の創建で、江戸時代には寺領11石の朱印状を拝領したという。
小さい惣門の先にどっしり構えた山門があり、正面の本堂も大きい。

 寺には、室町時代制作で都指定有形民俗文化財の「紙本着色観心十界図」が所蔵されて
いて、国内では13点のみのものという。瑞穂町には東京だるまを製作している店が5軒
あり、境内で1月にはだるま市が開かれるとか。

 観音堂横の白梅とサンシュユ、カワズザクラが見頃の花を競っていた。


 西側の都道166号を少しで左に入り、残堀川源流の狭山池(さやまいけ)公園に回る。

 「多摩川50景」に選ばれている親水公園で三つの池があり、カメラマンが二つの池で
カワセミを狙っていた。


 二つの池の間に弁天堂が祭られ、近くには慶応元年(1865)にそばの石橋のたもと
に建てられたという、常夜灯が残されていた。
     

 東に回り、鎮守の森になっている小さな独立峰の頂上にある狭山神社の急石段を上がる。
旧箱根ヶ崎村で一番古い村社とのこと。


 神社の森の西側斜面下部は「さやま花多来里(かたくり)の郷」。都内最大のカタクリ
群生地で、今月下旬には20万株というカタクリの花が見られるようだが、いまはまだ葉
だけなのが残念だ。
    

 東側の神社下交差点で日光街道に入って北へ、次の交差点のすぐ先にある瑞穂町郷土資
料館「けやき館」に行く。
     
 広場には樹齢300年という大ケヤキが立ち、ヤドリギが幾つか見える。ケヤキの下に
は、江戸末期に村人が捕らえた伝説があるというニホンオオカミの像がある。
        


 館内に入り、瑞穂町の自然と生きもの、狭山丘陵の雑木林のジオラマ、瑞穂町の歴史や
文化、民家などに関する展示を一覧した。
     

 北側広場の隅には、隣の耕心館の旧所有者だった細淵家が昭和20年代(1945~)
に数年間営んだ煉瓦(れんが)製造に使用したという、高さ18.2mの煉瓦造りの煙突
が保存されていた。
     

 そばの趣ある枝折り戸(しおりど)をくぐり、その耕心館の庭園に入る。園路の回りに
100種を超える山野草が植えられていて、ユキワリソウやコンロンソウなど幾つかの花
が開花し始めていた。
    


 2階建ての大きな主屋(おもや)は、茶会などに利用できる和室や喫茶室、コンサート
や展示会に利用できる大広間などがあるよう。


 土蔵の1階には、きらびやかで数え切れないほどのひな飾りや吊しびな、豪華な衣装な
どが展示されていた。


          

 日光街道を少し戻り、神社下交差点の手前で狭山丘陵の山腹沿いの遊歩道に回って東北
へ。西側の茶畑にある数本の白梅が見頃。


 すぐ先の山ろくに、太平洋戦争中に陸軍が作ったというコンクリート製の頑丈な防空壕
が残っていた。

 狭山飛行場の軍需物資を米軍の空爆から守るためで、住民のためのものではないらしい。

 右側に続く広葉樹林や、左に見頃のカワズザクラなどを見ながら田保谷と呼ぶところま
で進む。


 設置されていた案内図を見て、ここからは狭山丘陵の三角点広場に向かって上がること
にする。
     


 少し上がると展望広場、ベンチがあったので小休止した。北西から西方に秩父の武甲山
や奥多摩の川苔山、大岳山などの展望が得られるが、今日は霞んではっきりしない。


 急坂をひとしきりで傾斜が緩み、標高194.0m1等三角点のある三角点広場に上が
った。1等三角点「高根」と呼び、明治29年(1896)に設置されたよう。狭山丘陵
の最高地点でもある。
    
 当時は360度の好展望点だったのだろうが、現在は広葉樹に囲まれて展望は全く得ら
れない。


 紅葉樹林の中を東に延びる遊歩道は幅広くなり、傾斜も緩む。堀割下を走る車道を狭山
懸橋(さやまかけはし)で越え、1㎞足らずで昼食地の六道山(ろくどうやま)公園に
12時12分に着いた。

 広い芝生地の周辺はサクラが多く、古くから桜の名所として親しまれているとか。標高
は192mあり、高さ13mの展望台からは富士山や秩父連山、新宿の高層ビル群など一
望できるようだが、工事中で上がることは出来ない。少し下の芝生地で昼食とする。


 == 岸田んぼに下り、山ろくの社寺を巡る ==

 いつものようにミーティングと記念撮影をして、13時15分に全員一緒に出発した。


     
 稜線上の林間を600m前後進み、標識に従い南に下ると「岸田んぼ(きしたんぼ)」
と呼ぶ谷地田が広がる谷間に出た。


 岸田んぼは、丘陵の谷から流れるわき水を利用した田んぼを復活させ、江戸中期の民家
を復元した「里山民家」を拠点に、里山体験や環境・文化学習が行われており、田んぼで
は古代米も栽培されているという。

 田んぼやビオトープ池の周辺を回って里山民家の一角に戻り、母屋(おもや)や蔵、作
業小屋、納屋、井戸小屋などをゆっくりと見学する。



 かやぶき屋根の大きな母屋は江戸中期の名主格の農村住居で、狭山丘陵南麓の民家を新
築復元したもの。
     

     
 蔵は、江戸後期の平入り2階建て漆喰塗(しっくいぬり)土蔵で、狭山丘陵地域の蔵を
新築復元したものとか。1階には、古い唐箕(とうみ)などが保管されていた。



 母屋の土間では狭山茶の手もみ作業の実習中、作業小屋では、数回の学習の最終日に仕
上げたという、わら製の宝船造りが終わったところだった。

 南に下った岸四丁目には、須賀神社があった。寛永10年(1633)に別の場所に創
立し、現在の社殿は昭和32年(1957)の再建という。


 南側の三差路際には、古いかやぶき民家を修復したらしい、この地にふさわしい感じの
民家の建物が目に付く。


 三差路を西に少し進んだ辺りにも、養蚕農家の名残が感じられる古民家が残っていた。


 西側の殿ヶ谷(とのがや)集落に入り、狭山丘陵を背にした阿豆佐味(あずさみ)神社
へ。創建年代は不明だが寛平年間(889~98)に再建したと伝えられ、延喜式神名帳
(えんぎしきじんみょうちょう)に記載される多摩郡8座のうちの1社とのこと。江戸時
代には12石の朱印状を拝領しているという。


 近くの三差路際に、村山土佐守(むらやまとさのかみ)の新しい立像が立っていた。
     
 村山土佐守は、武蔵七党のうちのこの辺りの村山郷(ごう)に住んんだ人物。中世豪族
としての村山氏最後の人で、ここ殿ヶ谷に居館があったと伝えられているという。

 最後に訪れたのは、狭山丘陵山ろくの斜面に立つ福正寺。文保2年(1318)に開山
した鎌倉建長寺派の古寺で、狭山観音霊場第25番札所である。

 まずは惣門に続く大きな山門に目を奪われる。

 山門の左手、円通殿と呼ぶ観音堂は村山土佐守が再興したもので、橦木造(しゅもくづ
くり)という珍しい構造。現在のものは天保12年(1841)頃の再建という。



 山門の正面の法堂は修復中で、その前に樹齢700年という多羅葉樹(たらようじゆ)
が立っていた。町の天然記念物で、紙のない時代にはこの葉に字を書いて、現在のはがき
のように使われていたとか。
     

 西側の墓地際には、近年の建築らしい奈良・興福寺五重塔の7分の1という五重塔があ
る。
     

 さらに山すその旧道を西進して、瑞穂町役場の南側を過ぎる。都道5号の横断点には、
瑞穂町歌を記した箱根ヶ崎時計台があった。
     

 ゴールのJR八高線の箱根ヶ崎駅には、15時35分に戻る。急ぎ改札口に上がり、4
分後の川越行き下り電車に間に合った。

(参加 15人、天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 青梅、所沢、歩行地
 瑞穂町、武蔵村山市、累積標高差 上り・下り各約210m)




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