あるきメデス

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女子美術大学での韮崎大村美術館収蔵作品展へ(東京・杉並)

2016-10-03 21:24:43 | 美術館・博物館・展覧会等の観覧
 2016年10月3日(月)

 今夜の「NHKニュース7」などで、今年のノーベル生理学・医学賞に東京工業大学栄
誉教授の大隅良典さんの受賞が決まったことが報道されましたが、昨年同じ賞を受賞され
たのが、北里大学特別栄誉教授の大村 智(さとし)さんだったことは、多くの方が思い
出されたことと思います。

 その大村さんは、幼少期から芸術に親しみを持っておられたことが縁で、1997年に
は女子美術大学の理事長に就任され、以後14年にわたり理事長を務められ、現在は名誉
理事長になっておられます。

 9月9日(金)から10月8日(土)まで、大村さんの昨年度ノーベル生理学・医学賞
受賞記念の「韮崎大村美術館収蔵作品展」が女子美術大学の杉並キャンパス1号館で開催
中なので、連れ合いに誘われて今日観覧に出かけました。

 ちなみに韮崎大村美術館は、大村智さんがご自身のコレクションをもとに多大な私費を
投じて山梨県韮崎市の生家近くに2007年に設立し、翌年には作品とともに建物とその
敷地が韮崎市に寄贈されました。

 現在は約1,800点を超える美術作品が所蔵されているようで、同館には女子美術大学
を卒業した女性作家を中心に、貴重な作品が数多く展示されていて、女子美術大学とは
2008年に相互協力協定を締結したとのこと。今回の美術展はその所蔵作品と、韮崎市
ふるさと偉人資料館から借用した資料とをあわせて展示していました。

 女子美術大学杉並キャンパスの最寄り駅、東京メトロ丸ノ内線の東高円寺駅に下車して、
東京メトロの上を走る青梅街道を少し新宿寄りに進んで右折し、両側の民家などに咲く花
などを眺めながら新渡戸文化学園の横の細い通りを南下します。


    

         芳香を放つキンモクセイ    
         

          咲き残るバラも
          

     
 女子美術大学の標柱が立っていたところからは入れず、正門を探して西側から南、そし
て東へと回り、体育館の建物の受付で1号館の場所を聞き、結局少し戻ったところが1号
館でした。

 女子美大の東側には、りっぱな赤松のある民家が目に付きます。

 
 女子美術大学1号館入口付近


     
 1号館1階の展示場では、「韮崎大村美術館収蔵作品展」会場に隣接して「入江一子展」
も開催中でした。
            

 1階の廊下に残っていた、昨年の大村さんのノーベル生理学・医学賞受賞の掲示。
     

 会場内は撮影禁止なので、作品展のリーフレットに掲載の作品を切り出して紹介します。
        

    
     花 軽井沢にて《三岸節子》




 片岡珠子《牡丹》

      
       堀 文子《秋炎》


 多田美波《変電所》

 こららのほか、亀高文子、森田元子、郷倉和子、神戸文子、東郷たまみ、石井礼子など、
33作品が展示されていて、作者の多くが女子美術大学で学んだ人や教授、理事長などを
された方でした。

 会場の中央部には、大村智さんの年表や資料などが展示されていて、その中には父母の
日記帳や大村さんが学んだ机、中学校と高校の通信表、発表された論文集、土中から発見
した放線菌の写真、附属高校での講演録、県大会や国体などで活躍されたスキー関係の写
真ほかが展示されていました。

 これらを拝見して、大村さんの偉大な研究成果の影には、父母や祖母、担任、スキーコ
ーチ、文子夫人など、周囲に良き指導者や理解者がおられたたこと、スキーの猛練習など
で頑張り抜いたこと、都立隅田高校定時制の教諭の時に学業に熱心に取り組む高校生に心
打たれたこと、などが大きな影響を与えたことがうかがえました。

 次に、隣の展示場での「入江一子展」も観覧しました。


 私は入江一子画伯の名は知りませんでしたが、小学生時代から才覚を顕し、女子美術大
学の前身、女子美術専門学校に学び、1969年から東南アジア、ヨーロッパ、シルクロ
ードな30数カ国への写生旅行をして多くの作品を残し、100歳を超えた現在も大作を
描く気力を持っておられるとのこと。

 会場には、1936年の女子美卒業式の日の写生から近年までの作品22点が展示され
ていて、特に中国雲崗石窟(うんこうせっくつ)や敦煌の壁画、トルファン、バーミヤン、
カブール、サマルカンド、イスタンブール、パリなどの石仏や祭りなどの大作に目をひか
れました。

 なお、近く「百寿記念 入江和子 自選展」が日本橋三越本店で開催され、10月26日
(水)には、105歳の日野原重明さんとの対談も計画されているようです。
     

 観覧を終えて、昼食の場所を探しながら東高円寺駅近くに戻り、駅のそばの「GRAND PA
(グラン・パ)」というパスタの店に入り、2階で遅い昼食に。
     

       
 私は「梅肉と蒸し鶏とゆで野菜の青じそ風味」↑、連れ合いは「ベーコンと具だくさん野
菜のトマトソース」↓という生パスタランチでした。
    
    これにドリンクバー(100円)付きで各1,000円。

       2階の青梅街道側出窓に飾られたミッキーマウスの飾り。
       

 食事を終え、少し雨も落ちていたのですが大したことはないので、青梅街道の南側にあ
る「杉並区立蚕糸(さんし)の森公園」を一巡することに。東高円寺駅を上がった公園の
東北側表示。


 公園の東側沿いを杉並十小の先まで進み、南東側から公園に入りました。
     

 公園の東側一帯(下図右)が杉並十小の校地、中央部(D)が運動場、西側一帯が植樹
や池の間などに園路を巡らした、いわゆる公園部分です。

 「蚕糸の森」については、公園を出るところで説明します。

 南側を西進して池の南端近くまで行くと、「杉並区貴重木」に選定されている大イチョ
ウが目に付きました。
     
 ふつう、市や区などの古木は「名木」とか「保存樹」などと呼ばれるところが多いよう
ですが、「貴重木」という呼び方は、私は杉並区でが初めてでした。

 池の南東側、東屋(あずまや)の周辺。


     近くのニシキギは秋の彩りに…
    

         
       その下ではカメがこうら干しし、そばをニシキゴイが遊泳中。


      池の縁でたくさん実をつけたはマメガキ
     

 

          池の中央を遊泳中のカメ
         

 豊富な樹木の下を北に回ると、人工の滝が大きな音をして落下していました。


      その近くにも、杉並区貴重木のスズカケノキが立っています。
      

             

 北西側入口付近には、蚕糸の森ゆかりのクワが植えてありました。


    
 
 入口を入ったところには「蚕糸科学技術発祥の地」碑があり、ここがもと何だったかが
記されています。

 それによれば、「明治44年(1911)にこの地に農商務省原蚕種製造所が創設され、
原蚕種の配布を開始し、その後、蚕業試験場、蚕糸試験場となり、世界の先端を行く蚕糸
科学技術の研究を進め、わが国の近代化と経済の発展に大きく寄与してきたが、昭和53
年(1978)に蚕糸試験場は筑波研究学園都市へ移転し、区立蚕糸の森公園がここに設
けられた」とのこと。 

 そばにあるこの建物は、当時の衞所だったようです。


 北西側入口の門は、やはり蚕糸試験場の旧正門でした。


 この門を出て東高円寺駅に戻り、東京メトロ丸ノ内線の中野坂上駅で都営大江戸線に乗
り換え、練馬駅経由で帰りました。

 ちなみに夜のニュースでは、この日大村智さんが、小澤征爾さん、三宅義信さんととも
に東京都名誉都民の顕彰を受けたことも報道されました。
 



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