あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

早春の安曇野から残雪の上越へ③ 細野から妙高山麓へ(長野・新潟)

2020-05-09 21:22:28 | アーカイブ
 1965(昭和40)年4月30日(金) 晴

 連泊した長野県白馬村細野の宮の下旅館で7時15分に起床した。
    

 集落あげてのスキー宿は、民宿から旅館までへと発展している。かやぶきの建物の半分
を壊し、洋式建築をくっつけた和洋混合の家がある。


 この集落は丸山姓がほとんどで、「丸山さ-ん」と呼べば、どこの家からも「なんだい」
と答えそう。


          路傍に幾つも見られる道祖神のひとつ
         

 細野9時発のバスで信濃四ッ谷駅まで行く。駅からは電車に乗らず国道を北へと向かう。
雲が切れて日が照り始め、白馬連峰も次第に姿を見せてきた。それらを眺めながら次の信
濃森上(しなのもりうえ)駅まで約2㎞を歩くことにした。

 東方の山々


 白馬連峰北方

 信濃森上駅

 信濃森上駅は、大糸線のうちの電化区間(松本~信濃森上)と非電化区間(信濃森上~
糸魚川)の分かれ目(2年後の1967年12月に信濃森上~南小谷も電化された)。

 したがってほとんどの列車はここで乗り継ぎをしなければならない。非電化区間はディ
ーゼル車が走っている。 

       
 
 松本行きの上り電車


 10時03分発下り糸魚川行き123D列車、これに乗車した。


 白馬大池(はくばおおいけ)駅~千国(ちくに)駅間、姫川の流れに沿って。


 千国~南小谷(みなみおたり)間、南小谷駅近くの進行方向右手(東側)で見られた土
砂崩れの対処状況。

 土砂崩れのためにコンクリート護岸が1日に5㎜も押し出されるので、線路はぐっと湾
曲しているが、崩れる危険があるのでつっかい棒をしている。

 「近く、付近の地下水に色の付いた水を流し、地下水の流れから土砂の動きを突きとめ
るよう検討中」と、2日前の28日に松本で聞いたラジオは伝えていた。

 中土(なかつち)駅を出ると両岸はいよいよ迫り、姫川以外に平らなところはなく、線
路はトンネルに入るが、国道も雪崩除けの下を走るようになる。
 
 冬の大雪で不通になるのはこの辺りだ。

 北小谷(きたおたり)を過ぎて新潟県に入り、日本海に向かって姫川も次第に開け、周
辺の景色も冬から春へと変わる。発電所のそばのサクラも満開である。


 糸魚川(いといがわ)駅には11時15分に着いた。


       
    
 糸魚川駅11時31分北陸線上り215列車で直江津駅に向かう。列車はC5717号
牽引のなつかしい汽車ぽっぽ(当時はSLなどとは言わなかった)である。


 列車は日本海沿いに進み、直江津までずっと海岸線沿いに走る。天気は快晴で海の色は
あくまでも青く、水平線の彼方まではっきり見える。

 海岸線沿いに山が迫る狭い土地に鉄道と道路、そして道路に沿って漁村がある。

 梶屋敷駅付近
 
 浦本駅からの日本海


   この日の行程
  

 谷浜駅付近
 

 12時39分に直江津駅に到着する。


 直江津駅前に明治を偲ぶ洋風の旅館があった。


 直江津電報電話局


         
 直江津駅13時02分発信越線上り114D列車にて13時21分に高田駅に着く。


 高田市内(現在は上越市)も少し巡ることにした。高田市の中心地、雁木(がんぎ)の
通りが雪国らしさを感じさせてくれる。


 高田駅13時35分発信越線上り316列車に乗り継ぐ。やはり蒸気機関車牽引だった。
        

 脇野田駅を通過する下り特急白鳥号


 新井駅付近、前方に妙高山塊が望まれる。


 二本木駅を出る列車。


 14時45分に田口駅(現在の妙高高原駅)に着いた。妙高・赤倉温泉の玄関口で、冬
はスキー客で賑わう。


 田口駅からは14時45分発のバスがすぐに出て、妙高高原前バス停で下車した。今日
の宿は、妙高山麓新赤倉温泉にある妙高逓信保養所赤倉荘である。
    


 左の建物はTBS山の家、右が宿泊した赤倉荘。後方の山は黒姫山のよう。
 
 妙高山と妙高高原スキー場


 宿は4階建ての立派な建物、2階の部屋はスチーム暖房で暖かい。浴槽からは妙高山が
正面に見える広い温泉で、今日の宿泊者私1人だけとはもったいない。

 周辺には残雪が多く、すぐそこでスキーができそう。夕食前にビールを飲んだら、すっ
かり良い気分になった。

 



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早春の安曇野から残雪の上越へ② 八方尾根でスキー(長野)

2020-05-07 15:28:54 | アーカイブ
 1965(昭和40)年4月29日(天皇誕生日・木) 雪のち雨

 長野県白馬山麓・細野の宮の下旅館で朝起きたら雪、いつもならサクラも咲くのにと地
元の人も驚く季節外れの雪のようだ。


 ラジオでも東京で6.1℃の低温と伝えており、全国的な寒波に見舞われたよう。
   

 9時半ころ旅館を出て、近くの観光斡旋所でスキーとスキー靴を借りる。
      
 細野から八方ケーブルで標高1,400mの八方尾根兎平に上がると、まだ2m近い積雪
である。
         

 雪は降り続き周辺の展望は全く得られず、スキーヤーは少なくリフトはガラガラだ。兎
平リフト頂上付近からの兎平ゲレンデ。冬もこれくらい空いていれば天上の楽園であろう
が・・・




 借りたスキーは滑らず、ゴム製のスキー靴はエッジが利かず、今年初めての滑りにベタ
雪という悪い条件ばかり。さっぱり曲がらず、期待の春スキーはさんざんだった。



 雪は止まず展望はなく、午後は視界も50mくらいに下がり、みぞれになってヤッケが
濡れる。

 午後は13時30分から15時30分まで滑り、細野まで下って連泊の宮の下旅館に戻
った。昨日は私以外に宿泊者はなかったが、今日は2組ほど来ていた。




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早春の安曇野から残雪の上越へ① 安曇野と仁科三湖(長野)

2020-05-06 15:54:18 | アーカイブ
 
 2020年5月6日(祝・水)

 新型コロナウィルスの感染拡大は収束しそうになく、さらに5月末日まで緊急事態宣言
が延長となりました。

 外出自粛の日々が続き歩く範囲も限られ、新緑や花も見慣れたものが多いので、今日か
らは前回の東京オリンピックから半年後、翌年、1965(昭和40)年春のゴールデン
ウィークのころに巡った、信州から越後への55年も前の旅のアルバムをふり返ります。

 この旅は、その前の4月12日から27日まで、当時、三重県鈴鹿市にあった社内研修
期間への出張があり、それが終了後に年次休暇とゴールデンウィークを組み合わせて回っ
たのでした。

 使用したカメラは、オリンパスペンSという35㎜フィルム1コマに2枚撮れるという
携帯用の小型のもの。プリントは手札判という名刺サイズよりやや大きいくらいなので、
スキャナーで取り込んでもあまり見栄えがよくありませんが、現在では見られなくなった
風景もあるので、紹介することにしました。

 =======================================

 1965(昭和40)年4月28日(水)

 前日宿泊した長野県松本市の東郊、里山辺の宿にて7時15分に起床、曇天だが雨の心
配は無さそう。宿からは松本市街の向こうに白い峰が見える。

 春闘の私鉄ストでバスの運行がなく、松本駅まで50分ほど歩く。ちなみに私鉄ストは
24時間続き、沿線を走る松本電鉄は1日中動かなかった。

 松本駅前


 松本駅9時49分発大糸線下り電車に乗り、穂高駅で10時11分に下車した。

 神社風建築の穂高駅


 まずは近くの穂高神社へ。境内には遠足の生徒などが訪れていた。


 なお、この神社の奥社は上高地の明神池畔にある。

 穂高駅の東方にはわさび畑があり、常念岳から流れ出す烏川と燕岳からの中房川が合し
た穂高川と万水川(よろずいがわ)とが犀川に流れ込む扇状地にあり、アルプスの雪解け
水で年間13℃前後という水温がワサビの栽培に適し、全国一のワサビ生産地となってい
る。

 そのワサビ畑はあまり無かったが、その広さはさすが日本一のわさび田だ。背後には常
念岳などが望まれる。周辺のサクラは、まだチラホラだった。


 信濃民謡の安曇節には、「一夜穂高の山葵(わさび)となりて 京の小町を泣かせたや」
と唄われている。

 次に穂高駅の北方、約10分ほどの碌山美術館に行く。

 碌山美術館は、穂高中学校校庭の隅にある。

 碌山・荻原守衛(ろくざん・おぎわらもりえ)はこの地の出身で、ロダンに彫刻を学び
明治の鬼才と言われたが若くして病没した。
       
 碌山美術館は、その遺品や作品を集めて展示されている。赤レンガのヨーロッパ風建物
は背後の常念山脈と見事な調和を見せている。


 観覧後、穂高中の東側で女性にシャッターを押してもらった。
     
 このとき通りかかった小学生曰く 「あの人は 山へ行くと言って山の支度をして家を
出て こんなところへ来てらあ」

 穂高駅12時24分発下り電車に乗り、で信濃大町駅に12時53分に着いた。

 夏は鹿島槍など後立山連峰、あるいは黒四ダムなどへの玄関口も、いまはまだひっそり
している。


 駅前の案内所で今夜の細野の宿を探して予約してもらい、大町駅の東方1㎞の小高い丘
にある大町山岳博物館に行く。

 日本で唯一の山岳博物館で、昭和31(1956)年秋、地方文化の向上のため、市民
の協力によって生まれたもの。
       


 もとは学校の建物を利用してつくられた2階建ての本館には、登山、スキー、北アルプ
スの動植物、民俗など、北アルプスを中心としたあらゆる資料が展示されている。


 博物館付属のカモシカ園のカモシカ。ほかにライチョウ園、コマクサ園もある。


 大町公園のサクラはまだつぼみ。いつもなら見ごろのはずなのに、今年は春の訪れが遅
いのが残念。


 市街地の背後に後立山連峰が望まれるが、高曇りのため上部はガスに隠されていた。


 信濃大町駅15時17分下り電車に乗り、信濃木崎駅で15時43分に下車した。


 ここからは国道と線路沿いに進み、仁科三湖(にしなさんこ)と呼ぶ三つの湖のうちの
木崎湖から中綱湖まで歩く。沿道に人影など無く、湖は静か。木崎湖東岸から南方を見る。


 木崎湖東岸から望む西岸


 木崎湖東岸から北方を見る。


 海ノ口駅、駅員のいない駅のようであった。


 海ノ口駅から簗場(やなば)駅間。両側から山が迫り、国道148号線・糸魚川街道、
国鉄大糸線、電電公社電話線、川などがずっと並行して走っている。


 中綱湖は周囲2㎞で仁科三湖の中で最少、曇り空で対岸の山には残雪、夕暮れが近く、
まことにわびしい感じ。


 6.9㎞歩いて簗場駅に着いた。中綱湖はすぐ駅前にある。


       


 再び17時46分発大糸線下り電車に乗り、最後の青木湖は車中から眺めた。18時01
分に信濃四ッ谷駅(現在の白馬駅)で下車した。


 宿泊する細野集落へのバスもストで動かず、歩いて向かう。予め購入してあったこのバ
ス乗車券は不要になる。
    

 細野に向かう沿道から望む、八方尾根や白馬岳は残雪で真っ白だ。


 細野集落の宮の下旅館には18時30分に着いた。こたつに入り、入浴してホッとする。
今日の歩行距離は18㎞くらい、よく歩いた。

 スクラップブックに作成した旅のアルバムに記してあった当日の行程図
     

 



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コメント (2)
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