コロナ禍の春日
地球一円コロナの猛威に晒されている。所によっては豪雨水害に見舞われており、まさに“禍不単行(禍は単独では来ない)”の諺通りの状況に苦しめられている。“祈る”以外に手立てを持たない身が情けない。
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<漢詩原文および読み下し文> [下平声八庚韻]
冠状春日 冠状(カンジョウ)の春日
公園無孩子, 公園に孩子(コドモ)無く、
球賽無打鉦。 球賽(キュウサイ)に鉦(ショウ)を打つ無し。
国際無来往, 国際の来往(ライオウ)無く,
只聞遥遠鶯。 只だ聞くは 遥か遠くに鶯のみ。
註]
冠状(病毒):コロナ(ウイルス)。 球賽:球技大会。
鉦:しょう、応援団の鐘太鼓。
鶯:ウグイス、鳴き声は“ホ・ホケキョ(法華経)”と聞こえる。
コロナを鎮めてくれと仏に祈っているようである。
<現代語訳>
コロナ禍の春の日
公園には元気に遊び廻り騒ぐ子供たちの姿はない、
無観客のプロ球技場では応援団の打ち鳴らす鐘の音もない。
世界の各国で人の行き来はご法度、巷で外国人の賑やかな話し声は聞かれない、
唯だ 聞こえたのは、裏山で鳴くウグイスの一声のみ、“ホ・ホケキョ”と。
<簡体字およびピンイン>
冠状春日 Guānzhuàng chūnrì
公园无孩子,Gōngyuán wú háizi,
球赛无打钲。qiúsài wú dǎ zhēng.
国际无来往,Guójì wú láiwǎng,
只闻遥远莺。Zhǐ wén yáoyuǎn yīng.
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鎌倉・第3代将軍・源実朝は、当時、起こった豪雨災害時に「……八大龍王 雨やめさせたまえ」と、力強く、気迫を込めて祈られた(前々回・閑話休題-154)。筆者は、ウグイスの鳴き声を借りて、コロナ・豪雨水害の脅威が早く治まることを祈っている次第である。
「春の海 終日(ヒネモス)のたり のたりかな」(与謝蕪村)。さもなければ、海と言わず、まどろむ“春日”であるが、慌ただしく騒々しい春であった。但し生活周囲のあらゆる音は消えている という無・無・無と“3無”の異様な状況なのである。上の漢詩は、この情景を詠ったつもりである。
例年、ウグイスは、今頃、“ホ ケキョッ ケキョッ ケキョッ ホ ケキョッ”と、いわゆる“ウグイスの谷渡り”の元気な鳴き声が,ここかしこでこだましていたはずである。今年は心なしか、か弱く“ホ・ホケキョ”の一声が、遠くにいるように聞こえた。
ウグイスと言えば、最近、気になることがある。
かつては木の葉の裏や小枝に小指ほどの大きさの青虫や蛾の幼虫がたむろしていて、その除去に精出していた。また猫の額ほどの庭の片隅に茂っていたブラックベリーの花では、ミツバチや大小さまざまな蝶が飛び交い、密を吸っていた。
ここ2,3年、これらの生物の数が減少しているかな と気にしていたのだが。今年は、直径数mm、体長2cmほどの青虫一匹を目撃したのみ。またミツバチは目撃なし、小さい蝶が2,3羽見かけたのみである。
里山で、ウグイスの生命を支える虫の類が姿を消しつつあるのではないか と危惧するのである。
2018年4月、黄河沿い洛陽と鄭州の中間に位置する、杜甫の故郷・鞏義(キョウギ)市を訪ねる機会があった(閑話休題-79)。その折、記念施設・“杜甫故里”内の柳の木陰で囀るコウライウグイス“黄丽/黄鹂”の鳴き声を聞くことができた。
帰国後の録音を含めて、注意を凝らして聴いたのだが、“ホ ホケキョ”のフレーズを聞き取ることはできなかった。“ホ ホケキョ(法華経)”は、日本人が聞いた、日本のウグイスの鳴き声 ということである。上の漢詩は、残念ながら国際的に通用する詩ではないということである か。
地球一円コロナの猛威に晒されている。所によっては豪雨水害に見舞われており、まさに“禍不単行(禍は単独では来ない)”の諺通りの状況に苦しめられている。“祈る”以外に手立てを持たない身が情けない。
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<漢詩原文および読み下し文> [下平声八庚韻]
冠状春日 冠状(カンジョウ)の春日
公園無孩子, 公園に孩子(コドモ)無く、
球賽無打鉦。 球賽(キュウサイ)に鉦(ショウ)を打つ無し。
国際無来往, 国際の来往(ライオウ)無く,
只聞遥遠鶯。 只だ聞くは 遥か遠くに鶯のみ。
註]
冠状(病毒):コロナ(ウイルス)。 球賽:球技大会。
鉦:しょう、応援団の鐘太鼓。
鶯:ウグイス、鳴き声は“ホ・ホケキョ(法華経)”と聞こえる。
コロナを鎮めてくれと仏に祈っているようである。
<現代語訳>
コロナ禍の春の日
公園には元気に遊び廻り騒ぐ子供たちの姿はない、
無観客のプロ球技場では応援団の打ち鳴らす鐘の音もない。
世界の各国で人の行き来はご法度、巷で外国人の賑やかな話し声は聞かれない、
唯だ 聞こえたのは、裏山で鳴くウグイスの一声のみ、“ホ・ホケキョ”と。
<簡体字およびピンイン>
冠状春日 Guānzhuàng chūnrì
公园无孩子,Gōngyuán wú háizi,
球赛无打钲。qiúsài wú dǎ zhēng.
国际无来往,Guójì wú láiwǎng,
只闻遥远莺。Zhǐ wén yáoyuǎn yīng.
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鎌倉・第3代将軍・源実朝は、当時、起こった豪雨災害時に「……八大龍王 雨やめさせたまえ」と、力強く、気迫を込めて祈られた(前々回・閑話休題-154)。筆者は、ウグイスの鳴き声を借りて、コロナ・豪雨水害の脅威が早く治まることを祈っている次第である。
「春の海 終日(ヒネモス)のたり のたりかな」(与謝蕪村)。さもなければ、海と言わず、まどろむ“春日”であるが、慌ただしく騒々しい春であった。但し生活周囲のあらゆる音は消えている という無・無・無と“3無”の異様な状況なのである。上の漢詩は、この情景を詠ったつもりである。
例年、ウグイスは、今頃、“ホ ケキョッ ケキョッ ケキョッ ホ ケキョッ”と、いわゆる“ウグイスの谷渡り”の元気な鳴き声が,ここかしこでこだましていたはずである。今年は心なしか、か弱く“ホ・ホケキョ”の一声が、遠くにいるように聞こえた。
ウグイスと言えば、最近、気になることがある。
かつては木の葉の裏や小枝に小指ほどの大きさの青虫や蛾の幼虫がたむろしていて、その除去に精出していた。また猫の額ほどの庭の片隅に茂っていたブラックベリーの花では、ミツバチや大小さまざまな蝶が飛び交い、密を吸っていた。
ここ2,3年、これらの生物の数が減少しているかな と気にしていたのだが。今年は、直径数mm、体長2cmほどの青虫一匹を目撃したのみ。またミツバチは目撃なし、小さい蝶が2,3羽見かけたのみである。
里山で、ウグイスの生命を支える虫の類が姿を消しつつあるのではないか と危惧するのである。
2018年4月、黄河沿い洛陽と鄭州の中間に位置する、杜甫の故郷・鞏義(キョウギ)市を訪ねる機会があった(閑話休題-79)。その折、記念施設・“杜甫故里”内の柳の木陰で囀るコウライウグイス“黄丽/黄鹂”の鳴き声を聞くことができた。
帰国後の録音を含めて、注意を凝らして聴いたのだが、“ホ ホケキョ”のフレーズを聞き取ることはできなかった。“ホ ホケキョ(法華経)”は、日本人が聞いた、日本のウグイスの鳴き声 ということである。上の漢詩は、残念ながら国際的に通用する詩ではないということである か。