方士は、上は碧空から下は黄泉の国まで奔走したが、楊貴妃の魂魄は杳としてその消息を掴むことはできなかった。ふと海上にあるという仙山の情報を得て、訪ねてみると、それらしい仙女が住まっているようである。いよいよ白楽天の筆が冴えを見せる段に至ったように思え、詩、話題の展開ともに楽しみである。
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<白居易の詩>
長恨歌 (13)
83忽聞海上有仙山、 忽ち聞く 海上に仙山有りと
84山在虛無縹緲閒。 山は虚無(キョム)縹緲(ヒョウビョウ)の間に在り
85楼殿玲瓏五雲起、 楼殿は玲瀧(レイロウ)として五雲起こり
86其上綽約多仙子。 其の上に綽約(シャクヤク)として仙子(センシ)多し
87中有一人名太真、 中に一人有り 名は太真(タイシン)
88雪膚花貌參差是。 雪の膚 (ハダエ)花の貌(カンバセ) 参差(シンシ)として是(コ)れならん
89金闕西廂叩玉扃、 金闕(キンケツ)の西廂(セイショウ) 玉扃(ギョクケイ)を叩(タタ)き
90轉敎小玉報双成。 転じて小玉をして双成(ソウセイ)に報ぜしむ
91聞道漢家天子使、 聞く道(ナラ)く 漢家(カンカ)天子の使ひなりと
92九華帳裡夢中驚。 九華(キュウカ)の帳裡(チョウリ) 夢中に驚く
註] 〇仙山:東海に浮かぶ三つの仙人の山; 〇縹緲:遠くぼんやりとしたさま; 〇玲瓏:
玉のような透き通った輝き; 〇五雲:めでたいしるしである五色の雲; 〇綽約:
なまめかしく美しいさま; 〇太真:玄宗の後宮に入る前の女道士であった時の楊貴妃の名;
〇参差:ほとんど間違いなく; 〇西廂:正殿の西の脇部屋、女性の居室; 〇玉扃:
玉で装飾した門扉、“扃”はかんぬき; 〇轉:順次に取り次ぐ; 〇聞道:……と耳にする;
〇九華帳:多くの花をあしらった帳(トバリ); 〇驚:はっと目が覚める。
<現代語訳>
83ふと耳にしたことには、海上に仙人の住む山があり、
84縹渺と霞む太虚の間に浮んでいるという。
85高殿は玉のように輝き、湧き上がる五色の雲の中に聳えて、
86その上に嫋やかな仙女たちがあまたすんでいる。
87中に一人、太真という名の者があり、
88雪のように白い肌、花のような容貌、果たしてこれがその人ではないか。
89方士は宮殿の西の廂(ヒサシ)の間に来て、玉の門扉を開き、
90さて小玉という少女をして腰元の双成に取り次いでもらった。
91漢の皇帝の使者であるとの知らせを聞き、
92太真は花模様の帳(トバリ)のうちで夢うつつに驚く。
[川合康三 『編訳 中国名詩選』 岩波文庫 に拠る]
<簡体字およびピンイン>
83忽闻海上有仙山、 Hū wén hǎi shàng yǒu xiān shān [上平声十五刪韻]
84山在虚无缥缈闲。 shān zài xū wú piāo miǎo xián
85楼殿玲珑五云起、 Lóu diàn líng lóng wǔ yún qǐ, [上声四紙韻]
86其上绰约多仙子。 qí shàng chuò yuē duō xiānzǐ.
87中有一人名太真、 Zhōng yǒu yī rén míng tàizhēn,
88雪肤花貌参差是。 xuě fū huā mào cēn cī shì.
89金阙西厢叩玉扃、 Jīn què xī xiāng kòu yù jiōng, [下平声九青韻] (通韻)
90转敎小玉报双成。 zhuǎn jiào xiǎoyù bào shuāngchéng. [下平声八庚韻]
91闻道汉家天子使、 Wén dào hàn jiā tiān zǐ shǐ,
92九华帐里梦中惊。 jiǔ huá zhàng lǐ mèng zhōng jīng.
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話題は、神仙界での出来事へと転じています。前回(閑話休題265)、蘇軾の《驪山三絶 其三》でも“三仙山”の話がありました。漢詩の世界では、神仙界の想像上の事象が、直接の話題としてあるいは寓話として度々登場します。
“神仙界”の話題に遭遇した際、兼々、道教・老荘思想・神仙思想について歴史的に、またそれらの内容の関連など、疑問を感じつつも素通りしてきました。今を良い機会として、自らの後学の為に調べてみました。ちょっと整理してみます。まず“神仙思想”について。
“神仙思想”は古く、古代中国で庶民の間に広まった民間信仰であり、“仙人”の存在を基礎としているようだ。“仙人”は、山中に住み、不老不死で、空中を自由に飛翔できるなどの“神通力”を持っている。“仙人”の住む山は“(神)仙山”とされ、東方の海上にあり、主に蓬莱山、方丈山、瀛州山(エイシュウザン)の“三神山”が想定され、山中には“不老不死の薬”がある と。
“神通力”や“不老不死の薬”は、庶民のみならず、人間として誰しも欲するものであろう。需要/供給の関係で、実際に“方(術)士”と称する、その信仰(神秘的な考え)に精通したあるいはそれを吹聴して広める者が存在していた。紀元前数世紀の頃、燕(河北省)や斉(山東省)を中心に“方(術)士”の活躍は始まり、徐々に他国に広まったようである。
伝説では、“(神)仙山”は、渤海湾の海上、海岸からそう遠くなく、縹緲として霞んで在るとされ、近づくと風波を起こして船を寄せ付けず、宮殿は悉く黄金や銀でできており、棲んでいる鳥獣はすべて白色である と。渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海にあるともされている。それ故であろう、日本を“(神)仙山”に擬する話題も時に見ることがある。
史記(司馬遷)の徐福伝説では、触れられていないようであるが、古代の地理書『山海経』(著者、成立年代不明、前漢以降成立)では、蓬莱山とは“蜃気楼”であることを示唆するような記載があるようである。謎解きは、解けてしまうと興味が失せるが、謎の多い古代の話題は興味が尽きない。道教・老荘思想との関連については、次回に触れます。
[句題和歌]
長恨歌の特定の句というより、方(術)士が活躍する物語の流れとの関連が考えられる歌として、『源氏物語』(紫式部)・第一帖「桐壺」に挿入された歌が挙げられています(千人万首asahi-net.or.jp)。
帝の寵愛を一身に集めていた桐壺更衣は、美貌の若宮(第二皇子、後の光源氏)を設けます。先に第一皇子を設けていた弘徽殿の女御はじめ、周りの妃たちの妬みにあい苛められ、体調を崩します。若宮の誕生数年後、更衣は若宮を伴って実家に帰り保養に努めますが、薬石効なく亡くなります。
帝は、靫負の命婦(ミョウブ)を使いにして、実家での様子を報告させていた。更衣の没後の使いの折、命婦は、更衣の母の思いなどを伝えた後、贈り物を帝の御前に並べた。そこで帝は、「これが唐の幻術師が他界の楊貴妃に逢って得て来た玉の簪(カザシ)であったらと かいないこともお思いになった」として、次の歌を載せています(青空文庫 与謝野晶子訳 『源氏物語』から)。
尋ねゆく まぼろしもがな つてにても
魂(タマ)のありかを そこと知るべく(紫式部 『源氏物語・桐壺』)
(大意) 亡き桐壺の更衣のまぼろしを探しに行ってくれる方士はいないものか、
せめて人伝にでも 魂のありかを知りたいものである。