側近の士で、歌仲間の素暹(ソセン)法師が地方への旅に出た折に詠ったという、法師を千鳥に譬えて詠っています。譬喩(ヒユ)歌と言えるのでしょうか。恋の歌と読めそうですが、それにしても仲間内で少々戯(オド)けているように読めます。
小島吉雄 校注『金槐集』では、[(大意) あちこちと遠方へまで出かけてゆく君だから心変わりせずに とどうして約束できようか、頼りないことだ。] としています。漢詩では、その意を充分に含むよう努めました が。
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[詞書] 素暹(ソセン)法師物へまかり侍(ハベリ)けるにつかはしける
奥津波(オキツナミ) 八十島(ヤソシマ)かけて すむ千鳥
心ひとつと いかがたのまむ
(柳営亜槐本・金槐集 雑・607; 続拾遺集 羇旅・711)
(大意) 多くの島々を渡り住む千鳥、心変わりすることがないものと どうして信頼することができましょうか。
註] ○この歌は 定家所伝本にはない; 〇物へまかり侍けるに:地方への旅
に出た時; 〇奥津波:八十島の枕詞; 〇八十島かけて:あちこちの沢山の
島へかけて; 〇千鳥:素暹にたとえた; 〇心ひとつ:二心なし の意。
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<漢詩>
贈素暹法師 素暹(ソセン)法師に贈る [上声十九皓‐上声十七篠通韻]
沖海嘯刷八十島、 沖の海嘯(カイショウ) 八十(ハッシン)島を刷(アラ)い、
棲穩無常浜千鳥。 棲穩(スミツク)こと常ならぬ浜千鳥(ハマチドリ)。
只恐可能心易変, 只(タ)だ恐る 心(ココロ)易変(カワリヤス)き可能(ミコミ)あり,
一心信賴不堪擾。 一心の信賴 擾(フアン)に堪(タ)えず。
註] 〇沖海嘯:枕詞“沖津波”の漢訳、沖の荒波; 〇刷:波が島々を洗う;
〇八十島:杜牧 「江南の春」に準じて、“八十(ハッシン)”と読む、多くの島々;
〇棲穩:住み着く; 〇一心:一途に、心をひとつにする。
<現代語訳>
旅に出る素暹(ソセン)法師に贈る
沖の荒波に洗われる島々、
浜千鳥は一つの島に住み着くことなく、島々に渡り住む。
心変わりし易いからではないか と気掛かりで、
一途の心の信頼に不安を覚えるのである。
<簡体字およびピンイン>
赠素暹法师 Zèng sù xiān fǎshī
冲海啸刷八十岛, Chōng hǎixiào shuā bāchén dǎo,
栖稳无常滨千鸟。 qī wěn wú cháng bīn qiānniǎo.
只恐可能心易变, Zhǐ kǒng kěnéng xīn yì biàn,
一心信赖不堪扰。 yī xīn xìnlài bù kān rǎo.
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素暹法師:俗名東胤行(トウノタネユキ、?~?)、東重胤の子。実朝側近の士で、また歌友。出家は、実朝の死後と思われるが、この集編纂の時はすでに出家後であったから、その編纂者の言葉として、“……法師”のような書き方をしたのである。
素暹法師は、掲歌への返歌として次の歌を贈っている。此処では、“住みこし浦”を実朝に譬えているのでしょう。両歌とも定家所伝本にはない。
浜千鳥 八十島かけて 通うとも、
住みこし浦を いかが忘れむ
(柳営亜槐本・金槐集 雑・608; 続拾遺集 羇旅・712)
(大意) 浜千鳥は、島々を飛び回っていたとしても これまで住んでいた浦(港)をどうして忘れることがありましょうか。
東胤行は、承久の乱での功で,下総(シモウサ)東荘(トウノショウ)(千葉県)の領主から美濃 (岐阜県)郡上(グジョウ)郡山田荘の地頭となる。藤原為家(タメイエ)に和歌を学び,その娘婿となり,二条流の歌人として知られた。勅撰集に22首入集されている と。