愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題364 金槐和歌集  きのふこそ 夏は暮れしか 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-11 09:37:03 | 漢詩を読む

実朝の歌は、蜩(ヒグラシ)が喧しく鳴いていた夏が終わり、暑さも和らぐ頃、7月(旧)初めに詠まれた歌である。時期的には今日とは随分異なるが、気候的にはちょうど今頃(旧8月)と言えるでしょうか。秋風に敏感に反応しています。

 

ooooooooo 

  [詞書] 七月(フミヅキ)一日(ツイタチ)のあしたよめる 

きのふこそ 夏は暮れしか 朝戸出の 

  衣手さむし 秋の初風 

      (『金槐集』秋・155; 『新続古今集』巻四・秋上・347) 

 (大意) 昨日こそ 夏が終わったのであろう、朝の外出時に袖口の寒さを覚え

  たよ、きっと秋の初風に違いない。 

 註] 〇朝戸出の衣手:早朝の外出の着物の袖。

xxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   初秋風    秋の初風   [上平声一東韻]

無端知昧旦,  無端(ハシナクモ) 昧旦(マイタン)に知る、 

先已晚蝉終。  先(マ)ず已(スデ)に 晚蝉(ヒグラシ)終(ヤ)む。

早班袖口冷,  早班(ハヤデ)に袖口(ソデグチ)冷(サム)く,

応是初秋風。  応(マサ)に是(コ)れ 初の秋風。

 [註] 〇無端:偶然に; 〇昧旦:まだ暗い明け方; 〇早班:早出の勤務。 

<現代語訳> 

   秋の初風

偶然にも今朝早くに知ったのだが、 

先に蜩(ヒグラシ)の鳴くのは終(ヤ)んでいる。 

早朝の早出で外に出ると、袖口が寒かったよ、 

まさに秋の初風のせいであろう。 

<簡体字およびピンイン> 

 初秋风          Chū qiū fēng 

无端知昧旦,   Wúduān zhī mèi dàn, 

先已晚蝉   xiān yǐ wǎn chán zhōng

早班袖口冷,   Zǎo bān xiù kǒu lěng, 

是初秋   yīng shì chū qiū fēng

ooooooooo  

 

今年は、例年になく、世界規模で地球温暖化が進み、日本では未だに日中は30数℃を超す猛暑・苦熱に悶々として過ごす日々である。文明の利器・冷房機なしでは、生命を危険に晒す状況である。ここ2,3日、朝夕やや涼しさを覚えるが、本格的な秋の到来を待つ思いや切なる所である。

 

次の歌は、実朝掲歌の本歌とされている。

 

きのふこそ 早苗とりしか いつのまに 

  稲葉そよぎて 秋風の吹く (読み人知らず 『古今集』巻四・秋上・172) 

 (大意) 早苗を採り、田植えしていたのは、つい昨日だと思っていたのに、

  いつの間にか成長し、稲の葉が秋風に揺れてそよそよとそよいでいるよ。 

 

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閑話休題363 金槐和歌集  恋3首-3 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-07 09:53:12 | 漢詩を読む

zzzzzzzzzzzzz -1 

 

曽て、後朝(ゴチョウ又はコウチョウ)という習慣があった。男女が共寝した翌朝、男性は直ちに帰宅して、後に女性は独り取り残されるのである。この折の女性の想いを、実朝は、女性に“なりすまし”て詠っています。

 

ooooooooooooo 

  暁の恋 

さ筵に 露のはかなく おきて去なば

  暁ごとに 消えやわたらむ  (金槐集 恋・454; 新勅撰集 巻二 801)

 (大意) 君が起きて帰ってしまうと さむしろに涙をはかなく置いて 暁ごとに

  わたしは恋の悲しさのために死にそうな思いを続けるのです。 

  註] 〇さ筵:“さ”は調子を整える接頭辞、“筵”は 今でいう上敷き; 

  〇おきて:「露置きて」と「朝起きて」との掛詞; 〇消えわたる:“露の 

  消える”と“命の消える”とを掛ける、”わたる”        は、動詞の連用形 

  について補助動詞として、“ずっと…しつづける、絶えず…する”の意。

 ※ “露”、“おく”、“消え” は みな縁語。 

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<漢詩> 

  暁時憂愁     暁時(アカツキ)の憂愁   [上平声十灰-上平声四支通韻] 

君臨晨忽起帰回, 君 晨(アサ)に臨(ノゾ)んで忽(コツ)として起き 帰回(カエ)る,

我床単上降露滋。 我 床単(ウワジキ)上に露を降(オ)くこと滋(シゲ)し。

猶如朝露就消尽, 朝露 就(スグ)に消尽(ショウジン)するが猶如(ゴトク)に,

悲痛欲絶每暁時。 暁時(アカツキ)每に 悲痛(カナシミ)に(身を)絶たんと欲す。

 註] 〇床単:上敷き、筵。 

<現代語訳> 

  暁の憂鬱 

あなたは 朝に起きるとすぐに帰られる、

わたしは 上敷きの上に涙を流して耐えている。

あたかも朝の露がすぐに消えてしまうように、

暁にいつも身を亡ぼしたくなるほどに 悲しい思いに駆られるのです。

<簡体字およびピンイン> 

  暁時憂愁    Xiǎo shí yōuchóu  

君临晨忽起归回, Jūn lín chén hū qǐ guī huí,

我床单上降露滋。 wǒ chuángdān shàng jiàng lù

犹如朝露就消尽, Yóu rú zhāo lù jiù xiāo jǐn, 

悲痛欲绝每晓时。 bēi tòng yù jué měi xiǎo shí

ooooooooooooo 

 

実朝の掲歌は、次の歌の本歌取りの歌であろうとされている。

 

身をつめば 露をあわれと 思ふかな 

  暁ごとに いかでおくらむ  (よみ人しらず 拾遺集 巻十二 730 ) 

 (大意) 露は哀れなことよと、身に抓まされる思いがする、暁ごとにどの

  ように過ごしたものかと 思い悩んでいるのである。

  註] ○身をつむ:わが身に照らして思い遣られて、わが身を抓って人の 

  痛さを知ることから。   

 

 

zzzzzzzzzzzzz -2  

 

人の来訪の少ない宿、積もった雪のため なおも人の足が遠のき、一日一日と空しく過ごす。本歌は、“恋”の部に収められていることから、この歌中の待ち人は恋人であると言えよう。

 

oooooooooooo 

 [詞書] 雪中待人  

けふもまた ひとりながめて 暮れにけり 

  たのめぬ宿の 庭の白雪  (金塊集 恋・489) 

 (大意) 来ると言う約束をしている人はいないが、万一にも誰かきてくれ

  ないかと心待ちして庭の白雪をながめて一日を暮らしている。 

   註] ○けふもまた:昨日も一昨日もひとりながめて暮らしたことを意味

  している; 〇ながめて:物思いながら、じっと物を見ていること; 

  〇たのめぬ宿:来るという約束はしていないわが宿。  

xxxxxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 雪中待人      雪中 人を待つ  [上平声十灰韻]   

吾宿平生無人訪, 吾宿には平生(ヘイゼイ) 訪ねてくる人はいない、 

心中盼望孰能来。 心中 孰(タレ)か来てくれるのを盼望(マチノゾンデ)いるのだが。 

抱膝眺望庭中雪, 膝を抱(ダ)いて 庭中の雪を眺望(ナガメテ)いるうちに, 

今一天亦暮鍾催。 今(キョウ)一天(イチニチ) 亦(マ)た暮の鍾が催(ヒビイテ)きた。 

 註] 〇心中盼望:心待ちにしている; 〇孰:誰か不特定の人; 

  〇抱膝:独り静かに思いにしずむこと。 

<現代語訳> 

 雪を眺めつつ人を待つ 

兼ねて我が住まいに人が訪れることはなく、

万一にも誰か訪ねて来るのではないかと心待ちにしているのだが。

独り静かに庭の白雪を眺めているうちに、

暮れの鐘の音が響き、今日も又一日が暮れていくよ。

<簡体字およびピンイン> 

 雪中待人         Xuě zhōng dài rén  

吾宿平生无人访, Wú sù píng shēng wú rén fǎng,

心中盼望孰能来。 xīn zhōng pànwàng shú néng lái.

抱膝眺望庭中雪, Bào xī tiàowàng tíng zhōng xuě,

今一天亦暮锺催。 jīn yī tiān yì mù zhōng cuī.

ooooooooooooo 

 

本歌のモチーフは、“冬”を詠う常套の情景描写と言えるのではないでしょうか。定家本では、“恋”部に収められていますが、貞享本では、“冬”の部に入っている。[詞書]で、“待ち人”が対象であることを考慮して、やはり定家本に従った。

 

 

zzzzzzzzzzzzz -3  

 

非常に難しい歌である。ある思い人に対する恋心、打ち明け、思いを遂げることが出来ず、常緑の松の葉のごとくに長しえに悶々として悩んでいる、と理解して翻訳に臨みました。“思春期の頃”の初々しい実朝の姿を想像しつゝ。如何?

 

ooooooooo 

  [詞書] 久しき恋の心を 

しらま弓 磯辺のやまの 松の葉に 

  常盤にものを 思うころかな 

     (『金塊集』 恋・500; 『新勅撰集』 巻第十三) 

 (大意) 磯辺山に生える松の葉の如くに 長しえに物思いに耽っている。 

  註] 〇しらま弓:「射(い)」の枕詞; ○磯辺:海辺、浜辺; 〇上3句:「ときわ」の序; 〇「常盤にものを 思う」はいつも変わらず物を思うこと; 「ときはに」と「おもふころ」の「ころ」とが意味の上で緊密性を欠いている(後参照)。

xxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   沈湎     沈湎(チンメン)    [上平声十五刪‐上平声十三元通韻]

檀弓海辺山, 檀弓 (シラマユミ)海辺の山, 

万古綠松繁。 万古(バンコ)に綠の松 繁(シゲ)る。 

憂慮纏綿繞, 憂慮(ユウリョ) 纏綿(テンメン)として繞(メグ)り, 

沈沈自無言。 沈沈(チンチン)として 自ずから言(ゲン)無し。 

 註] ○沈湎:物思いに耽る; 〇檀弓:造語で、和歌の枕詞「しらま弓」

  の当て字、語調を整えるため用いた。; 〇海辺山:磯辺山、海辺の山; 

  〇纏綿:心にまつわりついて離れないさま; 〇沈沈:静まり返っている

  さま。  

<現代語訳> 

  物思いに耽る 

磯の辺にある山には 

長しえに緑を保つ松の木が生い茂っている。

この松葉の如くに、思い煩うことが心に纏わりつき、 

静かに無言のまゝ 何時までも物思いに耽っているのである。

<簡体字およびピンイン> 

   沉湎         Chénmiǎn

檀弓海边山, Tán gōng hǎi biān shān, 

万古绿松繁。 wàn gǔ lǜ sōng fán. 

忧虑缠绵绕, Yōu lǜ chán mián rào,   

沉沉自无言。 Chén chén zì wú yán

ooooooooo  

 

実朝の掲歌は、『万葉集』の次の歌を参考にしたであろうとされている。

 

しらま弓 いそべの山の ときはなる 

  命なれやも こひつつをらむ  (柿本人麻呂? 『万葉集』巻十一・244)

 (大意) 石辺の山が永遠であるように、永久に変わらぬ命であろうか、そうで

  はない、どうして恋しく思っているまゝで永久に過ごすことができようか。

  註] 〇滋賀県湖南市の石部(イシベ)か? 磯部(イソベ)とも呼ばれた。東海道

  五十三次の一駅。 

 

掲歌の[]に指摘された「ときはに」と「思うころ」について: これは、[『金槐和歌集』小島吉雄 校注]で指摘されている点である。

 

『デジタル大辞泉』に拠れば、「ころ(頃)」は、「あるきまった時期の前後を含めて大まかに指す語。ある期間」とある。確かに「常盤に(永久に変わらないこと、また そのさま)」の概念と相いれないようである。歌の第五句・「思う頃かな」を、例えば、“思春期の頃”と解するなら、やゝ疑問は解けそうに思える。

 

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閑話休題362 金槐和歌集  さゝ浪や 比良の山風 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-04 09:21:15 | 漢詩を読む

秋の清涼な澄んだ空気感の中、冴えわたる月明かりは、何とは無しに“寂しさ”を催すものである。夜半、名勝・志賀の唐崎にあって、比良から吹き下ろす山風に松籟を聞けば、一層その感を強くするのではないでしょうか。 

 

ooooooooo 

  [詞書] 名所秋月

さゝ浪や 比良の山風 さ夜深(フケ)て    

  月影さむし 志賀の唐崎 

     (『金槐集』 秋・243; 『続千載集』秋・下・284) 

 (大意) 比良山から山風が吹き下ろす中、夜更けて 月が寒々と照らしている

  志賀の唐崎である。

  註] 〇さゝ浪:近江の地名、転じて“さゝ浪や”は比良の枕詞。

xxxxxxxxxx  

<漢詩> 

   名勝秋月     名勝の秋月    [上声二十三梗韻] 

比良山風過, 比良の山風 過ぐ,

松籟清涼境。 松籟(ショウライ) 清涼なる境(トコロ)。

志賀唐崎畔, 志賀の唐崎の畔(キシベ),

夜深寒月影。 夜深くして 寒き月影。

 註] ○名勝:名所; 〇松籟:松の梢に吹く風、またその音; 〇志賀唐崎:

  滋賀県大津市、琵琶湖の西岸にあり、近江八景の一つ。松尾芭蕉に「唐崎 

  の松は花より朧にて」の句がある。  

<現代語訳> 

  名所の秋月 

比良の山から山風が吹き下ろし、

麓では爽やかな松籟が響く。

志賀の唐崎の岸辺には、

夜更けて 寒々とした月影が映えている。 

<簡体字およびピンイン> 

   名胜秋月     Míngshèng qiūyuè 

比良山風过, Bǐliáng shānfēng guò,    

松籁清凉境。 sōnglài qīngliáng jìng.  

志贺唐崎畔, Zhìhè tángqí pàn,

夜深寒月影。 yè shēn hán yuèyǐng.       

ooooooooo  

 

掲歌の主題とも言える夜半に覚える「月影さむし」、この表現は、意外に先例がないという事である。ただ、藤原定家に次の歌があり、これを参考にしたか としている(渡部泰明 編『源実朝・虚実を越えて』から「実朝像の由来」)。

 

さをしかの 妻どふを田に 霜おきて 

  月影さむし 岡のべの宿 (建仁元年八月十五夜撰歌合・八四) 

 (大意) 牡鹿が妻を求めて鳴く今宵、田には霜がおりて 月影が寒く感じられ

  る岡辺の宿である。 

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