(p189より引用) 人間というのは優越感と劣等感で育っていくものだと思います。・・・自分というものをつかむ。そして自分が生きていくということに誠実であろうとするときに、砥石のような働きをしてくれるのは、他の人と比べて自分はどうであるかということであり、ある場面で優れているということ、ある場面で劣っているということを一つ一つ自覚していくことが、人間が自分を自分として自覚していく最初の出発点だと思うんです。それをできるだけなくそうというのは、本当に何を考えているのか私にはわからない。
そこそこ年をとってくると(といってもまだ40歳台ですが)、こうしておけばよかったと今更ながら残念に情けなく思うことがあります。そのひとつが、「もっと大学の授業を真面目に聞いておけばよかった」ということです。そう考えていたとき、たまたま書店でこの本を見つけました。(単純にタイトルに惹かれて・・・)
本書の中で著者村上陽一郎氏は「教養」というキーワードでいろいろなことを論じていますが、ひとつ、現代における「教養」教育の退化を憂えています。
自分というものを育て確立する場としての教育現場(学校)において、自己を自覚する機会を「平等」の名の下に無くさしめている状況に強い疑問・不満を抱いています。
学校という限られた環境の中で競争や比較を表層的な意味で見えなくしたとしても意味があるとは思えません。結局のところその後の人生においてはもっと厳しい状況に直面するのです。競争や比較の是非についてはともかく、(そういう理由で)「徒競走」をやめたり、一斉に走らせるものの順位をつけるのをやめたりといった非本質的な対処療法は私にも全く理解できないところです。
やりなおし教養講座 NTT出版ライブラリーレゾナント005 | |
村上 陽一郎 | |
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