勝海舟と西郷隆盛、幕末の時代、二人は敵味方の間柄ではありましたが、海舟は西郷の底知れない大きさに敬意を抱き、また彼の判断・行動に全幅の信頼をおいていました。
その西郷の大きさ、人としての余裕の源泉を次のように語っています。
(p307より引用) 彼(西郷)は常に言つて居たヨ。「人間一人前の仕事といふものは高が知れる」といつていたヨ。どうだ。余裕といふものは、ここだヨ。・・・全体自分が物事を呑み込まなければならないのに、かへつて物事の方から呑まれてしまふから仕方がない。これもやはり余裕がないからの事だ。
西郷は、「ひとりの人間ができることには限界がある」ことを理解し、それを所与の前提としていました。決して、人の能力が無限であると考えていたのでもなく、また無限であるが故の「余裕」を感じていたわけではありません。むしろ、人のできることは「どうせ高が知れている」と「見切っていた」ところから、心の余裕を産み出していたのです。
物事をすべて自分の手の内に包含しようと思うこと自体が、もう対象を大きなものとして意識していることになる、そして、その姿はすでに心の余裕が失われているということなのでしょう。