カントは本書において、「永遠平和」が単なる空想ではなく現実的に実現可能であることを論証しています。
そして、その根拠として、「自然が永遠平和を保証していること」「自然は、本来的に平和に導くものであること」を掲げています。「自然」にそんな力があるとは直感的には考え難いのですが、カントは以下のような論旨を展開しています。
(p54より引用) この(永遠平和)保証を与えるのは、偉大な技巧家である自然・・・にほかならない。自然の機械的な過程からは、人間の不和を通じて、人間の意志に逆らってでもその融和を回復させるといった合目的性がはっきり現われ出ている・・・
(p68より引用) 自然は、法が最後には主権を持つことを、あらがう余地なく意志している、と。ひとがいまここでなすのを怠っていることも、多くの困難をともないさえすれ、ついにはおのずからなされることになろう。
(p70より引用) このように自然は、賢明にも諸国民を分離し、それぞれの国家の意志が、国際法を理由づけに用いながら、そのじつ策略と力によって諸国民を自分の下に統合しようとするのを防いでいるが、しかし自然は他方ではまた、互いの利己心を通じて諸国民を結合するのであって、実際世界市民法の概念だけでは、暴力や戦争に対して、諸民族の安全は保障されなかったであろう。
以上のように、カントは、自然そのもののもつ「永遠平和への意志」を説き起こしています。
この意図は、もちろん彼の哲学的思索の論理的帰結であるとともに、当時の人々に対し「永遠平和の実現が現実的なものである」との希望を抱かせるためでもあったと思います。可能性があれば、理性的な人々はその実現に向かって努力すると信じているのです。
本書の訳者である宇都宮芳明氏は、巻末の解説にて以下のように指摘しています。
(p134より引用) こうしてカントによると、「自然は人間の傾向そのものにそなわる機構を通じて、永遠平和を保証する」のであって、この保証は永遠平和の到来を理論的に予言するものではないが、しかし、永遠平和がたんなる空想ではなく、それにむけてわれわれが努力することの意義を保証するのである。
そして、努力なくしては実現しない、努力すれば実現するとの確信です。
(p135より引用) もちろん永遠平和は、人類が手を束ねていてもおのずから実現する、というのではない。人間はそれぞれ道徳的完成にむかって努力し、人類が全体として完成するために、永遠平和の実現をも道徳的義務としなければならない。自然は人間のこの努力に協調するのであって、それを妨害したりはしない。