ファインマン(Richard Philips Feynman 1918~88)氏は、アメリカの理論物理学者です。
1942年にプリンストン大学で原子爆弾開発のためのマンハッタン計画の最初の段階に加わり、翌年からはロスアラモス研究所で終戦までその仕事を続けました。
1965年には、光子の電子と陽電子への変換に関する研究と変換で生じる電荷と質量の変化の測定法の開発により、アメリカのシュウィンガー、日本の朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を受賞した一流の物理学者でした。
本書は、1963年4月ワシントン州立大学での講演を起こしたものです。
なるほどと首肯できる点もあれば、果たしてそれでいいのかと疑問に思う点もありました。
まずは、なるほどという点です。
(p11より引用) 研究は応用のためにやるものではありません。ついに真実を突き止めたときの興奮を味わうことこそがその目的なのです。
理論物理学者としてはさもあらんとの感じがします。
また、以下の言葉は、ノーベル賞をはじめとしていくつもの賞で評価された先駆的業績に至る険しさを表現しています。
(p29より引用) なにしろいままですでに観察されたものと、細かいところまで矛盾がなく、それでいていままで考えられたことのある何物とも異なっており、しかも見たこともないものを想像するのは、まったくもって難しい。おまけにその定義は漠然としたものではだめ、具体的でなくてはならないんですから、これぞまさしく至難の技です。
さらにファインマン氏は、それらの研究成果を絶対的真実と考えてはいません。
現時点で矛盾なく成立している理論も、将来にわたって確かなものであるとは限らないとの考えです。
(p36より引用) 僕は無知というたいへん有益な哲学と、そのような哲学をとおして達成され、思考の自由から実ったさまざまな進歩をよく知っている科学者として、ある責任を感じざるをえません。ですからこの自由の価値を言い広め、疑いは決して恐れるべきものでなく、むしろ人類に潜む新しい可能性として、歓迎すべきものだということを、教えていく責任を感じるのです。もし何か不確かなことがあれば、それを改善する機会があるというものでしょう。僕は未来の世代のために、この自由を要求していきたいと思います。
不確かさの認識、言いかえれば、未だ真実にたどり着いていない無知の状態に、積極的な進歩の余地を認めているのです。
(p124より引用) 僕は心を開いていることの大切さ、不確かであることの価値を説き、いまでっちあげた解答など選ぶより、新しいことを発見する余地を残すことの重要さを、熱心に訴えました。
他方、これでいいのかと感じた部分です。
(p8より引用) 何かができる力は価値あるものと、僕は考えます。結果の善し悪しはその使い方によるのであって、力それ自体は価値のあるものです。・・・科学はある意味で天国の門を開く鍵ですが、その同じ鍵で地獄の門も開けられるのです。・・・
社会と科学の関係で大問題になるものといえば、きまってこの面です。
この問題についてファインマン氏は、こう考えています。
(p9より引用) その力をどう使うかはわかっていても、それをどう抑制するかは、はっきりしないというこの事実は、科学の問題というより、むしろ科学者があまりよく知らない領域のことなのです。
確かに「科学者の専門領域ではない」のでしょう。
基礎理論がその後どういう応用技術に展開されていくのか、その行く末までの製造者責任を理論物理学者に負わせるのは酷だと思います。
とはいえ、、あまりにも明け透けに言われてしまうと、正直なところ「科学者の無責任さ」を感じてしまいます。
ファインマン氏は、マンハッタン計画の参画者のひとりだったのですから。
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