いつもの図書館の新着本リストの中で目につきました。
開高健さんによる「本をめぐるエッセイ」なのですが、彼の書斎や蔵書の写真もふんだんに掲載されていて眺めているだけでも楽しい本です。
その中から私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきます。
まず、開高さんのエッセイ「白いページ」の「続・読む」から、本を手に取るときの開高流作法について。
(p77より引用) 本にも“匂い”があって、香水瓶は栓をとらないとわからないけれど、これはいつも栓をとった状態でそこにあるのだ。その匂いが第六感でヒクヒクと嗅ぎわけられるようになってくる。本は、だから、読むまえにまず嗅ぐものであるわけだ。
つぎに本は、読むまえに、見るものでもある。パラパラと頁を繰ったときに字の行列のぐあいを一瞥すると、かなりのことが見えるものである。つまり、頁は画でもあるのだ。それが読むまえにちょっと見えるようでないといけない。
同じエッセイから、もう一か所。“傑作”といわれる作品の読後感を取り上げたくだりです。
(p82より引用) よく読後に重い感動がのこったと評されている”傑作”があるが、これは警戒したほうがいい。ほんとの傑作なら作品内部であらゆることが苦闘のうちに消化されていて読後には昇華しかのこされないはずで、しばしばそれは爽やかな風に頬を撫でられるような《無》に似た歓びである。作品内部での不消化物が読後の感動ととりちがえられて論じられる例があまりに多すぎるので、そんなことも書きとめておきたくなる。
なるほど、これもなかなか含蓄のある指摘ですね。
そして、本書の最終章は、「『名著ゼミナール 今夜も眠れない』から厳選30冊!」とのタイトル。
1984年から85年にかけて「月刊カドカワ」に掲載された本からの抜粋が紹介されています。
さて、私の趣味は開高さんの好みとどのくらい同期しているでしょう?
結果、列挙された本のうちで私が読んだことがあるのは、なんと2冊。「パパラギ」と「ソロモンの指輪」だけでした。そのころは私が社会人になったばかりのころで、それほど本を読んでいなかったのが如実に顕わになってしまいましたね。