いつも聴いているピーター・バラカンさんのPodcastの番組のゲストで著者のMatt Altさんが出演していて、この本の内容のさわりを話していました。その話がとても面白かったので手に取ってみた次第です。
Mattさんは1973年米ワシントンDC生まれ、ウィスコンシン州立大学で日本語を専攻したあと慶應義塾大学に留学。その後来日し翻訳や通訳の仕事をしながら日本のポップカルチャー研究家としても活動しています。
そのMattさんの眼に映った日本の戦後以降の文化はいかなるものだったのでしょうか。
彼は、まず彼は「序章」でこう語っています。
(p26より引用) こうして日本はまさに経済的に破綻した一九九〇年代に、文化的には世界への発信力を爆発的に高め、希望と夢を地球上に撒き散らしたのだった。言うなれば日本は、遊びとファンタジーをエネルギーとする超新星として立ち現れた。
さて、本書では、日本で誕生した様々なポップカルチャーに関するエピソードがいくつも紹介されているのですが、その多くは、Mattさんが「ファンタジー・デリバリー・デバイス」と名付けたものたちに関わる物語でした。
それらの中から、特に私の関心を惹いたものをいくつか書き留めておきましょう。
まずは、日本発の「カラオケ」について。
「カラオケ」が一気に人気沸騰した大きな理由は、カラオケの生みの親とも言うべき根岸重一さんも井上大佑さんも特許の申請をしなかったことでした。
(p129より引用) こうして大手メーカーがシェア争いをするようになると、カラオケマシンは一気に普及し始める。神戸から大阪へ、そして七〇年代のうちに日本全国へ広がった。急速な普及が可能だったのは、カラオケマシンのコンセプトが パブリックドメインであったことが大きい。誰のものでもなかったカラオケは、みんなのものになったのである。
井上さんたちは、「カラオケ」という装置(ハードウェア)も部品の寄せ集めに過ぎないと思っていましたし、“ビジネスモデル”で特許が取れるとも考えもしなかったのです。
もうひとつ、SONYの「ウォークマン」のヒットの背景について。
1970年代後半以降、日本は高度成長と低インフレという好景気の波に乗っていました。
(p206より引用) 人々は、人口が密集し慌ただしく時の流れる都会のストレスから逃れ手っ取り早く楽しめるものを渇望した。つまり、ウォークマンのようなファンタジー・デリバリー・デバイスの魅力に非常に敏感になっていたのである。カラオケが大人たちを虜にし、プロの歌手のようにパフォーマンスできるというファンタジーに酔わせたように、ウォークマンは自分で選んだ音楽をどこにでも持ち運び自分一人で聴けるという夢のような約束をしてくれた。それに、ウォークマンはふつうの生活にBGMをもたらしてくれる。ごくありきたりで単調な生活も、背景に音楽が流れた瞬間にスリリングなドラマの世界に変貌する。平凡な現実を瞬時に魅力的なファンタジーに変えてくれる画期的な現実逃避デバイス、それがウォークマンだった。
こういった“現実逃避”“オタク”的風潮が、それに続く「ゲーム」「アニメ」「SNS」などの流行に通底していくのでした。
さて、この本を読むと、近年世の中で流行したものは、確かに“モノ”ではなく、その時世にアクティベートされた“コト”であり、新しい“様式”であり、新しい“スタイル”であることがよく分かります。
キティちゃんグッズを身に付けている姿、カラオケで自分自身に陶酔している姿、街中でウォークマンで音楽を楽しんでいる姿・・・。何か新しい“モノ”が話題になっても、ただその“モノ”が物理的に存在するだけでは文化にはなり得ません。
その“モノ”が何がしかの“人の営み”の中に位置づけられて、新たな感性やスタイルを産み出し具現化し起動していく、そういう動的な“コト”(ムーブメント)が新しい“カルチャー”を孵化させていくのでしょう。