著者は、「一般財団法人日本再建イニシアティブ」の理事長でもある評論家船橋洋一氏。
この一般財団法人日本再建イニシアティブがプロデュースした最初のビッグプロジェクトが「福島原発事故独立検証委員会」、いわゆる「民間事故調」でした。
本書は、民間事故調を率いた船橋氏による未曾有の大惨事となった福島第一原子力発電所事故の実相を描いたノンフィクションです。
3月11日、地震発生後の午後5時ごろ、官邸では菅首相が寺坂原子力安全・保安院院長と武黒東京電力フェローを前に苛立っていました。
(上 p72より引用) 菅は、なぜ、電源が止まったのかについて詳しく質した。・・・
武黒がうまく答えられないと、「何?わからない?じゃ、社長呼べ」
寺坂もダメだと、「わかるやつ呼べ」
菅は、苛立った。
・・・
細野が割って入って、言った。
「総理、いま必要なのは、なぜ、止まったということの解明より、止まったあとどうするのかということだと思います」
今回の大惨事においては、菅首相と中心とした官邸の動きが大いに問題視されましたが、他方、福島県をはじめとする関係自治体の判断・行動にも他責的な姿勢が色濃く見られたようです。
ヨウ素剤の配布・服用に関して、独自に一人称で検討・実行した三春町のようなケースは例外中の例外であって、ほとんどの自治体は旧弊に凝り固まった受け身体質でした。
(上 p223より引用) 原発周辺市町村のほとんどは、指示を待っていた。
自治体は県の指示を待っていたが、指示は来なかった。
県は国の指示を待っていたが、原災本部(ERC)から指示はなかった。いや、県が本当に国の指示を待っていたのかどうかは、わからない。
「自ら自治体と住民に指示を出さなくて済むように、国に指示を出させないよう国を牽制していた」といった方が真実に近いかもしれない。
こういった本来動きべき組織が機能不全に陥っている中、唯一組織的に危機対応したのが「自衛隊」でした。
(上 p401より引用) 原発事故への対応は事業者、つまり電力会社が第一義的な責任を負う。・・・
しかし、もはやそんなことを言っている場合ではない。
自衛隊は突如、「二正面作戦」(地震・津波と原発事故)を強いられることになった。
統合幕僚監部の表現を使えば、「計画はない、作戦はない、人員もいない、装備もない、訓練もしていない」状態のまま、原発事故対応に臨んだのである。
これに「情報もない」を付け加えてもよかった。
危機に直面しての自衛隊の行動スタイルは、まさに合目的的であり機能的なものでした。
それを体現するのが部隊の指揮官であり現地の指揮官です。3月11日19:30の「原子力緊急事態宣言」の発令を受け、自衛隊は「原子力災害派遣部隊」を編成しました。その中核組織が2007年に創設された「中央即応集団」、司令官は宮島俊信陸将。
(上 p405より引用) 3号機が爆発したとき、宮島は、一切、現地に質問しなかった。
〈現場もわからないのだろう。わかったら、報告してくるはずだ〉
そう割り切った。
「黙って聞け、質問するな、耐えろ」
宮島は、そのように危機の時の心構えを部下に説いた。
「わかったことだけ報告しろ」と。
最初に質問する癖のある指揮官や何もかも報告させようとする指揮官には、部下は、質問された場合のことを考え、「しっかり準備をしてから報告しようとする」。その結果、第一報が遅れる。
だからまず「黙って聞け」。
黙って聞いた後、「報告ありがとう、第二報も頼むよ」。
東京電力本社は、官邸の顔色を窺っていただけでした。
カウントダウン・メルトダウン 上 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:2013-01-27 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます