著者の山崎俊男氏は、「謙虚さ」とか「和を尊ぶ」といった「日本人らしい」と言われる行動は、日本人が古来よりもっている独特の精神性によるものではないと主張しています。
(p52より引用) いわゆる「日本人らしい行動」とは、単に日本の社会環境にうまく適応するための「戦略的行動」にすぎない
すなわち、ある種「普遍的」な、極めて功利的・合理的な考え方によるものだというのです。
とはいえ、その合理的判断の基軸(デフォルト)となる考え方は国により異なるようです。
(p72より引用) 状況が明確であればあるほど日本人もアメリカ人も行動の傾向はほとんど変らないということが分かるわけですが、日本人とアメリカ人では「自分の行動が他人にどういう影響を与えるか分からない」という状況においてどうするかという「デフォルト戦略」は明らかに違います。
この指摘は興味を惹きます。
(p73より引用) 日本人の場合、「自分の選択によって他人に迷惑をかける可能性がある」という前提で行動するのがデフォルト戦略になっているということです。一方、アメリカ人の場合は「自分の戦略は誰に迷惑をかけるわけではない」という前提で、自分の好みにしたがってペンを選ぶことがデフォルト戦略になっているのだと思われます。
そして、著者は、この日本人的思考についても利他的な要因を認めません。
日本人が「なるべく他人の迷惑にならないように行動する」のは、「自分自身は違う考えを持っていても、世間の人は多数派の考えを持つ人に対して好印象をいだくだろうと予測するから」だと言うのです。
こういった「みんながやるなら自分もやる」といった「『みんなが』主義」の社会において発生する行動現象を説明するにあたって、著者は、「臨界質量」という面白いコンセプトを紹介しています。
(p188より引用) 社会的ジレンマの多くは、他の人たちがどの程度、協力行動を取っているか、非協力行動を選んだかによって、がらりと結果が変ってくるのです。そして、その潮目となる比率のことを、心理学では「臨界質量」と呼びます。
「臨界質量」とは、本来は物理学の用語で「原子核分裂の連鎖反応が持続する核分裂物質の最少の質量」のことを言います。
が、この概念の相似形としての心理学上の現象の説明には、大変興味深いものがありました。
(p202より引用) ・・・臨界質量に基づく現象は、私たちに二つのことを教えてくれています。
その第一は社会的ジレンマを解決し、人々の間に協力関係を作り出すには、最初から全員に働きかける必要はないということです。
世の中の多くの人たちは他人の動きを見てから自分がどう行動するかを決める「みんなが」主義者なのですから、協力行動を選ぶ人が臨界質量をほんのわずかでも超えてくれていれば、あとはまるでドミノ倒しのように、「我も我も」と協力行動をする人が出てくるので社会的ジレンマは解決の方向に向かいます。・・・
しかし、このことは裏を返せば、初期状態が臨界質量に達していなかったとしたら、雪崩を打ったように非協力行動を選ぶ人が増えてしまい、その場合、社会的ジレンマの解決が望めないということでもあります。
この「臨界質量」の考え方は、組織変革への取り組みにも応用できます。
変革にあたって、その組織全員を一気に感化する必要はないということです。初期の段階で、臨界質量を越える割合の同調者を何とかして集めることができれば、かなりの程度までの変革は、自走的なサイクルで達成しうると考えられるのです。
ポイントは、「初期段階での消極的同調者の割合」です。
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