須賀敦子さんの作品を読むのは初めてです。
先に読んだ池内紀さんの「文学フシギ帖」で紹介されていたので手に取ってみました。
著者のご家族・友人たちとの交流・ふれあいのエピソードを穏やかな筆で綴ったエッセイです。年代的には私が生まれたころですから、かれこれ50年ほど前、主な舞台は日本とヨーロッパです。如何にもといった感じのその当時の風情を基調に、知的かつ行動的な著者の姿が自然なタッチで描かれています。
文学的な美しい表現が心地よい作品集ですが、収録されているエッセイの中から私の興味を惹いたフレーズをいくつか覚えとして書き留めておきます。
まずは、勤め先を辞めて飛び込んだローマでの留学生生活の1シーンから。
寮費不足を少しでも補うために仕事をかって出た著者に対して、学生寮の修道女のマリ・ノエル院長はこう語りました。
(p102より引用) 「でも、あなたより数層倍、パオラは家事が上手です。あなたには、あなたにしかできない仕事をしてほしいの。まさか、あなたはパオラの仕事のほうが低いなんて考えてないでしょうね」
著者に課された仕事は、一週間に二度、日本のことやヨーロッパについて考えていることをマリ・ノエル院長に話すというものでした。著者とノエル院長は、それこそ様々なことを話し合ったようです。もちろん著者が抱いている悩みについてもです。
(p103より引用) 「ヨーロッパにいることで、きっとあなたのなかの日本は育ちつづけると思う。あなたが自分のカードをごまかしさえしなければ」
著者は、ローマでとても素晴らしい出会いをしたようですね。
もうひとつ、まざまざと情景が浮かぶパリ、ノートルダム寺院の描写。
(p136より引用) 後人陣にちかいトランセプト(神廊)の突出部の中央に位置した薔薇窓の円のなかには、白い石の繊細な枠ぐみにふちどられた幾何もようの花びらが、凍てついた花火のように、暗黒のガラスの部分を抱いたまま、しずかにきらめいている。宇宙にむかって咲きほこる、神秘の白い薔薇。トランセプトとネフ(身廊)の屋根の稜線が十字に交差する点にしっかりと植え込まれたように、天を突いて屹立する、細身の、鋭い尖塔。精神の均衡と都会的な洗練の粋をきわめるパリの大聖堂が目の前にあった。
このあたりの表現はとても上品で、いかにも女流作家の技という感じがしますね。
さらには、ミラノ時代の友人カロラとフィレンツェの人並のなかで再会したシーンの表現も印象的です。
(p161より引用) ヴェネツィア・ブロンドと呼ばれる、赤みがかった金色のまっすぐな髪をむぞうさにうしろでたばねたカロラの顔をみあげると、そのうしろにフィレンツェの抜けるような青空が輝いていた。
本書ですが、要は、著者を巡る人びととの様々な交流模様の随感なのですが、読んでいてとても心地よい気分に浸ることができました。やはり、時折は、こういったテイストの本も読まないとだめですね。
最後に紹介するフレーズは、著者の「母親」を語ったくだりです。
(p231より引用) だれにも守ってもらえない婚家でも苦労を一時でも忘れようとして、母は、つらい分だけ、まるで編み棒の先からついとすべり落ちた編目を拾うように、あるいはやがて自分自身をとじこめることになる繭のために糸を吐きつづける蚕のように、いまは透明になった時間の思い出を子供たちに話して、自分もそれに浸った。思い出をたどるときだけ、母は元気だったので、私たちは、母の思い出にそだてられた。
母親への様々な思いが伝わってくるいい文章だと思います。
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