ちょっと前、日本における動物行動学の第一人者日高敏隆氏が著した「世界を、こんなふうに見てごらん」という本を読みました。視点の転換という点では非常に刺激的な内容でした。
本書はその日高氏が訳出した古典的名著で、流石に大変興味深い内容を提供してくれています。「生物」を「主体」として位置づけ、その視点からみた世界(訳者は「環世界」と訳していますが、)をテーマにしたものです。
本書の冒頭、著者は、「生物学者」としての自らの考察方法について、以下のように語っています。
(p13より引用) 生理学者にとってはどんな生物も自分の人間社会にある客体である。生理学者は、技術者が自分の知らない機械を調べるように、生物の諸機関とそれらの共同作用を研究する。それにたいして生物学者は、いかなる生物もそれ自身が中心をなす独自の世界に生きる一つの主体である、という観点から説明を試みる。したがって生物は、機械にではなく機械をあやつる機械操作係にたとえるほかはないのである。
主体たる生物は、客観性あるいは後天性という視点からは説明できないような生得的な現象を生じさせます。
(p142より引用) 環世界の研究に深くかかわればかかわるほど、われわれには客観的現実性があるとはとうて思えないのに何らかの効力をもついろいろな要素が、環世界の中には現れるのだということを、ますます納得せざるをえなくなっていく。・・・
こういうわけで、いずれの主体も主観的現実だけが存在する世界に生きており、環世界自体が主観的現実にほかならない、という結論になる。
このあたり、本書の中で数々の実例が紹介されているのですが、それらはどれもとても不思議で興味深いものばかりです。
訳者の日高氏は、あとがきの中で、このユクスキュルが提唱している「環世界」という概念の現代性について、こう指摘しています。
(p165より引用) 「環世界」というユクスキュルのこの認識は、「環境」ということばが乱れ飛んでいる現在、ますます今日的な、そしてきわめて重要な意味をもつに至っている。
人々が「良い環境」というとき、それはじつは「良い環世界」のことを意味している。環世界である以上、それは主体なしには存在しえない。それがいかなる主体にとっての環世界なのか、それがつねに問題なのである。
本書は、すべての生物において、それらを主体とした「環世界」があることを教えています。私たちは、つい当たり前のように、人間のみが主体で、周りはすべて客体であるという考え方に立ってしまいます。人間もひとつの主体ではありますが、生態系の中では、さまざまな主体のひとつ(one of them)に過ぎません。
環境はひとつではなく、主体の数だけ等価値のある環境があること・・・、「人間中心的発想」の陥穽への戒めとして、物事を捉え考えるにあたっての重要な視座を改めて思い起こさせてくれる著作です。
生物から見た世界 (岩波文庫) 価格:¥ 693(税込) 発売日:2005-06-16 |
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