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問いの発明 (人生の鍛錬‐小林秀雄の言葉(新潮社編))

2007-08-07 21:51:51 | 本と雑誌

Bergson  小林氏の思索は観念的なものではありません。
 現実・事実に立脚しそれを蔑ろにはしません。

(p186より引用) 善とは何かと考えるより、善を得ることが大事なのである。善を求める心は、各人にあり、自ら省みて、この心の傾向をかすかにでも感じたなら、それは心のうちに厳存することを素直に容認すべきであり、この傾向を積極的に育てるべきである。

 これは、56歳の作「論語」から「善を得る」についての言葉です。
 頭による「理解」より「実感」や「実行/実践」を重んじているように思います。

 また、58歳の作「無私の精神」の中で、小林氏は「実行家」についてこう語ります。

(p194より引用) 実行家として成功する人は、自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られ勝ちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある。・・・有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。

 ところで、「実行」の小林氏の考え方は、氏が31歳の時の作「作家志望者への助言」においても垣間見ることができます。

(p37より引用) 心掛け次第で明日からでも実行が出来、実行した以上必ず実益がある、そういう言葉を、本当の助言というのである。・・・
 実行をはなれて助言はない。そこで実行となれば、人間にとって元来洒落た実行もひねくれた実行もない、ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の持つ最大の性格なのだ。だからこそ名助言はすべて平凡に見えるのだ。

 実行できない助言は助言とはなり得ません。実行できなければ結果の実体がないからです。結果を生まない言は、空ろ言に過ぎません。

 小林氏が評価するのは、前へ前へと掘り進めていく思索です。
 それは、過去に提示された課題の解決ではなく、新たな問題の提示です。

 63歳の作、著名な数学者岡潔氏との対談をまとめた「人間の建設〈対談〉」においての小林氏の言です。

(p215より引用) ベルグソンは若いころにこういうことを言ってます。問題を出すということが一番大事なことだ。うまく出す。問題をうまく出せば即ちそれが答えだと。この考え方はたいへんおもしろいと思いましたね。いま文化の問題でも、何の問題でもいいが、物を考えている人がうまく問題を出そうとしませんね。答えばかり出そうとあせっている。

 これと同じ趣旨のことを、78歳の作「本居宣長補記Ⅰ」においても語っています。
 こちらでのワーディングは「問いの発明」です。

(p236より引用) 答えを予想しない問いはなかろう。あれば出鱈目な問いである。・・・取戻さなければならないのは、問いの発明であって、正しい答えなどではない。今日の学問に必要なのは師友ではない、師友を頼まず、独り「自反」し、新たな問いを心中に蓄える人である。

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2 コメント

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こんばんは! (手文庫@ビジネス書で問題解決)
2007-08-08 01:33:30
こんばんは!
> 問題をうまく出せば即ちそれが答えだと。
うまい質問ができれば、問題はほとんど解決したようなものだと言いますものね。質問力とも言われるように、時々に応じた問いのバリエーションが必要なんですね。
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手文庫様 (思案中)
2007-08-09 00:33:32
手文庫様
いつもコメント、ありがとうございます。
的を得た「問い」というのは、それを発する本人が、まさに課題がどこにあるか、問題の胆は何かといったことに気づいているということでしょう。
よい「問い」を発するということは、本来の行動の主体となる相手に、自ら(問題点を)気付かせるという「コーチング」の基本でもあると思います。
返信する

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