司馬遼太郎氏の小説やエッセイは一時期よく読んでいたのですが、最近はご無沙汰しています。
今回の本は書棚を眺めていて、気になって手に取ったものです。書棚にあるわけですから以前読んだ本のはずなのですが、どんな内容だったのか全く記憶がなかったので・・・。
中身は、新聞や雑誌で発表された昭和50年代以前の随筆を集めたもので、司馬遼太郎氏ならではのフレーズを垣間見ることができます。
たとえば、京都の東寺を題材にした「歴史の充満する境域」というエッセイの冒頭です。
(p52より引用) 東寺はその雄大な塀で象徴される。塀の中はまことに空おそろしいところがある。歴史が充満していて、これを個々にいえば建築史、美術史、思想史、荘園史、あるいは兵乱や一揆の歴史などが、騒然と詰まってひしめいているようでもある。
東寺の別名が「教王護国寺」であることは知っていましたが、その命名が、「密教の官寺をもつことにより王を教え国を護る」という空海の理想を込めたものだとは、遅まきながら本書で教えられました。(おそらくは遥か昔、日本史では習ったのでしょうが、今となっては、忘却の彼方です・・・)
新幹線で移動していても、南の車窓に東寺の塔が見えると京都に着いたことを実感しますし、近鉄で南から京都に入るときもやはり東寺の塔がシンボルになります。以前、時おり行く出張先が京都の西九条にあったので、司馬氏が書かれている東寺の塀のそばを通っていました。街中にあるだけに、その存在感は際立ちます。
その他にも、私も訪れたことのある地方をとり上げたエッセイもありました。
その中のひとつ、鹿児島の知覧にまつわる文章です。
知覧は、特攻隊の基地としても有名ですが、「南薩の小京都」と呼ばれる武家屋敷群が残った美しい家並みの町です。
(p192より引用) 文明というのは秩序美がその核になければならぬとすれば、古き薩摩の士族文化はむしろ文明とよばるべきものである。その名残りを感じさせてくれるのが知覧の武家屋敷の街衢といってよく、さらにその文明の象徴を求めるとすれば、青さびてはるかに連なるこの石垣こそそれではないか。
同じ所に立ち、同じものを見ても、教養のバックボーンが異なるとこうも感慨が違うのかという思いがします。(情けない限りです・・・)
さて最後は、フランス文学者で評論家の桑原武夫氏を語った随筆でのフレーズです。
桑原氏流の対談に臨む興味深い姿勢が紹介されています。
(p245より引用) 対談の場合は、別なスイッチをひねり、相手を尊重するというより、複数で何事かが生れないかという期待のもとに、それにふさわしい次元を仮設する。・・・自分と相手の精神、思想、教養を物として対話もしくは対談という装置のなかに入れることによって、そこで成立するかもしれない変化に対し自分自身がのぞきこんで驚きを用意しているという、そういう態度で終止しているように思われる。結局はどういう変化もおこらなかったというときに氏は軽い失望を感じ、逆に多少の変化がおこれば氏はあとまでそれについての知的昂奮を楽しむ。
最近の言葉で言えば、桑原氏は、「創発」を生む対話を求めていたということでしょうか。
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