本書のところどころで日垣氏は、いわゆる「マスコミ」を揶揄しています。
まずは、旧態依然のマスコミの代表格である「全国紙」の流行感度について、「Blog」をネタにこう切り込みます。
(p156より引用) 総合的に判断して、2004年から始まった日本におけるブログ・ブームは、終焉に向かいつつあります。・・・
全国紙までがブームに言及し始めたのも、そのブームが去りつつある逆説的な証拠です。流行感度の鈍い一般紙がとりあげるころには、たいていブームはピークを過ぎているというのが日本の常識ですから、そのような指標を見つけるためにまだまだ全国紙から目が離せません。
最後のフレーズは、極めてシニカルです。
もう一点、こちらの指摘は、先の流行感度の鈍さに比して、より実害が大きいと思います。
「マスコミの思考停止」についてです。
(p181より引用) マスコミの人々は、自分たちこそ社会の木鐸であり、世の中に警鐘を鳴らすのは使命だというテーゼで動いていますが、そのテーゼを真面目に実践すると、どんな局面でも「とりあえず危ないと言っておけ」ということになりかねません。しかも、それは、常に絶対的な「善」になれる思考停止なのです。
これは、先に読んだ「ダメな議論」という本でも、著者の飯田泰之氏が「反証不可能な言説」として指摘しているところです。
そのとおりのことが起こると「指摘したとおり」だと言い、それがおこらないと「指摘したことにより防がれた」と言うのです。
(p182より引用) 危険を煽っておけば、どっちに転んでもマスコミは責任を問われることがない。これがマスコミの思考回路の実態です。
現在は、Webを通じて公式・非公式、ホント・ウソ、経験・伝聞・・・玉石混交の情報がリアルタイムに発信されています。
そういう時勢において、マスコミの代表格である「新聞」に求められる能力は、新聞ならではの付加価値になります。
日垣氏は、その付加価値を以下のような能力として期待しています。
(p189より引用) 最も肝心な能力は、その場でしか通用しないヲタな情報を集めることではなく、そのニュースを歴史的に位置づける智恵と体験でしょう。
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