最近(2009年春)、話題になっている本です。
著者の中谷巌氏は、「経済戦略会議」での主張をはじめとしていわゆる「構造改革」路線を積極推進した中心人物でした。
その中谷氏が、本書で、「新自由主義」に基づく自らの考えを改め、マーケット至上主義・グローバル資本主義の問題点の指摘、さらにそれらが生起させた弊害に対する改善提言を行なったのです。
氏自ら、本書を「懺悔の書」と称しています。
(p210より引用) 今回の教訓から、我々が学ぶべきものがあるとするならば、それはいったい何なのだろうか。それは単純なグローバル資本主義の否定ではなく、グローバル資本主義が暗黙の前提としていたアメリカ的な価値観や思想のどこに問題があったかを検討することだろうし、さらに積極的には人類の将来のために我々が本当に共有すべき価値観とは何かを考えることではないだろうか。言い換えるならば、そもそもアメリカ流資本主義、さらに近代西洋思想のどこが誤っていて、どのように修正していくべきかを、根本に遡って考えるということである。
新自由主義の思想は、機会の平等を前提に自由競争を促し、その結果をすべてと考えます。
(p112より引用) 自己の利益を最大化することで、かりに他者が不幸になったとしてもそれに何の道徳的責任を感じたりしない「合理精神」こそが、自由競争の勝者に求められる資質であると言っても過言ではないだろう。
著者は、こういった自由競争が、所得格差を生み、地球環境破壊を引き起こし、社会生活を大きく変容させるに至ったと指摘しています。
たとえば、格差拡大に関する日本の実態です。
(p300より引用) 国家による課税や社会福祉がなされる前の段階、つまり再配分における日本の貧困率は、1985年段階では12.5%であった。・・・
ところが、それから20年経った2005年には、日本の貧困率(再配分前)は・・・26.9%にまで跳ね上がった。わずか20年で貧困者の割合が倍以上になったということである。
また、社会の相互扶助機能の喪失についての指摘です。
(p343より引用) 社会的なつながりは、戦後経済の発展の中で失われてしまったし、「最後の砦」とも言うべき「会社」さえ今や社会としての機能を果たさなくなってしまった。今や日本人はグローバル資本主義によって、バラバラにされ、アトム化してしまった。
本書のタイトルは、「資本主義はなぜ自壊したのか」ですが、必ずしも「資本主義」が、その経済の基本パラダイムとしての意味をなくしたのではありません。アメリカ発の特殊な「グローバル資本主義」と言われるものが問題視されているのです。
従来の資本主義とグローバル資本主義との間には大きな質的な違いがあることは、本書でも指摘されています。
(p90より引用) 戦後の日本が典型的な例であるが、一つの国の中で資本主義経済が発展していけば、たしかに貧しい人たちにも所得配分が行なわれるので、そこで生活もよくなっていく。・・・しかし、こうしたリベラルな効果をもたらすのは、あくまでもローカルな資本主義においてのことで、グローバル資本が跋扈するグローバル・マーケットにおいては通用しない。
というのも、・・・グローバル資本主義においては労働者と消費者が同一人物である必要はないからである。
グローバル企業は、世界の中で最も安価な労働力のある国に生産を移していきます。そしてその恩恵は、その結果利潤を得る人及びその製品を消費する人にもたらされるのです。そうして世界中に格差拡大の悪影響を及ぼしていくわけです。
そういったグローバル資本主義の特性を踏まえ現実的な対応策を考えると、そこにはローカル資本主義との適度な並存がひとつの解として浮かんできます。
(p366より引用) EU諸国が制度の平準化を議論するときにしばしば使う言葉に「相互承認」(mutual recognition)がある。グローバル・スタンダードとして制度の平準化を一律に推進するのではなく、各国の固有の制度を残したままそれを互いに認め合おうという考え方である。・・・
このことは日本の資本主義にとっても重要である。歴史も文化的伝統もまったく異なるアメリカ型の資本主義を日本がそのまま受け入れる必然性はどこにもないのだ。・・・
適切な統制が存在すれば、資本主義は何とかよろめきながらも存続できるが、新自由主義が主張するようなまったく摩擦のないグローバルな自由取引市場を作ってしまえば、それは間違いなく人類の滅亡を早めることになる・・・
さて、最後に本書。いくつかの有益な論考もありましたが、正直なところ、著者は本当にこんなに単純な「ステレオタイプ思考」をされていたのかと驚く部分もありました。
後者の例では、たとえば、以下のようなアメリカ的資本主義の成立経緯についての記述です。
(p52より引用) 少し長期的な視点で歴史を追いかけるとその流れはひじょうに単純明快であり、自由放任政策の追求がアメリカ社会を安定させ、「豊かな社会」を作り上げたわけではないことが分かるのだが、近視眼的に世の中の動きを追っかけているだけでは、本当のところ、社会で何が起こっているのかはなかなか正確に読み取れないものらしい。
本書の後半部で示されている「日本は環境立国になるべき」という提言も、根本の発想の始点に不安を感じざるを得ません。
先日、「反貧困」という本を読みましたが、そこで指摘されているような「現実」を、著者はどこまで理解しているのか・・・
(p345より引用) 日本は無尽蔵ともいえる未来への可能性を持っている国なのである。
その一例を挙げるならば、日本人が縄文時代から有してきた自然に対する尊敬の念、自然との共生の思想があるだろう。もっと大きくいうならば、日本ならではの自然哲学、自然観がそれである。
こういう記述を目にすると、著者が、本書の前半で、自ら明らかにした新自由主義信奉に至った道程、すなわち、1970年代以降の「豊かなアメリカの夢社会」への思い入れと、未だに思考スタイルの根っこは変わっていないように感じてしまいます。
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