OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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論語の読み方 (渋沢 栄一)

2005-08-08 23:54:34 | 本と雑誌

 まずは編者・解説が著名な地球物理学者である竹内均氏であることが(私にとっては)驚きの本でした。
 竹内氏は1981年大学を退職された後、科学雑誌Newtonの創刊者・編集長として、難解と思われる科学を広く一般の読者に身近なものとすることに尽力されました。その竹内均氏の手によるためかもしれませんが、内容は非常に平易な印象です。

 ひとつひとつの項について詳細な解釈が記されているものではありません。しかしながら、渋沢栄一氏自身が論語の教えを忠実に守りそれを生涯の行動規範として実践したこと、そして、それにより超一流の実業家としても成功したという事実がこの本の重石となっています。

 渋沢氏と同時代の人物評が随所に見られるのはこの本ならではの楽しみです。言行一致の人物を高く評価する等「論語シフト」のコメントは簡素です。

 論語は、孔子と弟子との問答形式のものが多く、そこで語られる孔子の教えは対象である個々の弟子にtuneされたものになっています。したがって同じ問であっても孔子の答はその時々で異なっているように思える場合があります。
 これは、(答の本質は同じでも)その答に達する道程を、それぞれの弟子の個性・熟達度等にあわせて具体適切に示しているためです。
 論語が学問ではなく実行を重視する実学の教えであることの証左と言えますし、(この本を読んで改めて思ったのですが、)孔子は学者・思想家というよりはむしろ超一流の教育者であったのです。

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1枚の紙芝居は「3部構成」

2005-08-06 23:04:01 | ブログ

 プレゼンテーションの構成スライド(紙芝居の1枚1枚)を作る際のポイントです。

 基本は「3部構成」です。「タイトル」「キャッチコピー」「サポートコメント」の3点セットです。

 まず、そのスライドの役割を明らかにしなくてはなりません。
 すなわち、そのスライドは「現状把握」の内容を整理したものだとか、「根拠」を記したものだとかを明確に意識するのです。この内容が「スライドのタイトル」になります。

 次に、その1枚のスライドで説明しているポイント(要旨・結論・ここで言いたいこと)を「簡潔なメッセージ」にまとめます。それをスライドの上段に「キャッチコピー」的に書きます。この部分が1枚のスライドの心臓部です。

 スライドの下半分は「簡潔なメッセージ」の補足部分です。
 そのメッセージを説明する「理由」「データ」等を示すのです。具体的には根拠を箇条書き的に列挙したり、裏づけデータを表やグラフの形で示したり、結論に至る検討内容をポンチ絵で表したりします。

 世間のコンサルティング会社では、このあたりのノウハウが非常にしっかりしています。好みはあろうかと思いますが、私にとっては、彼らのテンプレートは非常に勉強になります。

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中味と形式 (私の個人主義(夏目漱石))

2005-08-05 23:27:34 | 本と雑誌

(p85より引用) 要するに形式は内容のための形式であって、形式のために内容が出来るのではないというわけになる。もう一歩進めていいますと、内容が変れば外形というものは自然の勢いで変って来なければならぬという理窟にもなる。

 漱石にして至極当然のことを論じています。
 このことから、当時の世相は、人々の実生活が変っているにもかかわらず、旧態の「形式」が強要されていた様が見て取れます。

 この形式による中味の抑圧が当時の社会運動の弾劾に現れ、結果、その後の大正期の「憲政擁護・閥族打破」をかかげた護憲運動に繋がっていくのです。漱石の見通しのとおりです。

(p89より引用) そこで現今日本の社会状態というものはどうかと考えて見ると目下非常な勢いで変化しつつある。それに伴れて我々の内面生活というものもまた、刻々と非常な勢いで変りつつある。・・・既に内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない。もしその形式をズラさないで、元の儘に据えて置いて、そうしてどこまでもその中に我々のこの変化しつつある生活の内容を押込めようとするならば失敗するのは眼に見えている。

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不道徳教育講座 (三島 由紀夫)

2005-08-04 00:20:22 | 本と雑誌

 三島由紀夫氏としては珍しいエッセイ集です。
 昭和33年(1958年)「週刊明星」に連載されたものとのことです。当時、三島氏は34歳。壮絶な最期を遂げるおよそ10年前の作品です。

 私は三島氏の作品(小説)はほとんど読んでいないので、氏に対しては極々一般的なイメージしか有していません。小説の面では、端正な厳しい筆致の作家だろうと漠と思っている程度です。

 したがって、このエッセイに映される三島氏の感性が、氏の小説に現れているものと、どの程度の対比・落差があるのかまた根源的な部分で一致があるのか、など計り知るだけのものは私にはありません。

 ただ、私の好みから言えば、どうも「エッセイ」というものに慣れていないのであまり楽しむことはできませんでした。
 私のエッセイの原点は、超ミーハーなのですが、学生時代読んだ五木寛之氏(たとえば、「風に吹かれて」とか)ですから・・・

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段取りは「引き算」と「割り算」

2005-08-01 23:46:13 | ブログ

 期限のある作業を行なう場合の基本です。

 まずは、やるべき「全体量」を把握します。ここでは「引き算」が活躍します。
 「今までにやった部分」や「やらなくてもいい部分」を全体から除くのです。
 また、作業に当てられる「時間」や「稼働」も明確にします。使えない時間や当てにできない稼働等を、ここでも「引き算」で差っ引いていきます。

 この「引き算」の作業により「やるべき全体量」と「やるにあたってのリソース」が確定できます。

  あとは、「やるべき全体量」を「やるにあたってのリソース」で「割り算」を行なえばいいのです。
 これで、「1日あたりどれだけやればいいのか」や「一人あたりどれだけやればいいのか」が明確になり、具体的作業に移れるのです。単位あたりの量を見て始めて、人が足りないとか時間が足りないとかが分かりますし、どうやってこなそうかといった実際の作業のやり方の選択ができるわけです。

 あまりにも当たり前のことですが、実際の場では、往々にして、こういう当たり前のことがキチンとできていないものです。

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