この本は、日本経済新聞に2005年2月「私の履歴書」として連載された内容に、訳者の解説等が加筆されたものです。
ドラッカーの経営マネジメント関係の本は、以前人並み程度に何冊かは読んでいるので、ちょっと興味を感じて手にとってみました。
年少期の世界的著名人との接触、青年時代の世界大戦期を背景といたエピソードの数々、マネジメント(経営)の権威としての地歩を築き固めた壮年期以降・・・と、氏の波乱に満ちた半生が語られています。たとえば、
(p44より引用) 政治について読んだり書いたりするのは好きでも、政治そのものをやる人間ではないと悟ったのだ。十四歳になると、ギムナジウム卒業と同時にウィーンを離れる決意を固めた。アルプスの小国の都へ成り下がり、帝政が廃止になっても「戦前」という郷愁に取りつかれた古いウィーンにはもはや興味はなかった。
この本で印象に残ったことをふたつ三つ記します。
まず、氏が24~25歳のころのケインズの講義を聴講した際のことです。
(p73より引用) ケインズはヨーゼフ・シュンペーターと並ぶ二十世紀最高の経済学者であり、講義では学ぶことも多かった。それでもケインジアンになろうとは思わなかった。講義を聴きながら、ケインズを筆頭に経済学者は商品の動きにばかり注目しているのに対し、私は人間や社会に関心を持っていることを知ったのである。
おそらく、このときが彼にとって、後に人間の営みとしてのマネジメントの研究をライフワークとする岐路となったのでしょう。
また、彼が先駆者である「経営コンサルタント」に関するくだりです。
(p147より引用) ゼネラル・エレクトリック(GE)の最高責任者(CEO)を二十年間続けたジャック・ウェルチ。最初の五年ほどは「ウェルチ革命」を指南した。関係が終わったのは、彼が「ピーター・ドラッカーはチームの一員」と公言したからだ。コンサルタントが組織の一部になったら有害でしかない。
このドラッカー氏のことばは結構私には堪えるもので、コンサルティングファームとの付き合い方という点で大いに反省を促されます。
最後に、これは有名な話ですが、ドラッカー氏は親日派で日本画にも極めて造詣が深いのです。自らもコレクションをしていますし、1979年以降5年間にわたりクレアモント大学の東洋美術の講師に就き日本絵画の講義を行なっています。また、これはあまり知られていないと思いますが、小説も執筆しています。
一流の人物はマルチタレントなのです。そして、彼はまだ現役です。
(と、この本を読んだ数日あと、ドラッカー氏がお亡くなりになったとのニュースが飛び込んできました・・・ 心からご冥福をお祈りいたします。)