いつも利用している図書館の書架を眺めていて目につきました。
永六輔さんのエッセイは、今までも「伝言」「芸人」等を読んでいますが、ほのぼのとしたユーモアと鋭いウィットとがとても楽しいですね。
本書は、TBSのラジオ番組「永六輔の誰かとどこかで」での話題をもとに書籍化したものとのこと。お年を召してもなおてんこ盛りの “永さん節” の中から、特に私の心に響いたところを覚えとして書き留めておきます。
まずは、永さんがラジオとの関わりを語っているくだり。
本書で転載された「永六輔の誰かとどこかで」という番組は46年も続いた長寿番組です。永さん自身、ラジオ番組との付き合いはなんと65年にもなるそうです。
(p135より引用) 毎日やっているっていうことは、怪我をしても、入院しても、何してもやっている。・・・
そのくらい、ラジオに毎日関わって仕事をしてきたということが、僕にはプライドなんですね。ありがたいことに、僕のプライドであると同時に、ラジオはそれができるんです、機能として。
だったら、ラジオの仕事を選んだ以上、ラジオの周りを流れている風を、きちんと流すべきだと思うんです。
今でも “ラジオ番組” にはパーソナリティや番組そのものの “色” や “香り” が感じられるものがいくつも残っていますね。
当時のラジオ関係で、もうひとつ。永さんの盟友小沢昭一さんとの思い出。
(p218より引用) 小沢さんに最後に言われたのは、「ラジオをやめるな」でした。
「言ってることがわからなくても、声が出なくても、あなたがマイクの前にいるってことが伝わればいいんです。
いいですね、ラジオをやめないで」
初めて、小沢さんの前で泣きました。
そして最後に、永さんが、病院での「お見舞い」を話題に、見舞い客の “スマートな振る舞い” を紹介しているところ。
(p141より引用) ちなみに、日本一のお見舞いは、僕は、ピーコでしたね。
時間が短い。通り過ぎて行くみたいに。
「お座りなさいよ」「じゃあ、ちょっと」とか、「お茶は」「いや、お茶なんか」、そういうやりとりもなくて、病室を通り抜けて行きながら、窓を開けて風を通して、挨拶も全部すませて、いなくなっちゃったの。
だからって、誰もがそれがいいとは言いません。
言わないけど、それの似合う人がいい。研ぎ澄まされたムダのない言葉遣いをふだんからしている人は、やっぱりうまい。
ふだんが、やはり、こういうところにも出てきますね。
“粋” ですね。ただ、これも自分と相手が似たような価値観を共有してこそでもあります。
そういう “友” をもっていることが、また素晴らしいですね。
かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始めました。
この作品は「第31作目」です。今回の舞台は “横浜”。
「横浜」は、プライベートでは何度も訪れていますが、最初の社宅が南区にあって数年住んでいましたし、その後も中華街そばのビルでの勤務経験もあるので、私にとっては殊更馴染みのある土地柄です。
まさに “横浜” ならではとしか言い様のない唯一無二の風情が感じられる街なんですね。
さて、そういった異国情緒溢れる横浜にまつわるエピソードを盛り込んだこの作品、ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、今一つ私には合わなかったですね。
ちょっと変わった “誘拐” の設定には工夫を感じましたが、このシリーズには珍しく物語の流れ自体が澱んでいました。そもそも起こった事件の必然性に納得感がなかったというのが最大の要因でしょう。加えて、ラストのキレもなく、いかにも消化不良の出来だったように思います。
私の大好きな街のひとつである “横浜” が舞台だっただけに、何とも残念でした・・・。
さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。
次は、32作目の「金沢殺人事件」ですが、出張した場所絡みで一度読んでいるので、33作目の「讃岐路殺人事件」に進みましょう。
このところ気分転換に読んでいるミステリー小説は、読破にチャレンジしている内田康夫さんの“浅見光彦シリーズ”に偏っているのですが、時折、以前よく読んでいた大沢在昌さんの作品の中から未読作にもトライしています。
定番の “新宿鮫”シリーズに加え、最近は “魔女”シリーズにも手を広げました。今回は、図書館で目についた “狩人”シリーズです。
さて、ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、本作、卓越したストーリーテラーとしての大沢さんの持ち味が存分に発揮されていて十分楽しめましたね。
ともかく、登場人物のキャラクタ設定が見事です。
個々人としてもそうですし、その面々を組み合わせたバランスもよく計算されているように感じます。(大沢さんに言わせれば、最初から緻密に設定しているわけではないということかもしれませんが・・・)今回は特にカギとなる「」つきの人物の扱いが絶妙でしたね。
これでは、続編が出たら手を伸ばさないわけにはいかないでしょう。
とはいえ、大沢さんの執筆ペースだと近々の新刊発表はないでしょうから、とりあえずは、ぼちぼちと、シリーズ第1作目に遡って読んでみたいと思います。
いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。
世界最大の人口を有する “インド”、かの地における多種多彩な人々の「生活」の様子は、個人的にはとても興味のあるテーマです。
その点を「台所」というキーワードで掘り下げた本書、著者の小林真樹さん自ら現地に足を運び、直接現場を見、その地の人々の話を聞き、そこからいったいどんな新しいことを伝えてくれるのか大いに気になります。
ということで、予想どおり目新しい発見が数多くありましたが、その中から特に私の関心を惹いたところを書き留めておきましょう。
まずは、「インド式パン文化の根源」との章から。
西インド、ゴアでのポルトガル由来の “パウ” というパンをめぐっての小林さんの思いです。
(p275より引用) パウというと一つ一つ微妙に形の異なる、素朴な手作り感が持ち味だが、やがて大規模工場で大量生産された無機質なパウにとって代わられるかもしれない。ゴアにも広大な売り場面積を持つスーパーマーケットがあり、きれいに包装されたブレッド類が売られはじめている。こうした棚に、いつ大工場製のパッケージされたパウが並ばないとも限らない。しかし幸いなことに、ゴアの街なかでいつも混みあっているのは昔ながらの小さなベーカリーやポダーである。朝夕ともなると古びた小さな店先にゴアの老若男女が集まってくるのはとても情緒のある光景だ。部外者はいつもその土地の内情も知らず身勝手な願望を抱きがちだが、願わくばこの昔ながらのゴアの光景がいつまでも続いて欲しいと思った。
この気持ちは良くわかりますね。今の日本でも、“街のパン屋さん” を訪ねるのは楽しいものです。
そして、もうひとつ、南インド、ディンディッカルという地方都市の乳製品工場の工場長宅とその従業員の女性宅を訪れたときの小林さんの感想。
(p118より引用) 片や最新機器であふれた大きく快適な台所、片や古くからある庶民の小さな台所を、まるで時間旅行のように一度に訪問して比較できたのは収穫だった。そしてこのまったく違うタイプの二つの台所が、同じ時代の同じ地域内に並存している点が、現代インドを象徴しているように思えた。
もちろん、これはまだまだ格差が小さい部類でしょう。インド全体でいえば、別の世界、別の時代だと見紛うほどの途轍もない差があるはずです。
その象徴的な風景のひとつがムンバイの中心部で見られます。
(p226より引用) 多くの旅行者は空路ムンバイに着くと空港からタクシーに乗り、ウエスターン・エクスプレス・ハイウエイを通ってホテルが集まる市内南部へと向かう。その車窓からは、大都会ムンバイを象徴する二つの対照的な景色が見えてくる。一つは躍進するインド経済を体現したかのような超高層ビル群。集まる富を束ねて無理やり形を与えたような、奇抜なデザインの造形が多い。そしてもう一つは、点在する大小様々なスラム街。すすけた黒っぽい建物の集合体をよく見ると、屋根をブルーシートで覆った小さなバラックが互いに寄りかかるようにして建っているのがわかる。このスラム街越しに見る超高層ビル群というコントラストほど現代インドの貧富の差を如実に感じさせる光景はない。
さて、本書を読み通しての感想です。
おそらく私自身、今後も気になりながらも訪れることはないであろう “インドの日常風景” を、「台所」という独創的な切り口で紹介してくれたユニークな紀行文ですね。
本書で描かれた現地の人々の暮らしぶりは、初めて知ることも多く、とても興味を惹くものでした。
願わくば、巻末の用語集での解説に加えて、それぞれの食器や調理道具の写真がもう少し豊富にあれば、もっと具体的なイメージが広がるだろうと思いました。
かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始めました。
この作品は「第30作目」です。今回の舞台は “隅田川(東京都)”。
さすがに “隅田川” に出張というのはあり得ませんね。私も23区内ではありませんが、東京住まいですから、プライベートでは隅田川あたりは何度も訪れています。
学生のころは叔母が本所吾妻橋に住んでいて、郷里にいたころも大学に入って板橋区に下宿住まいをしていたころも、しばしば遊びに行っていました。浅草の対岸、吾妻橋を渡った袂にある佃煮の海老屋總本舗本店が懐かしいですね。
この作品でも、浅草あたりの描写がありますが、内田さんが本作を書いていたころは、浅草あたりが少々裏ぶれていたころだったようです。今のインバウンド観光客が大挙して押し寄せて大いに賑わっている様子とは隔世の感がありますね。
さて、ミステリー小説ですからネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、この作品も “量産期の乱造” に近い出来でしたね。
ともかく、犯行の動機が荒っぽ過ぎて、繊細な謎解きのプロセスが生まれようもありませんし、事実、光彦の推理も何とも独断的で発想にキレがありませんでした。さらには、このシリーズにしてはとても珍しいラストシーン。こういう幕引きには心に残るような余韻の欠片も感じられません。久しぶりに “イマ3” ぐらいの不満さ加減です。
さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。
次は、31作目の「横浜殺人事件」ですね。