老いを見つめる ④
ひぐらしの声のかなたに母の声……
風の盆みな過ぎてゆくものばかり
…………長野市 鈴木しどみ 朝日俳壇2016.09.19
夜も更けて、観光客もそれぞれの宿に帰っていった。夜のしじまの中を踊りの列が過ぎていく。
過去も、現在もゆっくり流れていく。老いの一日もうすぐ終わろうとしている。胡弓の音が寂しい。
ひぐらしの声のかなたに母の声そのかなたにもひぐらしの声
………館林市 阿部芳雄 朝日歌壇2016.10.03
無限に流れる時間の帯。ひぐらしが鳴いている。その彼方から懐かしい母の声が聞こえてくる。
時の流れと母の声が一体となり、ひぐらしの声が流れている晩夏。ひぐらしの声は母のいる遠い
彼岸から聞こえてくる。
死ぬときの言葉を思う日向ぼこ
………(神奈川県寒川町)石原美枝子 朝日俳壇2016.02.08
冬の日差しの中で日向ぼこ。長い人生だったが、可もなく不可もなく振り返ってみれば平凡だったが
いい人生だった。「ありがとう」とひとり小さく呟いてみる。
トイレまでわずか数歩の距離なれど肩にくい込む夫の両手哀し
…………(大阪市)三浦サユリ 朝日歌壇2016.02.14
お互いに歳を経て、子どもたちも巣立って行った。もうお前と二人。黄昏時の二人。トイレまでのこの短い距離を
私の肩にあなたの手の指が食い込んでくる。めっきり衰えたあなたの脚。背中の夫に「あなた頑張りましょう」と
ささやいている自分がいる。
貧しければ田の畔にまで豆植えて父は老いても花を育てず
……佐世保市 近藤福代 朝日歌壇 2016.06.20
狭い耕地は無駄なく作物を作る。畔(あぜ)には豆を植える。そうして代々受け継いてきた田畑を
守ってきた。花を育てる。そんな余裕なんてどこにもなかった。苦しい農作業で、生きるのが精
いっぱいの父だった。
今日も音沙汰がなかったガラケーの充電をして寝床に入る
…………川崎市 小島 敦 朝日歌壇2016.09.05
「老い」は身の回りからたくさんの者を奪っていく。父や母。友人。知人。大切なものがどんどん
喪われていく。長い一日のなかで、会話さえなくなる。今日も一日ガラケーは鳴らなかった。
明日はきっと…… ガラケーに小さな希望を託して一日が終わる。
(人生を謳う) (2019.12.06記)