雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「最期の言葉の村へ」 ② 失われていく言語・タヤップ語

2021-03-14 06:30:00 | 読書案内

最期の言葉の村へ ② 失われていく言語・タヤップ語
                ー消滅危機言語タヤップを話す人々との30年ー
      言語の消滅について
   言語が消滅するのは、突然になくなるわけではない。
   長い年月をかけて徐々に徐々に話者が減少し、
   その社会を構成する古い言葉を話す人が少なくなり、
   新しい言語に駆逐されていくのだろう。
   太平洋戦争において、日本の軍隊が占領したアジアの国々では、人々に日本語が強制された。
   日本語の教育を通じて、日本国民であるという意識を植え付けるためだったと言われています。
   植民地等で行う統治政策の一環として、
   統治国の言語を強制したのは日本だけではありませんでした。
   しかし、タヤップ言語の自然消滅は強制されることなく消滅していくところに
   大きな問題があるようです。 

その言語が「成熟して勢いを失ったからでも、より広い音韻体系や豊かな構文を持つ言語に滅ぼされたのではない。人が話さなくなったからだ」(引用)

文明という巨大な波  
   「 人が話さなくなった」タヤップ語。なぜ、人々がタヤップ語を話さなくなったのか。
  文化の進歩と社会的な発展は、孤絶した熱帯雨林のガンプ村にも押し寄せてきます。
  たった100人そこそこの村の中に発達し成熟した異文化の人間が入ってくる。
  著者のクリックが未開のこの村に最初に訪れた時、
  それまでに村を訪れた白人は、十数人に過ぎなかった。
  数人のオーストリア人行政官、ドイツ人宣教師、
カトリックの司祭数人だけのようだった。
  彼らは行政や宗教的活動を終了すると、さっさとこの地を後にし、二度と訪れなかった。

  だが、こうした村にもやがて文明の波が訪れ、村の文化は少しずつ変化していった。
  新しいものが入り、貨幣文化が少しづつ彼らの生活を変えていった。
  言語さえも例外ではなかった。

 調査に着手すると、著者は戸惑う。タヤップ語はなぜ消滅していくのか。その理由を知れば知るほど、〈文明〉側の影がちらつき「不快」となっていく  (引用)

 多数が少数を駆逐する
  50年後にはタヤップ語は完全に消滅しているだろうと、著者は危惧する。
  最初に彼が訪問した時、人口130人のうちタヤップ語を話すのは90人だった。
  30年後の現在では、200人中45人ほどだ。
  村は拡大し、言語は縮小している。
  最盛期の時でも、タヤップ語の話者はニューヨークシティの地下鉄の1両におさまるくらいだった。
  大都会の中を大勢の人々を飲み込んで走る電車のたった1両におさまった、
  タヤップ語を話す人々が運ばれていく光景を想像し、私は肌寒さを覚えた。
  多数が少数を駆逐していく構図が浮かび上がり、
  蜘蛛の巣の迷宮に迷い込んだような不安をぬぐい切れなくなった。

言語以前に消えた物
  文明から隔絶し、祖先たちから受け継いだ村の変化のない生活が良いとは言わないが、
  一端文明の恩恵にあずかってしまうと、彼らが続け守って来た熱帯雨林での生活は
  瞬く間に崩れ去ってしまう。
  必要のないものは忘れ去られ、より必要なものにとってかわられる。       
  「言語もその例外ではない」と著者は言う。
  言葉よりもはるか以前に未開の地から消えていったものがある。
  文化だ。
  文字を持たない彼らは、祖先たちが守り育てて来たものを、口伝で伝えてきた。
  それが彼らの生活を支える文化であり、規範であった。
  村の規範(ルール)は老人から若い人へと継承されていく。
  森に棲む精霊のことだったり、死者がよみがえってくる話だったり、
  死んだ老人がいかに賢い人だったかを伝えた。
  森の中に住む得体のしれない動物に追いかけられ、
  腰を抜かし小便を漏らし、脱糞した話を彼らは面白おかしく語り、伝承していった。
  「ピスピス・ペクペク・ワンタイム」(大小便を漏らす)等の話が大好きで、
  何度も繰り返し話、聞くたびに笑い転げる。

  未開の村に最初に入ってくるは、多くの場合白い人たちである。
  宗教家や探検家たちがそれぞれの思惑をもって訪れる。
  同時にキリスト教の普及と西洋由来の文物がどっと入ってくる。
  薬という魔法を使い、蔓延する皮膚病を治し、身体に入り込んだ悪魔を解熱剤で追いはらう。
  自然界に宿る神々は影を薄くし、精霊たちは姿を消す。
  ナベやカマが持ち込まれ、食生活は便利になり豊かになった。
  太陽が消えたとたん、村は真っ暗になる。

 村人は、懐中電灯の明かりと、月が出ていればその弱い光を頼りに動きまわる。懐中電灯は大半の大人が所有しているものの、電球が切れていたり、電池が切れたりしていることも多い。家では、村人は夕食を用意するのに用いた小さな炉のそばに座るか、ベランダに出て、燃えさしがまだ炎を上げている金属の器のそばに座る。(引用)

   闇が訪れれば、早々に引き上げ粗末な小屋に引き上げなければならなかった。
   金属の器は女たちを喜ばせ、団欒の時間を長くした。 
   だが、生産技術や補給手段のない文明の利器は、無用の長物になってしまう。
   彼らは、暗闇を照らさなくなった懐中電灯をみつめながら、
   暗闇を照らす魔法の棒の便利さだけを記憶の底に残す。
   次に白い人が訪れた時彼らは法外な値段の電球や電池を、
   薬草や毛皮と交換に買わせられるはめになる。
   著者が持っていった燃える水(石油)も、団欒や社交の時間を長くした。
   懐中電灯とランプはガンプ村の生活を桁違いに飛躍させた。
   だが、……
                            (つづく)
        次回③は 「文明の浸透と消滅危機言語」について、「最後に奪われるものは」、
                「ガンプの村に現れた集団」、「最後に」の章だてで紹介します。

      (読書紹介№168)                (2021.2.1記)
   

 
  
  


 

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