雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

戦場カメラマンの苦悩と孤独 ② 『ハゲワシと少女』写真の背景

2022-02-06 06:30:00 | つれづれに……

戦場カメラマンの苦悩と孤独 ② 『ハゲワシと少女』写真の背景  
 (ハゲワシと少女)
 1993年 撮影場所は 内戦の続くスーダン。
 1994年撮影者のケビン・カーターはピュリッツァー賞を受賞

 内戦の続くスーダンで起きた飢饉の中で、痩せ衰えてうずくまる子どもを撮影した写真。
その後ろではハゲワシが子どもの方を向いて映っており、
この子どもが死ぬのを虎視眈々と待っているように見える。
 カーターが訪れた国連施設のある村では、
毎日20人前後の子どもが死んでいたと言われています。
カーターは国連の食糧配給センターの近くを歩いていて、
うずくまる子どもとハゲワシを見つけ、思わず構えてこの写真を撮った。
 写真を掲載したニューヨーク・タイムズは次のようなキャプションをつけていた。
『先日アヨッドの食料配布センターへの道において撮影された、飢餓により衰弱してうずくまった幼い少女。すぐ近くでハゲワシが待ち受けている』

  この衝撃的な写真は世界に向けて発信され、
内戦が続き国家的困難の中で困窮する国民を連想させる。
飢饉が続き飢餓が続く状況で、犠牲になるのはいつも弱者である民衆、
なかでも抵抗力がなく大人の加護なしには生きられない子どもが、
猛禽のハゲワシに命を狙われている写真は人々の感情を煽り、
力尽きたように草原にうずくまる痩せた少女の姿に同情心をかきたてられた。
 例えば、次のような写真では、
衝撃的ではあるけれどカーターの写真ほど話題にはならなかったでしょう。
   

  写真には説明がないので類推するしかないが、目をそむけたい過酷な写真だ。
 一般受けもしないし、報道規定があり一般紙に掲載されることもない。

 カーターの写真は、人々の琴線に触れる部分があったのだろう。
『ハゲワシと少女』は何度見ても衝撃的な写真である。
血の匂いもしないし、暴力的な匂いもしない。
存在するのは無抵抗の少女に集まる同情心と、
少女のその後の安否はどうなったのだろうという物語性だ。

 やがて、この写真は「報道か人道か」という問題を提起するようになる。
 ①のブログで「読者の反応」を予告したが、「写真の背景」に変更した。

       (つれづれに……心もよう№125)     (2020.02.05記)

 

 

 

 

コメント (4)
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