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被災で建て替えられた、移転した
益城町の「四賢夫人館」を見学しました。
建物は、図面を参考に間取りと外観を復旧されたそうです。
完成は、今年の春でしたが、先週やっと伺えました。
伝統工法の木組みもあります。
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建築も、女性の生き方も学んだひと時を綴ります。
熊本肥後おごじょ。肥後猛婦の呼び名も高い
矢島楫子はじめ、矢島家の三女〜六女を四賢夫人と
熊本では呼んでいます。
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施設の学芸員さんによれば、矢島家には、娘は七女おられ
家庭には入られた方も立派であったそうです。
この四人は、社会活動された方や
有名になった方を取り上げている
との解説でした。
「女の生き方に、偉いも、偉くないもない」と、
暗に諭されているような気持ちになりました。
小説のモデルにもなっている矢島楫子については
奔放な生き方(年下男性との恋)をされたイメージが強いが、
世間の誤解もあると解説されました。
今で言えば、DV状態から、命からがら逃れ、
子どもを置いての離縁。
その後、自立し、男女平等に尽くした、
忍耐強かった女性であるとのことでした。
実は、その離縁先である林家も、町の町史にのる名家で、
熊本地震後は、被災した様子を調査に行きました。
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伝統家屋であり、手入れもなさっていたことから
倒壊は免れていました。
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そこでも、矢島楫子の話が出たのです。
この家で様々な想いが交錯したことを、その時は
地震被害と重なって、複雑な心境になりました。
この記念館を訪ねて、子どもを置いてまで、
逃げなければならなかった事情も知り
その時に感じた女の生き方への
もやもやした気持ちが晴れて良かったです。
いろいろな経験が、社会活動への原動力となり
最後は、世界平和を訴えた一人の女性の生き方。
そして、他三人の女性の生き方も通じて
確信したことは、
どんな過酷さでも受け入れ、
自分の置かれた立場、状況で、
精一杯に信念を貫くということです。
時に、猛女と揶揄されても。。。
命を落としては何にもなりません。
逃げることは恥ではないのです。
甘んじず、しかし、その後もちゃんと前進する。
それぞれが、立場は違っても
女子教育や、学問に打ち込んだ方達でもありました。
学びと、信念。
それが「賢さ」であるということを実感しました。
さて、自身の生き方と照らしてどうか。。。。
この部分は、じっくりと見つめたいと存じます。
先人の先駆者達に学んで、生き方を振り返る
そんな機会を与えてくださったこの記念館再建に
ご尽力くださった方々と、解説してくださった
地域に誇りをもたれている女性学芸員さんには、
大感謝です。
建物自体は、以前の記念館よりも大きくなり
予算も約8千万円弱と、立派な建築となっています。
これも、創造的復興でしょうか。。。
この町あげての復興には、空港からも近く
今後多くの方が利用してくださることを願います。
お近くに行かれた方は、立ち寄られてみてください。
杉堂の潮井自然公園の中にあります。