この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

正直なところ致し方ないと思う「ダサい邦題」問題。

2019-01-24 23:39:27 | 戯言
 一部の映画ファンの間で次の記事が怒りを買っているそうです。

【「ダサい邦題」「タレントでPR」、熱心な映画ファンが“無視”される事情】

 件の記事を読んで、自分は、(残念ながら)記事に書いてあることは最もだ、と思いましたよ。
 それ以前に自分は邦題がダサいものであってもそれで腹が立つということはありません。

 なぜ邦題がダサくても腹が立たないのか?
 そもそも映画の邦題が存在するのは日本人の英語力が低いからですよね。
 日本人のほとんどが、中学、高校と6年間英語を習い続け、それでもまともに日常の英会話が出来ない、そのこと自体すっごくダサくないですか?
 己のダサさを棚に上げ、邦題のダサさにケチをつけるのは、如何なものかと思うのです。
 ケチをつけるのであれば、まず『Hidden Figures』という原題の意味が理解出来るようになってから、ケチをつけたらどうだ、と思いますね(まぁ邦題のダサさにケチをつけている人は英語が堪能なんだろうとは思いますが)。

 もう一つ腹が立たない理由があります。
 確かにダサいな、と思う邦題はあります。でもすべての邦題がダサいとは思いません。
 例えばマッツ・ミケルセン主演の『THE HUNT』は『偽りなき者』という邦題で日本では公開されました。
 この邦題、カッコよくないですか?
 他にも『Miss Sloane』が『女神の見えざる手』だったり、『Frequency』が『オーロラの彼方』だったり、センスの良い優れた邦題も決して少なくはないのです。

 出来の良い映画があれば出来の良くない映画があるように、出来の良い邦題もあれば出来の良くない邦題もある。それだけのことではないでしょうか。
 
 出来の良くない映画を見せられて腹が立つ、というのはわからないでもありません。
 映画を見るのに貴重な時間とお金を費やすのですからね。
 でも邦題の出来が悪かったとしても、それは自分の中でスルー出来ることじゃないですかねぇ。
 一々腹を立てることでもないと思うのだけれど。

 自分が邦題に望むことがあるとすれば、それはありきたりなものにはしないで欲しいということです。
 ありきたりな邦題だと、検索で上手くヒットしない可能性が出てくるからです。
 例えば『Hidden Figures』は最終的に日本で『ドリーム』という邦題で公開されました。
 『Hidden Figures』という原題を邦題としてそのまま採用はしない、というのはわかります。
 しかし『ドリーム』という邦題は止めて欲しい、、、それならいっそ批判を受けて引っ込めた『ドリーム 私たちのアポロ計画』の方がよかった、と考えるのは自分くらいかもしれません。
コメント (2)
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