この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

年賀状とお年玉。

2020-01-04 09:49:00 | 戯言
 皆さんは今年、年賀状は何枚ぐらい受け取りましたか?
 平均するとだいたい何枚ぐらい受け取るんでしょうね?10枚?20枚?
 自分はですねー、何と1枚!!
 0枚じゃなくてホッとしました。
 送ってくれたありす、ありがとう♪

 この1枚という枚数、残念だなとは思いますが、同時に仕方ないかなとも思います。
 だって自分は年賀状、今年は一枚も出してないですからね。

 元々出さない人間ではなかったんですよ。
 学生時代は親戚にも知り合いにも結構な枚数の年賀状を出していました。
 それがなぜ出さなくなったのか?
 理由は単純、返還率が尋常じゃなく悪かったから。
 自分の知り合いは年賀状が送られてきても返信しない、人間のクズばっかりだったんですよね。
 年賀状を送り返さないぐらいで人間のクズ呼ばわりはなかろうと思われるかもしれませんが、繰り返しますが年賀状を送り返さない奴は人間のクズです。
 だって、年賀状を送っても送り返さないってことは挨拶をしても挨拶を返さないってことでしょう?
 そういう輩は物を借りても返さないだろうし、金を借りても返さないでしょう。
 年賀状を送り返すことが煩わしいと考えるのであれば、窮地を助けられてもその恩義を煩わしいと考えるでしょう。
 ほら、人間のクズでしょう?
 
 そんなわけでいつしか自分も年賀状は送られてきたものだけを返信するだけになってしまいました。
 すると年々送られてくる年賀状も減ってきて、今年はとうとう一枚になってしまったというわけです。
 まぁ仕方ないとしか言いようがないですね。
 仕方ない仕方ない。

 年賀状を出さない若者が増えているそうです(こちら)。
 年始の挨拶をどのような形で済ませるかは個人の自由だと思います。
 メールやLINEがあるから年賀状は送らない、という選択もありですよね。
 メールやLINEでも一向に構いません。年始の挨拶をするのであれば。

 ただ、お世話になった人に年始の挨拶そのものをしない、っていうのはどうなんですかね?
 確かにどこからどこまでがお世話になったと言えるのか、その判別は難しいと思います。
 ただの知り合いにまでいちいち丁寧に年始の挨拶をしてたら切りがないですから。

 でもこれが親戚となると判別は容易ですよね。
 年始の挨拶をする、もしくは年賀状を出さなければいけない親戚は、お年玉をくれる親戚です(文字通り現金な話ですが)。
 お年玉をくれる親戚はお世話になった親戚だと言っても過言ではないと思います。
 要はお年玉が欲しければ、年賀状を送れよ、ってことです。
 という言い方をすると角が立つかもしれませんが、年の初めにお年玉をもらった親戚には年末に年賀状を出すのは当然だろう、って思いますけどね。

 ちなみに今年20歳になる姪っ子はとうとう一回も年賀状を送ってくることはありませんでした。
 去年の夏に会ったとき、今年は必ず年賀状を送れよ、と言っていたにもかかわらず。
 もちろん年賀状を送る送らないは個人の自由です。
 でもそれを言うならお年玉をあげるあげないも自由であるはずです。

 何だか年賀状を送れ送れと五月蠅く書きましたが、自分が言いたいのは、たった一枚の年賀状を嬉しく思う人間が世の中にはいるってことです。
 姪っ子から年賀状をもらったらその年のお年玉を奮発してやろうと考える人間がいるってことです。
 若い人たちはそういう人間が世の中にいるってことを覚えておいた方がよいかもしれませんよ?
コメント
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