安達寛高(乙一)監督、飯豊まりえ主演、『シライサン』、1/11、Tジョイ久留米にて鑑賞。2020年4本目。
さて、初めはどうなるかと思った映画・演劇武者修行の旅もこの「シライサン」でようやく終わりを迎えます。
本当に無茶しますよね!とか、まるで修行ですね!と人から言われるような映画の見方をしているのですが、別に自分としても好きでそんな映画の見方をしているわけではないのです。
出来れば一日に観る映画の本数は多くても二本ぐらいに留めたい、そう思ってはいます。
しかし、この週末に公開された『フォードVSフェラーリ』、『パラサイト 半地下の家族』、そして『シライサン』、そのどれかの鑑賞を来週に回そうと思っても、来週は来週で『ペットセメタリー』と『ジョジョラビット』の公開が控えているわけです。
そのすべてを観ようと思ったら、結局どこかで無理をせねばならず、無理をするのであれば三連休の初日が一番都合がいいのですよね。
まぁそもそも映画のために無理をする必要はないだろうという話なのですが。笑。
さて、この『シライサン』、予告編を見ても、ありがちなJホラーっぽくてまったく観る気が起きません。
こんなことを言うのもなんですが、『パラサイト』ではなく、『シライサン』を優先的に観る人がいたら、この人は何を考えているのだろう?とすっごく理解に苦しみますね。
と言ってる自分がこの日観た三本の映画の中で『シライサン』のムビチケを一番最初に購入した、つまり三本の映画の中で『シライサン』が一番観たい映画だったわけです。
なぜ予告編を見てもそそられない『シライサン』が一番観たい映画なのか?
理由は単純、監督である安達寛高(乙一)とは彼の小説を通じて長い付き合いがあるので(注:一方的な付き合いです)彼の商業長編映画デビュー作を観に行かない、という選択はなかったのです。
で、実際観ての感想はというと、、、ネットでのレビューでも同様の感想を多く見かけるけど、一言で言えば『リング』の劣化版のコピーでしたね。
予告編から想像される通りのありがちなJホラーでした。
自分が乙一の小説のどこら辺が好きだったかというと、よくこんな設定を思いついたな!とか、よくこんな展開を思いついたな!とか、そういった、常人では決して思いつかない、奇想天外さでした。
彼の『GOTH』を初めて読んだときはハンマーで頭を思いっきりぶん殴られた時のような衝撃と、真剣で身体を真っ二つにされた時のようなキレを感じたものでした。
しかしこの『シライサン』からはそういった奇想天外さや衝撃やキレの良さは感じませんでした。
代わりにあったのはいくつものツッコミどころかなぁ。
この手の感染系のホラー映画では呪いの発動条件がありますよね。
『リング』だと呪いのビデオテープを鑑賞することで、『呪怨』だと伽耶子の棲む家を訪れることです。
ではこの『シライサン』の発動条件はというとシライサンのことを話題にすることなのです(そしてその話を聞いた者はすべて呪いにかかり、三日ごとに呪われた誰かがシライサンに殺される)。
発動条件のハードル、低っ!と思いましたよ(まぁ『リング』も『呪怨』もそんなにハードルが高くなかったですが)。
そんなに簡単に呪われてしまうと逆に呪いが広範囲に広がらないと思うんですけどね、潜伏期間のない伝染病と同じで。
そもそも最初にシライサンの怪談を披露した男は、小学生の頃に近くに住む民俗学者からシライサンのことを聞き、日記にそのことを書くのですが、大人になって久しぶりに日記を読み返し、シライサンのことを思い出すのです。
ちょっと待て。
なぜ男は10年以上もの間シライサンに襲われなかったんだ?
もしかしたら答えのある疑問かもしれませんが、作中で答えは提示されません。
小説を読めばわかることなのかな。
他にも目が不自由な人だと呪いにかかるのかどうかとか、呪いにかかった二人がシライサンを中心に反対方向から見たらどうなるかとか、いろいろ気になることや疑問はあるのですが、一番それはどうかと思ったことは、シライサンが自分のことを「シライサン」って自称することですね。
シライサンのことを第三者が「シライサン」って呼ぶのはわかりますよ。
でもシライサン自身が「シライサン」って自称するのは明らかにおかしい。
「お前は誰だ?」と問われたら、「シライ、、、ユキエ」とか「シライ、、、エミ」とか、苗字プラス名前で答えるのが普通でしょう?
それなのにどうしてシライサンは「誰か?」と問われて、自分の名字に「サン」付けで答えるんですかね?
もしかして敬称としての「サン」ではなく、名前が「サン」なんでしょうか。
そちらの方がよっぽど納得出来るんですけどね。
というようなどーでもいいような疑問が次々と頭に浮かんで、観ていても作品に没頭することは出来ませんでした。
細かいことが気にならない方は作品に没頭出来て、より楽しめ、より恐怖することが出来るのかもしれません。
お気に入り度★★☆、お薦め度★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
さて、初めはどうなるかと思った映画・演劇武者修行の旅もこの「シライサン」でようやく終わりを迎えます。
本当に無茶しますよね!とか、まるで修行ですね!と人から言われるような映画の見方をしているのですが、別に自分としても好きでそんな映画の見方をしているわけではないのです。
出来れば一日に観る映画の本数は多くても二本ぐらいに留めたい、そう思ってはいます。
しかし、この週末に公開された『フォードVSフェラーリ』、『パラサイト 半地下の家族』、そして『シライサン』、そのどれかの鑑賞を来週に回そうと思っても、来週は来週で『ペットセメタリー』と『ジョジョラビット』の公開が控えているわけです。
そのすべてを観ようと思ったら、結局どこかで無理をせねばならず、無理をするのであれば三連休の初日が一番都合がいいのですよね。
まぁそもそも映画のために無理をする必要はないだろうという話なのですが。笑。
さて、この『シライサン』、予告編を見ても、ありがちなJホラーっぽくてまったく観る気が起きません。
こんなことを言うのもなんですが、『パラサイト』ではなく、『シライサン』を優先的に観る人がいたら、この人は何を考えているのだろう?とすっごく理解に苦しみますね。
と言ってる自分がこの日観た三本の映画の中で『シライサン』のムビチケを一番最初に購入した、つまり三本の映画の中で『シライサン』が一番観たい映画だったわけです。
なぜ予告編を見てもそそられない『シライサン』が一番観たい映画なのか?
理由は単純、監督である安達寛高(乙一)とは彼の小説を通じて長い付き合いがあるので(注:一方的な付き合いです)彼の商業長編映画デビュー作を観に行かない、という選択はなかったのです。
で、実際観ての感想はというと、、、ネットでのレビューでも同様の感想を多く見かけるけど、一言で言えば『リング』の劣化版のコピーでしたね。
予告編から想像される通りのありがちなJホラーでした。
自分が乙一の小説のどこら辺が好きだったかというと、よくこんな設定を思いついたな!とか、よくこんな展開を思いついたな!とか、そういった、常人では決して思いつかない、奇想天外さでした。
彼の『GOTH』を初めて読んだときはハンマーで頭を思いっきりぶん殴られた時のような衝撃と、真剣で身体を真っ二つにされた時のようなキレを感じたものでした。
しかしこの『シライサン』からはそういった奇想天外さや衝撃やキレの良さは感じませんでした。
代わりにあったのはいくつものツッコミどころかなぁ。
この手の感染系のホラー映画では呪いの発動条件がありますよね。
『リング』だと呪いのビデオテープを鑑賞することで、『呪怨』だと伽耶子の棲む家を訪れることです。
ではこの『シライサン』の発動条件はというとシライサンのことを話題にすることなのです(そしてその話を聞いた者はすべて呪いにかかり、三日ごとに呪われた誰かがシライサンに殺される)。
発動条件のハードル、低っ!と思いましたよ(まぁ『リング』も『呪怨』もそんなにハードルが高くなかったですが)。
そんなに簡単に呪われてしまうと逆に呪いが広範囲に広がらないと思うんですけどね、潜伏期間のない伝染病と同じで。
そもそも最初にシライサンの怪談を披露した男は、小学生の頃に近くに住む民俗学者からシライサンのことを聞き、日記にそのことを書くのですが、大人になって久しぶりに日記を読み返し、シライサンのことを思い出すのです。
ちょっと待て。
なぜ男は10年以上もの間シライサンに襲われなかったんだ?
もしかしたら答えのある疑問かもしれませんが、作中で答えは提示されません。
小説を読めばわかることなのかな。
他にも目が不自由な人だと呪いにかかるのかどうかとか、呪いにかかった二人がシライサンを中心に反対方向から見たらどうなるかとか、いろいろ気になることや疑問はあるのですが、一番それはどうかと思ったことは、シライサンが自分のことを「シライサン」って自称することですね。
シライサンのことを第三者が「シライサン」って呼ぶのはわかりますよ。
でもシライサン自身が「シライサン」って自称するのは明らかにおかしい。
「お前は誰だ?」と問われたら、「シライ、、、ユキエ」とか「シライ、、、エミ」とか、苗字プラス名前で答えるのが普通でしょう?
それなのにどうしてシライサンは「誰か?」と問われて、自分の名字に「サン」付けで答えるんですかね?
もしかして敬称としての「サン」ではなく、名前が「サン」なんでしょうか。
そちらの方がよっぽど納得出来るんですけどね。
というようなどーでもいいような疑問が次々と頭に浮かんで、観ていても作品に没頭することは出来ませんでした。
細かいことが気にならない方は作品に没頭出来て、より楽しめ、より恐怖することが出来るのかもしれません。
お気に入り度★★☆、お薦め度★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。