1日の終わりに ~森真理マンドリン教室~

マンドリンと共に暮らす日常のあれこれを、ほぼ毎日綴っています。

近くの人の役に立つ

2016年07月05日 | Weblog
今週の仕事はゆったり。日曜日も完全休眠状態でした。
こういう時っていろいろできそうで、かえって何も片付かない、ということが多いです。
それならいっそのこと、じたばたしないでのんびりを満喫しよう。
じゅうぶんのんびりすれば、また動き出したくなると思います。

以前にも投稿したことのある、鈴木重子さんの文章について。
部分的に引用するより、ここにうまく持ってこられたらいいなと・・・。
「埋め込み」というやり方を使ってみます。


試してみましたがうまくいかないので、結局コピペで・・・。
鈴木重子さん
2016年6月9日の投稿です。

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(最近考えていることで、
まだうまく答えの出ていない疑問です。
一緒に考えてみたい方に。)
『これはとてもよいものだ。』
ということと
『これを、なるべく多くの人に知って(持って)ほしい。』
ということの間にあるもののことを
最近、考えています。

私のうたや、
私が大切に学んでいる、非暴力コミュニケーションや
アレクサンダー・テクニーク。

私自身にとって、その価値は
他に比べるものがないほど、かけがえなく素晴らしく、
人生をサポートしてくれるものだけれど。
それを知ったら、今よりもっと人生が豊かになるひとは
きっと、いるだろうけれど。

『だから、それをなるべく多くの人に知ってほしい』
という結論に、直結していいものだろうか?

ガンジー非暴力研究所の所長であり、
大切な友人でもある、キット・ミラーさんは
「私にとっては、このロチェスターの街で、
非暴力の精神が花開くのを助け、
その成果を見るのが大切なの。
世界中に広げる、という考えは
私には、あまり興味がない。」
と言っていました。

先日お会いした、尊敬するセラピストは
「私の近くの人たちの役に立ちたいの。」
と言っていました。
本当に素晴らしい技術だけれど、
それを積極的に広めることを考えず、
ちょうどいい数の、ちょうどそれを必要としている人が
来るのを、ゆったり待っていました。

その2人の言葉を思い出すと、
息が深くなります。
自分が何を大切にしていて、そのために何がしたいのか
ということについて、
本当に正直で、自分に誠実な答えを持っていることに
こころを打たれます。

いまの社会では、
大きいほど、速いほど、効率がよいほど、
広がれば広がるほど、
よい、ということになっているけれど。

それは、本当だろうか?

確かに、必要とする人がいたら、
その目に触れるように、
情報を届けることは、大切なことだろう。

でも一方で『なるべく多くの人に』と思うとき
ただ知ってほしい、役に立ちたいのではなく、
それによって、認められたり、
生きていくためのよすがを得たりしたい、
という望みが、後ろに隠れていないだろうか?
もしそうだとしたら、その目的にもっと役立つ
他の方法があるのではないだろうか?

私は一体、どうしたいのだろうか?
私には、何が大切なのだろうか?

すぐに明確な答えの出る問いではないけれど
問いかけながら、生きてゆきたいと
思っています。

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私はこの内容にとても共感しました。
仕事をしている上で、「人の前で(いい)演奏がしたい」「生徒を増やしたい」などと思っています。
実際、演奏機会が増えればうれしいし、生徒が増えればうれしい。

でも、「もっともっと」がそんなに大事なのか、と思う時があるんです。
今現在でも、自分の身の丈に活動が合っているのかどうか疑問に思うこともあるくらいで。

重子さんが書いているように(言ったのはセラピストですが)、

「私の近くの人の役に立ちたいの。」

これができたら、もうじゅうぶんな気がします。
あれもこれも手を広げず、今あること、今取り組んでいることをたいせつにやっていく。
そう思ったら気持ちがゆったりしました。
コメント
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