カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

戦国歴史絵巻を訪ねる

2015-04-30 08:41:34 | 旅行記
 旅の第5日目は金沢から始まった。

 以前兼六園までは訪れたことがあったものの、金沢城が抜けていたので今回は穴埋め的に早朝から訪れ9時の開館を待った。

 

 城郭の一部が復元されていたが、展示物等は意外に少ない。

 新幹線効果で観光客が増えているし、外国からの観光客それもアジアからの観光客が多いようだ。

 今日の主たる目的は、戦国の歴史を彩った城と古戦場なのだが、途中の琵琶湖に浮かぶ「竹生島」は謡曲を唸ることを趣味としているものとしては外せないので、旅の相棒の配偶者に了解してもらって岸から遠望することになった。

 

 「観世流初心謡本」中刊のトップに出てくる曲である「竹生島」は女人禁制などと知らぬ人は言うが、祀られているのは弁財天という女性の神様なので、むしろ女性こそお参りすべきであるという曲で目出度くもあり面白くもある。

 さてこのあと、湖の畔沿いの道を南下して配偶者がもっとも行きたいと熱望した「安土城」へ向かう。

 

 お城前の駐車場からは、いきなり石段が延々と続く。

 手作りの杖をかりてゆっくり登ることにする。石段の両側には信長配下の武将達の屋敷跡がつづく。

 最上部の本丸跡あたりは木々が林立し琵琶湖側の一部を除き視界は遮られている。

 国の特別史跡に指定されていて勝手な手は加えられないし、まだまだ発掘などによって貴重な資料が出てきそうな雰囲気が漂っている。

 

 本丸天守閣にあったとされる「天主」の部分は別な施設の屋内に復元模型として展示されている。

 相当に疲れ果てたが、なんのこれしきと「関ヶ原」に向かう。

 信長が本能寺で死ななかったら「関ヶ原の合戦」があったかどうかも疑わしいが・・・。それは無しにしよう。

 

 決戦場の跡だが、天下分け目の戦で東西15万以上の大軍が集中した場所にはそれなりの感慨が湧く。

 

 西軍のほぼ中央に位置する「石田三成陣地」から見下ろした関ヶ原の地形。

 

 やや敵方を見上げる形になり、位置的にはかなり危険であった筈の「家康最終の床几場」跡があった。

 前進陣地から更に前方に進出し、指揮官として兵を鼓舞し次の天下の覇者たらんとする決意の程が窺える。

 盤石の逆八陣地で迎え撃つ三成の戦術通りの陣地配備も、家康独自の情報・諜報戦を交えた総合戦闘シナリオの前にはあっけなく半日ほどで瓦解した。

 そして、明日以降訪れる予定の大垣城や平成の大修理が終わった姫路城などは、偉容をもって抑止力としたむしろ平和の城になっていくのである。

 「虚も実もいろいろ有って関ヶ原」

 「関ヶ原今日は桜の春の陣」

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