ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

大人になるにつれ、かなしく(25)

2016-12-22 23:02:03 | Weblog
2月中旬、外は雪が降っている。亜衣の腹部は、妊娠5ヶ月で小さな生命の存在感が増している。3月で銀行を退社することがすでに決定していた。いよいよ、僕の収入で生活していかなければならない。こういうこともあろうかと、これまでも、生活費は僕の収入、そして亜衣の収入は貯金にまわしていた。出来るだけ、それを切り崩さないで自分が頑張らなければいけないと思っている。順調に行けば、夏に亜衣は子供を生み、僕は父親になるだろう。

その頃だった。高校時代の同級生のSから電話があった。都内の水族館で、藤沢と有紗を見たというのだ。Sは声をかけなかったという。

Sは恋人とデート中だったそうだが、館内はそれほど込み合っていなかったらしい。そこに長身の美男、美女のカップルが現れたから、自然とSの目は、水の中の生物からその二人へ移った。最初は気づかなかったが、よく見ると藤沢と有紗に似ていた。そして次第に似ているのではなく、本物だと思った。しかし、Sは声を掛けられなかった。2人の雰囲気、特に藤沢が大きく変質して見えた。溌剌としていたかつての面影がないのだ。そのため、やはり別人かもしれないかと迷いが生じた。しかし、水族館を出てしばらくして、やはり藤沢と有紗に間違いないと思い直したようなのだ。




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大人になるにつれ、かなしく(24)

2016-12-22 21:32:06 | Weblog
「藤沢さん、どうしたのかねえ?」
亜衣が心配顔で言う。

「司法試験で挫折したショックかな?まあ他にも事情はあるのかもしれない」
僕はぼんやりテレビ画面を見ながら応えた。

「何回受験したんだっけ?」

「ええと、大学4年からだから6回かな」

「ところで、話題は変わるんだけど・・・」
亜衣の声は照れくさそうだった。

「ん、何?」

「私、妊娠したみたいなんだ」

「えっ」

「病院で妊娠8週目に入ってるって」

僕はテレビを消し、亜衣の方を向き、近づいて、亜衣の腹部を凝視した。

「ああ、そうなんだ」

「嬉しくないの?」

「いや、嬉しいけど」

「なんかあまり嬉しそうじゃないから」
亜衣が少し、頬を膨らませた。

「いや、まだ実感が湧かないんだよ。そうか、僕らは父と母になるんだね」

「うん」

「これまで以上に体を大事にしないと」

「そうだね」

普段と違い、亜衣は言葉少なだった。僕も嬉しさを的確に表現したい。そして、その感情をストレートに彼女に伝えたいと思うのだが、うまく見つからない。

「こういうのが幸せっていうのかな?」
しばらくの沈黙の後、僕は自分も予期しなかった言葉を吐き出していた。亜衣は小さく頷いた。
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大人になるにつれ、かなしく(23)

2016-12-22 19:56:17 | Weblog
程なく、藤沢の司法試験の結果は出た。不合格。電話口から聞こえてくる彼の声には力がなく、ショックを隠そうともしなかった。自信があったが故に、それだけ気持ちの落ち込みも大きかったのだろう。僕もかける言葉が見つからず、ありきたりのことを少しだけ話し、早々に電話を切った。

その後、藤沢の挑戦は4年続いた。法律事務所でアシスタントとして働きながら。しかし、結果は実らなかった。僕はといえば、臨床心理士の資格を取り、大学病院などで非常勤で働いている。亜衣は、僕の妻となった。僕の収入が十分でないため、彼女はいまも銀行で受付として働いている。白川さんは、僕ら二人を祝福してくれた。結婚式ではウェディングドレス姿の亜衣を見て泣いていた。白川さんは、僕にとって、おじさんから義理の父となった。

藤沢とは、彼の最後の挑戦のあと連絡が取れなくなった。携帯電話がつながらないのだ。藤沢の自宅マンションにも訪ねてみたが、すでにそこには住んでいなかった。

数日後、僕と亜衣が新婚生活を送るマンションに手紙が届いた。「突然、心配をかけて悪かった。必ず、新しい電話番号を教えるから少し、待ってくれ。その間は、手紙を書くから安心して欲しい」と記されていた。僕は少々、苛立った。苦しい時こその友人ではないのかと。しかし、その感情をそのまま伝えてもいけないと思い、見慣れぬ連絡先に「水臭いなあ。まあ、孝志にもいろいろ事情があるのだろうから、急がなくていいよ。でもいずれ、連絡先を教えてくれよな」と返した。
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