白雲去来

蜷川正大の日々是口実

戸越銀座から松原商店街へはしごした。

2012-09-08 23:31:10 | インポート

九月八日(土)晴れ。

昨夜、しらふのためか中々寝付かれず、深夜の二時過ぎまで起きていたにも関わらず八時前に目が覚めてしまった。家族と一緒に朝食。私は、週に一度くらい、どうしても「ソース」が欲しくなる。特別なものを作る訳ではないが、目玉焼きかオムレツ、それにウインナーか魚ソにキャベツの千切りを添えたもの。これに中濃ソースか、気分でウースターをかけて食べる。

社友で、「福井のカレー」(インターネットで検索してみてね)のオーナーの福井さんから名古屋を中心に売られているソースを送って頂いたことがあった。それで初めて「ソース」に様々なメーカーやご当地ものがあることを知った。以外に奥が深いと感心したものだ。

貧乏性のせいか、ハムはロースハムよりも、ポークハムや魚ソがいい。魚ソは絶対に「丸善のホモソーセージ」がいい。それに「赤ウインナー」。私が子供の頃に、四角い「プレスハム」というものが売られていたが、最近はほとんど見かけない。キャベツの千切りも、私は、自慢ではないが名人に近く、子供たちは、私が切る千切りの大ファン。時には、お代りをする。やはり細くなくてはね。

午後からは、仕事が一段落したので、かねてから一度行ってみたいと思っていた「戸越銀座」へ愚妻と車で出かけた。日本一長い商店街とのことで、端から端まで歩いて見たが、うーん、私的には、全く面白味に欠けていた。それでも付き合ってくれた愚妻に申し訳ないので、海老で出汁をとったラーメンに付き合った。極太麺にドロツとしたスープ。美味しいのだが、ここまでやられるとラーメンと言うよりも別の料理のような気がしてならなかった。接客のマナーは良いのだが、何かファミレスのマニュアルのような感じがした。

愚妻は、近所にあったらまた食べたいと言っていたが、私はパスかな。ラーメンは、醤油に始まって醤油に終わるような気がする。余り奇を衒ったようなものは、正直言って邪道であると思う。まああくまでこれは私の個人的な意見です。

何も買い物もしなかったが、一度行ってみたいと思っていただけに胸のつかえがとれただけでも充分。

帰る途中で、洪福寺の松原商店街に寄った。アウェーからホームに帰ってきたようでホッとする。「魚孝」で鮪とサバの文化干しを、斜め前の肉屋で、子供たちにハラミの大ぶりなものを買って帰宅。夕食前にツタヤで「バトルシップ」と「マーガレット・サッチャー」の二作品を借りた。まだ体調が良くないので、「糖質ゼロ」の「濃い味」を二本飲みながら見た。

何も考える必要のないこういったドタバタ・アクション映画はストレスの解消には最適である。特に、主演はサリーファミリーでもあり、お友達のジュンコちゃんのご子息の浅野忠信さんだ。地球に来たエイリアンと日米の士官が協力して戦うものだが、今時の小児病的な反米主義者に見せてあげたいような映画だった。ロシアや北朝鮮に対しても、この映画のように日米仲よくして、戦えばいいのにと思った次第。

それでも、最後にエイリアンをやっつけるのが、先の大戦において、降伏の調印式を行った戦艦ミズリーという設定に、日本人を主役?に持ってきたことに対するイヤミではないかと勝手に思った。まあ考えすぎか。

本当は、福島第1原発事故により県内で発生した指定廃棄物(放射性セシウム1キロ当たり8千ベクレル超)の最終処分場建設問題で、国が候補地に選定した矢板市で7日、反対する動きがさらに広がり、市議会は白紙撤回を求める意見書を全会一致で可決し、市区長会も役員会で撤回に向けた署名活動を始めることを決めた。との報道を読み、何が「絆」だバカヤロー。大体テメーらの土地かよ。どうせごねて、国から金でも引っ張ろうと言う魂胆だろうが、それでも日本人か。バーカ。と言うことを書いてやろうと思ったが、頭に来るのでやめた。馬鹿市長め。

2001※ロシアではなかった、エイリアンでした。面白かった★四つ。


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風邪の予兆か・・・。

2012-09-07 22:53:34 | インポート

九月七日(金)晴れ。

午前中は、銀行や郵便局へあいさつ回り。と言うのは嘘で、支払いのためにヒーコラ言って駆けずり回った。今日は、亡くなられた見沢知廉氏の墓前祭が菩提寺である馬込の光源寺で一時から行われる。当初、大熊雄次氏と出席するつもりでいたのだが、二時から掛りつけの医者で検査の予約をしていたのを忘れていた。いつも段取りをしている劇団再生の高木尋士さんには失礼をしてしまった。

今月の支払いがすべて終わったと思ったら、機関誌を郵送する封筒、印刷用の紙がないことに気が付き、再度の出費。おまけに、午後になって、喉が痛くなった。風邪の予兆か、耳鼻咽喉科と医者のはしごまでしてしまった。慌ただしくもついていない一日だった。

機関誌が完成すると、なんとなく嬉しい。大げさではなく子供が生まれぐらいの感動と達成感がある。何しろ、ほとんど赤字の雑誌を意地と使命感だけで出しているのだから。それももう百九十号だ。約二十年も発行している。号数が合わないのは、資金不足で度々発行が遅れるからだ。定期購読者の皆様には、本当にご迷惑をお掛けしている。何とか頑張って良い物にして行きたいと思っている。今後とも宜しくお願い致します。

喉の調子が悪く、今日も休肝日。体調が悪い時ぐらいしか酒を抜けないのが情けない。

190※見本誌をお送りいたします(1000円・切手可)ご連絡ください。


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大ポカをしてしまった。

2012-09-07 22:21:33 | インポート

九月六日(木)晴れ。

 「燃えよ祖国」の発送を追えてホットしている。と思ったら、大ポカをしてしまった。戦跡慰霊巡拝団の副団長として行動を共にした大熊雄次氏の原稿「涙そうそう」が何と一頁分欠落していたのだ。それを大熊氏から指摘されるまで気が付かなかったのだから、どうしようもない。

 どうしてそうなってしまったのか、原因を調べていたら、判明した。いわゆるワードで送って頂いた場合は、送ってくれたものをそのまま取り込むことができるのだが、PDFの形で送って来たものは、一頁ずつ取り込まなければならない。頁番号が付いていないので、一頁分飛ばして取り込んでしまったのだ。

 当然責任は、こちらにある訳で、やはり次からは書いた方に校正をお願いするようにしたいと思う。校正をしているつもりでも読み飛ばしてしまったり、思い込みで、つい誤字脱字を見落としてしまう。申し訳ないことをしてしまった。

 大熊雄次氏の原稿「涙そうそう」は、次号に再度完璧なものを掲載するつもりでいる。大熊氏や購読者の皆様に、心からお詫びを申し上げます。

 今日は、昨日の酒が残りおり、きわめて体調不良。朝食の後に、少し仕事をしてからまた横になった。夜は、早めに風呂に入って録画しておいた、山田洋次監督が選んだ日本の名画百本の「喜劇編」から、昭和三十八年公開の渥美清主演の「拝啓天皇陛下様」を見た。公開された当時も見た記憶があるが、何しろ中学生だったため、さほど記憶には残っていなかったが、今回見て、本当に良い映画だと思った。先日の「二等兵物語」は、軍隊の嫌な所ばかりを強調した喜劇だったが、今回のものは、上官も皆いい人ばかりで、ほとんど嫌な所はなかった。

 続編もあると言うことなので、近いうちに探してみたいと思っている。そんな訳で、体調不良につき休肝日。

N_617da9691pl1※いい映画だった。

 


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今年の群青忌・墓前祭のご案内

2012-09-06 18:27:21 | インポート

九月五日(水)晴れ。

 午前中に歯医者。終了後に事務所に行き、「燃えよ祖国」の製作。二時過ぎにようやく完成した。通巻第190号となる。200号記念には、様々な方からお祝いの原稿を頂くつもりでいる。

 三時半に、社友の松本佳展君に迎えに来てもらい東京へ。今日は、群青忌実行委員会の会合が、隠岐康氏の会社の会議室を使って開催する。五時に、ほとんどの社友、実行委員が到着。今年は、先生のご命日の10月20日がちょうど土曜日となる。地方の社友も土曜日であれば参加しやすい。早いもので、先生が亡くなられてから19年となる。

 今年の、野村先生の追悼19年群青忌の墓前祭は下記の通り行います。

Jpg※クリックしますと拡大します。


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月餅には尊王攘夷の伝説がある。

2012-09-06 18:04:52 | インポート

九月四日(火)晴れ。

九月に入ったと言うのに厳しい残暑の日が続いている。本当に暑い。それでも今年は、ほとんどクーラーを使用せずに、扇風機だけで過ごしているが何とかなるものだ。

今日は、事務所で機関誌の印刷と、製作を行った。何とか、夜六時過ぎにほぼ仕上がった。残るのは、余白の切り落としだけだ。ホッとする。

自宅に戻ると、ニュースで今年の「中秋」は九月の三十日と言っていた。中秋の名月には、日本では「月見団子」だが、中国では「月餅」を食べる習慣がある。その月餅は、日本では単なるお菓子として一年中出回っているが、中国では八月にならないと、ほとんど見ることがない。八月の声を聞くと昔からの習慣で、月餅の贈り物をする。特に八月十五日の「中秋節」は、円満幸福の象徴として「団圓節」とも言われ、夜は、庭に瓜や果物、そして月餅などを机に並べて月に供える。これにすすきが添えられたなら、日本では「お月見」となる。

中国の月餅を贈る習わしは、一つの伝説に基づいている。
元の時代の末期に、蒙古人の支配者たちは自分の統制力を高めるために、色々な手を使って民衆を圧迫した。これらの蒙古人の手から天下を取り戻そうとした漢民族があちらこちらで兵を挙げた。のちに元を倒して明の皇帝となった朱元璋は、八月十五日の満月の日に揃って蜂起し一挙に元を倒すことを決めた。

同志の劉伯温という菓子屋の主人に、月の形に似せて丸くした菓子を作らせ「月餅」と名づけた。その月餅の中に「中秋節にこの月餅が切られたとき、漢民族はいっせいに立ち上がって蒙古人を殺せ!」と書いた伝令の紙切れを、餡の代わりに詰めた。これを月に供える名目で各家や同志に配って密かに連絡しあったと言われている。

中国のお菓子、月餅に尊王攘夷のいわれがあることを知っている人は少ない。かく言う私も以前読んだ「丁さんの食談義」(丁秀山著・筑摩書房)という本からの受け売りである。

今日は、今月最初の休肝日とした。あーあツライ。長い夜になりそうだ。


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