白雲去来

蜷川正大の日々是口実

卒業式。

2021-03-25 14:47:47 | 日記

3月20日(土)曇り。

今日は、下の子供の大学の卒業式。予報では雨とのことだったが、何とか空が泣かずにいてくれた。コロナ禍により本人以外の出席者は一名とのことなので愚妻が付き添った。この子が生まれた時、「大学を卒業するとき、私は70歳か・・・」と思ったことが現実になった。子供の晴れ姿を一目見たかったが、爺の出る幕ではないと、ステイ・ホーム。

午後に、送られて来た袴姿の写真を見て、涙腺が緩んだ。上の子供は二年前に大学を卒業し、これで二人とも目出度く学業を終えた。ひとえに愚妻のおかげと感謝している。

子供が小学生の低学年の頃のある日、改まって「とーたん質問」。何と聞くと「およその家では、お母さんが毎日家にいて、お父さんが会社に行くのに、なんで家は、お母さんが仕事に行って、お父さんがお家にいるの?」と二人して聞かれた。「いやとうたんもお仕事をしてるんだよ」。「何してるの」。「本を書いたり、雑誌を作ったりしているんだよ」。「見せてよ」。と言われても当時連載させて頂いていた『実話ドキュメント』や『実話時報』と言った「実話誌」を子供に見せるわけにはいかないので、困っていると、「お母さんばかりに働かせて、毎日、お酒飲んで、お母さんが可哀そう」と泣かれたことがあった。これには正直言って参った。

父親の仕事の「浪人」の何かが薄々分かるようになったのは高校生ぐらいか・・・。まあともかくこれまで恙なく育ってくれたことに感謝している。


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五人の古希を祝う会。

2021-03-22 12:22:03 | 日記

3月19日(金)晴れ。

夕方5時30分より、みなとみらいのホテルのとても眺めの良い部屋で「五人の古希を祝う会」。その五人とは、サリー、みっちゃん、しんちゃん、カズオさんにマ~坊(私のことです)」。企画立案はサリー姐さん。折角のホテルの食事会も、時短にソーシャル・デスタンスとかで大きなテーブルに四人のみ。25名ほどが集まったが、もちろん皆さんお知り合い、と言うより仲良しさん。まあサリーズバーのご常連。

幼馴染の皆さんも、気が付けば古来稀な歳となった。当然ながら実感がないのは私だけではないだろう。

朝廷から戻ってくると、毎日のように春着を質に入れ、いつも、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。
酒代の借金は普通のことで、行く先々にある。この人生、七十まで長生きすることは滅多にないのだから、(人生七十古来稀)今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ。「古稀」の語源となった杜甫の「曲江」の一節である。

サリー姐さんや同期の皆さん、友人に感謝した一日でした。


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切るほどの髪がなくても身だしなみ。

2021-03-22 11:48:46 | 日記

3月18日(木)晴れ。

朝食は、大好きな笹カレイの干物、寿雀卵の生卵、小チキンラーメン。昼は、ソースチャーハン、新玉ねぎのスープ(ウエィパー使用)。夜は、マグロの刺身、茹で豚、タケノコ揚げ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

21日に緊急事態宣言が全面的に解除になるとのことだが、一体何が、どう変わるのか良く分からん。行動の自粛、飲み屋の時短。こんなことでコロナが減るとは到底思えない。何とか法改正して、一週間ぐらい、一都三県を完全にロックダウンしてはどうか。一週間ぐらい、大して食べなくても死にゃしない。ダラダラと延長するより、ガツンとやった方が効果があると思うのだが。

午後から床屋へ。大して切るほど髪の毛がないが、一応身だしなみ。床屋さんとの付き合いは長く、これまで5軒ほどしか変えていない。一番長かったのは、関内にあったSさんのお店で30年以上通った。この10年くらいは自宅の近くのお店を2軒。今は、Kという床屋さんに決めている。小、中学生の頃に通っていた床屋さんがまだ営業している。店名が同じなので、ずっーとやっていると思うが、同じ店主なのだろうか。

 


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後期高齢者かぁー。

2021-03-20 11:22:22 | 日記

3月17日(水)晴れ。

朝食は、伊勢原の寿雀卵でTKG、納豆、ホタテの稚貝の味噌汁。昼は、名古屋風のみそ煮込みうどん。夜は、アスパラ炒め、牛肉炒め、ほうれん草のおひたし。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

自宅で、ひねもす読書。日差しが暖かく、うつら、うつらして、ハッとして、また読書し、うつら、うつらし、ハッとして目を覚ますということを繰り返す。ほとんど老人性痴ほう症に近い。なんたって今月の21日には人生古来稀な歳となる。早生まれなので、一歳年上の人と同級生。本物の後期高齢者だ。

力道山や長嶋にあこがれ、巨人、大鵬、卵焼きの時代を生きてきた。おう、金だ、拾おうか(王、金田、広岡)なんてギャグも今では通用しない。ケネディがテキサスで敵に撃たれて、こりゃイケネェデと言ったかどうかは知らないが、中学の一年の時だった。翌年の東京オリンピック。10月10日の青空を今でも思い出すことが出来る。人類が月に立ち、小さな一歩が、大きな一歩となった。

当然ながら、この歳になると出会いよりも、別れの方が多くなる。人が去って行くのではなく、時が去って行く・・・。ハァーっとため息が出る。何もなさず、何の足跡も残さず、ただ馬齢を重ねてきた。恥多き人生ではあるが、もう少しお付き合いの程をお願い致します。※写真は、平成5年8月(1983)野村先生との最後の旅となったモロッコはカサブランカのジャマ・エル・フナ広場にて。私は42歳だった。忘れ難い旅の一葉である。


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千里鶯啼いて 緑紅に映ず。

2021-03-18 09:31:59 | 日記

3月16日(火)晴れ。

暖かい日である。寒がりの私としては、冬が遠ざかって行くのが嬉しい。そういえば先日、鶯の声を聞いた。昨年より一ヶ月遅い。ふと杜牧の「千里鶯啼いて 緑紅に映ず 水村山郭 酒旗の風 南朝 四百八十寺 多少の楼台 煙雨の中」の「江南の春」が口をついで出る。

午後から、みなとみらいにある歯医者へ。時間に余裕を持って行ったのでランドマークタワーの中にある書店へ。産経の書評にあった本、藤原正彦の『我が人生の応援歌ー日本人の情緒を育んだ名曲たちー』(小学館新書)と『作家の手料理』(野村麻里編・平凡社)の二冊を購入。

待ち時間にパラパラしたが、藤原さんの本には引き込まれた。もちろん数学者であり、エッセイストであるから文章は上手だ。以前、藤原さんの御尊父、新田次郎さんの書きかけの物を、後を継いで書き足した『孤愁ーサウダーデ』を読んだがとてもいい本だった。ちなみに御母堂の藤原ていさんの『流れる星は生きている』は、私の人生の中の10冊の中に入る本である。

『作家の手料理』は、様々な作家が「自分で作ることに焦点を当てた」もの。「出色は掉尾を飾る内田百閒の『おからでシャムパン』。B級グルメ好きの山田風太郎がC級と嘆息するほどだ」とは書評から。チビリチビリと楽しみながら読むか。

夜はおとなしく酔狂亭にて月下独酌。横浜駅西口の生鮮市場で仕入れた、カツオ、ブリ、笹カレイの干物を肴に、お供は「魔王」。うーん贅沢だ。

 


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