(つづき)
「検察庁前」というのは、現在の「法務局前」である。
改称されて既に20年以上が経過しているのではないだろうか…。
「天神3丁目」の次は、「舞鶴1丁目」、その次が「検察庁前」なのだが、かつて、「21番」「26番」「31番」など、路線バスの中でも比較的長距離を走る路線は、都心部で「県庁通り」(現在の天神4丁目、その前は歴史資料館前)、「博多五町」などを通過していたので、同様に「舞鶴1丁目」も通過していたのではないかと推測される。
後にできた「310番」も、開設当初は「天神4丁目」と「博多五町」を通過していたが、「快速」や「急行」でもないのにバス停を通過するのがわかりにくかったのか、すぐにこれらのバス停にも停車するようになった。
「長距離路線の都心部一部通過」というシステムは、なかなか合理的だったと思うのだが、長距離路線の多くが都市高速経由にシフトし、都心部でちゃんと客を拾っておく必要があるので、今の時代には合わないのかもしれない。
天神地区のバス停が次々と新しくなっていく中で、このバス停だけは取り残されている感がある。
(つづく)
「検察庁前」というのは、現在の「法務局前」である。
改称されて既に20年以上が経過しているのではないだろうか…。
「天神3丁目」の次は、「舞鶴1丁目」、その次が「検察庁前」なのだが、かつて、「21番」「26番」「31番」など、路線バスの中でも比較的長距離を走る路線は、都心部で「県庁通り」(現在の天神4丁目、その前は歴史資料館前)、「博多五町」などを通過していたので、同様に「舞鶴1丁目」も通過していたのではないかと推測される。
後にできた「310番」も、開設当初は「天神4丁目」と「博多五町」を通過していたが、「快速」や「急行」でもないのにバス停を通過するのがわかりにくかったのか、すぐにこれらのバス停にも停車するようになった。
「長距離路線の都心部一部通過」というシステムは、なかなか合理的だったと思うのだが、長距離路線の多くが都市高速経由にシフトし、都心部でちゃんと客を拾っておく必要があるので、今の時代には合わないのかもしれない。
天神地区のバス停が次々と新しくなっていく中で、このバス停だけは取り残されている感がある。
(つづく)