(つづき)
糟屋郡久山町の「学校前」バス停。
「学校前」…、「抽象的な名前のバス停」の典型例である。
福岡都市圏レベル以上のマクロ的な視点から眺めると、「学校前って、いったいどこの学校の前なの?」ということになり、抽象的な名称は確かに「わかりにくい」のかもしれない。
ただ、その路線を利用する人たちで構成される小さな生活圏の中では、抽象的な名称であっても十分に伝わるものなのだと思う。
抽象的な名称に親しみやすさを覚えるのは、そのような背景があるのではないだろうか…と、以前書いたことがあるのだが、ここにはまさにその考えが当てはまる気がする。
4月上旬に撮影したものなので、現在では花は散っていると思われるが、「学校前」という名前の響きと、周囲の風景がマッチして、たいへん落ち着く場所であった。
(つづく)
糟屋郡久山町の「学校前」バス停。
「学校前」…、「抽象的な名前のバス停」の典型例である。
福岡都市圏レベル以上のマクロ的な視点から眺めると、「学校前って、いったいどこの学校の前なの?」ということになり、抽象的な名称は確かに「わかりにくい」のかもしれない。
ただ、その路線を利用する人たちで構成される小さな生活圏の中では、抽象的な名称であっても十分に伝わるものなのだと思う。
抽象的な名称に親しみやすさを覚えるのは、そのような背景があるのではないだろうか…と、以前書いたことがあるのだが、ここにはまさにその考えが当てはまる気がする。
4月上旬に撮影したものなので、現在では花は散っていると思われるが、「学校前」という名前の響きと、周囲の風景がマッチして、たいへん落ち着く場所であった。
(つづく)