(つづき)
「→星の原団地方面」「この先分岐地点」「分岐注意」の貼り紙。
「507は都橋」「←南・西→」「流通経由右折」などと同様、運転手さんに向けての注意喚起である。
ここは福岡市早良区の「唐木」バス停。
星の原団地に向かう便がこの先の交差点を右折する。
星の原団地で終点となる便のほか、2012年春以降、星の原団地を複乗して早良街道に復帰して早良営業所に向かう便も運行されている。
同様に、西油山ハイツについても、複乗して早良営業所に向かう便が昨年春から運行されており、現状では、「複乗」系統も結構な勢力となっている。
約7年前の記事で、
“バス路線を新たに展開していくという「攻め」の姿勢から、現存する路線だけはなんとかして維持するという「守り」の姿勢への転換傾向がより強くなれば、少ない本数でより多くの場所を結ぶ必要が出てくるため、このような「寄り道」路線はまた増えていくものと思われる。
福岡市郊外の人口減少がもし顕著になれば、何十年か先には、都心から来た「3番」が星の原団地やさわら台団地に「寄り道」してから脇山方面に向かうような時代がやって来るかもしれない。”
と書いたことがあったのだが、私の想像をはるかに超えるスピードで物事が進んでいる。
別の記事では、
“「複乗が増える」ということは、大局的にみれば「バス路線の衰退」を表しているともいえるが、衰退する中でも、複数の需要に応えようとする姿勢は評価すべきだと思う。
ただ、A地点とB地点を結ぶ路線があるとして、それまでは直線的に2点間を結んでいたものが、途中で本線を離れてCという地点を複乗(寄り道)するようになると、従来AB間を利用していた人にとっては、余計なところを通るようになって時間のロスが発生することになる。
この時間の「ロス」発生による客離れが、「複乗」することによる乗客増を上回るようだと、「複乗」を選択した意味がなくなってしまうことになる。
今後、「複乗」というツールを用いるにあたっては、この「読み」がより重要になってくると思われ、ここを読み違うと、一気にバス離れが進んでしまうことにもなりかねない。”
“近年はバス利用者の年齢層、志向や利用動機も大きく変化していると思われ、「少々時間はかかっても、目的地まで連れていってくれれば構わない」という、勤め人や学生などとは時間の感覚が違う層の割合がかなり高まっていると推定できる。
コミュニティバスの浸透もあり、“時間の「ロス」発生による客離れ”が、一昔前よりも起きにくくなっていることも、「複乗」という手段が選択され易くなっている背景にあるのかもしれない”
と書いた。
利用者は、どれぐらいまでの寄り道なら許容できるのか?というのは、なかなか興味深い(もちろん、地域差、個人差はあるわけですが)。
杷木支線の小石原・宝珠山線が「杷木~塔の元~小石原~塔の元~宝珠山」ではなく、「杷木~塔の元~宝珠山~塔の元~小石原」というルートなのは、「塔の元~小石原の距離」「塔の元~宝珠山の距離」が「前者>後者」であるからというのも一つの理由と思われ、「本線復帰後の終点までの距離」と「複乗区間の距離」というのも、寄り道の許容度を測る一つの目安になるかもしれない。
「かわせみ」の「西畑線」が萩ノ原地区に行くようになった際、「萩ノ原を複乗して大山」ではなく「大山を複乗して萩ノ原」のほうがよかったのでは?と直感的に思ったのだが、その背景にあったのはこういう考えだったのかもしれない(かなりどうでもいい話ですみません)。
反対側。
上りと下りが結構離れています。
福岡タワー行きも博多駅も、いずれも「3番」、でも藤崎行きは「93番」。
走る近い遺産、「3-3N」も健在。
(つづく)
「→星の原団地方面」「この先分岐地点」「分岐注意」の貼り紙。
「507は都橋」「←南・西→」「流通経由右折」などと同様、運転手さんに向けての注意喚起である。
ここは福岡市早良区の「唐木」バス停。
星の原団地に向かう便がこの先の交差点を右折する。
星の原団地で終点となる便のほか、2012年春以降、星の原団地を複乗して早良街道に復帰して早良営業所に向かう便も運行されている。
同様に、西油山ハイツについても、複乗して早良営業所に向かう便が昨年春から運行されており、現状では、「複乗」系統も結構な勢力となっている。
約7年前の記事で、
“バス路線を新たに展開していくという「攻め」の姿勢から、現存する路線だけはなんとかして維持するという「守り」の姿勢への転換傾向がより強くなれば、少ない本数でより多くの場所を結ぶ必要が出てくるため、このような「寄り道」路線はまた増えていくものと思われる。
福岡市郊外の人口減少がもし顕著になれば、何十年か先には、都心から来た「3番」が星の原団地やさわら台団地に「寄り道」してから脇山方面に向かうような時代がやって来るかもしれない。”
と書いたことがあったのだが、私の想像をはるかに超えるスピードで物事が進んでいる。
別の記事では、
“「複乗が増える」ということは、大局的にみれば「バス路線の衰退」を表しているともいえるが、衰退する中でも、複数の需要に応えようとする姿勢は評価すべきだと思う。
ただ、A地点とB地点を結ぶ路線があるとして、それまでは直線的に2点間を結んでいたものが、途中で本線を離れてCという地点を複乗(寄り道)するようになると、従来AB間を利用していた人にとっては、余計なところを通るようになって時間のロスが発生することになる。
この時間の「ロス」発生による客離れが、「複乗」することによる乗客増を上回るようだと、「複乗」を選択した意味がなくなってしまうことになる。
今後、「複乗」というツールを用いるにあたっては、この「読み」がより重要になってくると思われ、ここを読み違うと、一気にバス離れが進んでしまうことにもなりかねない。”
“近年はバス利用者の年齢層、志向や利用動機も大きく変化していると思われ、「少々時間はかかっても、目的地まで連れていってくれれば構わない」という、勤め人や学生などとは時間の感覚が違う層の割合がかなり高まっていると推定できる。
コミュニティバスの浸透もあり、“時間の「ロス」発生による客離れ”が、一昔前よりも起きにくくなっていることも、「複乗」という手段が選択され易くなっている背景にあるのかもしれない”
と書いた。
利用者は、どれぐらいまでの寄り道なら許容できるのか?というのは、なかなか興味深い(もちろん、地域差、個人差はあるわけですが)。
杷木支線の小石原・宝珠山線が「杷木~塔の元~小石原~塔の元~宝珠山」ではなく、「杷木~塔の元~宝珠山~塔の元~小石原」というルートなのは、「塔の元~小石原の距離」「塔の元~宝珠山の距離」が「前者>後者」であるからというのも一つの理由と思われ、「本線復帰後の終点までの距離」と「複乗区間の距離」というのも、寄り道の許容度を測る一つの目安になるかもしれない。
「かわせみ」の「西畑線」が萩ノ原地区に行くようになった際、「萩ノ原を複乗して大山」ではなく「大山を複乗して萩ノ原」のほうがよかったのでは?と直感的に思ったのだが、その背景にあったのはこういう考えだったのかもしれない(かなりどうでもいい話ですみません)。
反対側。
上りと下りが結構離れています。
福岡タワー行きも博多駅も、いずれも「3番」、でも藤崎行きは「93番」。
走る近い遺産、「3-3N」も健在。
(つづく)
私の地元でも、3年ほど前にA~B~C(統合前平日6往復)という路線とA~B~D(統合前平日5往復)という路線があったのが、A~B~D~C(平日5往復→今年4月から平日4往復)と統合になりました。よく考えたら距離は確かに、B~C>B~Dでした。
町の中で、もう一つこんな路線がありますし、
そうなっていない路線も
少し路線を改変して拠点病院やショッピングセンターを経由するようになったり、高校経由にしたりと…どこも一緒なのでしょうか。
はじめまして、でしょうか。
コメントありがとうございます。
やはり、路線を維持する手段としての「複乗」は、今後さらに増えていくのかもしれませんね。
そして、現状で放置して何もしないのでなく、病院とかショッピングセンターとか、需要を見込めそうなところを組み込んでいこうとする姿勢は評価しないといけないのかもしれません。
それらが奏功して利用が増えるのが理想なのですが。
もし今後コメントをいただけるときは、何らかのお名前を入れていただけるとありがたいです。