(つづき)
過去記事に光を当てるシリーズの7回目。
なかなか新たな記事のほうに頭が向かないため、今回は、過去に書いた考察(というか、好き勝手にだらだら書いているだけですが)の中からいくつかを再掲。
なお、記事を書いた当時と状況が変わっている場合もあるので、その点はご容赦を。
まずは、福岡西部地区の行先番号に関する考察、「姪浜駅東」の記事より。
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「7番」と「507番」が停車する福岡市西区の「姪浜駅東」バス停。
福岡市営地下鉄とJR筑肥線の姪浜駅には、北側に「姪浜駅北口」、南側に「姪浜駅南口」のバス停があり、「姪浜駅東」は、「南口」からひとつ東側のバス停である。
もし「姪浜駅東口」という名称だと、駅にかなり近いところにありそうな感じを与えてしまいそうなので、「口」を外して「姪浜駅東」とすることで、その微妙な距離感を伝えている感じだ。
ただ、「古賀駅南口」よりは、駅に近そうではあるけれど。
このバス停は、片側(都心方面)にしかバス停がなく、反対側(姪浜駅南口方面)にはバス停の標柱がないため、姪浜駅方面に向かうバスは向かい側の標柱がない場所に停車する。
もともとは、ここを通るバスは「7番」だけであり(バス停の行先案内にも「7番」しかない)、次の「姪浜駅南口」で終点だったことから(ただし一部は「姪浜(折り返し場)」まで)、わざわざ標柱を設けるまでもないという判断だった…ということなのかどうかはわからないが、現在は「507番」もここを通るようになったことから当初とは状況が変わっている。
福岡市の西南部(主に早良区と西区)と福岡市中心部を結ぶバスの番号は、通る道路によって「大まかに」以下のように分類できる(アルファベット部分に何らかの数字が入る)。
(あ)都市高速経由 … 「30X番」「50X番」「31X番」「51X番」
(い)明治通りまたは昭和通り経由 … 「Y番」
(う)国体道路経由 … 「20Z番」
(え)城南線経由 … 「1W番」
(あ)の中を見ると、郊外で西公園ランプか百道ランプを経由するものは百の位が「3」、それより西のランプ(愛宕、姪浜、福重・石丸)を経由するものは百の位が「5」というのが原則だが、愛宕ランプを通る「304番」という例外もある。
また、十の位が「0」であれば都心では天神北ランプ経由、「1」であれば呉服町ランプ経由が原則だが、呉服町ランプを通る「306番」という例外もある。
(い)は、具体的には「1番」「2番」「3番」を指しており、これ以外の番号(「4番」「5番」「6番」など)は、とりあえずここでは考慮外とする(ただ、「4番」「6番」などは全く関係ないとは言い切れない面がある)。
なお、ここでいう「1番」「2番」「3番」は、「天神→博多駅」や「天神→県庁・九大方面」の「統一番号」としてではなく、「市内貫線」「金武線」「脇山線」としての「1番」「2番」「3番」である。
(う)は、(あ)(い)(え)と比較すると例外はなく、全て六本松~国体道路を経由する。
(え)については、「主に早良区と西区」に限らず、城南区にまで適用範囲が広がる(「16番」及び廃止された「18番」)。
逆に、西区と都心部を城南線経由で結ぶ路線であっても、「1W番」という番号が空いていなくて(う)をアレンジした「214番」がついたケースもある。
例えば、四箇田団地から都心に向かうメイン路線である昭和通り経由(い)の「2番」をベースとして、都市高速経由(あ)は「502番」、国体道路経由(う)は「202番」、城南線経由(え)は「12番」というふうに、末尾の数字「2」が固定されていたならば、体系的でかなりわかりやすいといえる(←実際にやろうと思ったら相当難しそうだということはわかったうえで敢えて書いています)。
でも実際はそうなっていなくて、四箇田団地から都市高速経由(あ)は「501番」と「502番」、国体道路経由(う)は「201番」、城南線経由(え)は「19番」であり、アルファベットの「X」「Y」「Z」「W」は、郊外部の行先に対応して固定されているという訳ではない。
ただし、(あ)のうちの「500番台」と(う)については、連続運行されるケースが多いことから、末尾の数字も概ね対応(X=Z)している(201番と501番、203番と503番、204番と504番など)。
また、(あ)のうちの「300番台」については、新設当時に限っていえば、(い)と対応(X=Y)していた(1番と301番[都心~都市高速~姪浜~橋本・拾六町団地~野方]、2番と302番[都心~都市高速~藤崎~原~室住団地・西高下]。301番と302番は、いずれも現在走っているものとは別モノ)。
「502番」の末尾は「2」であり、「2番」に対応しているようにも見えるが、実際は、ルート的に「501」と「503」の間に位置するので「502」を付けてみたところ、それが昭和通り経由の「2」とたまたま一致したので、「なんだかうまく収まったように見えている」だけ(X≠Y)である。
「姪浜駅東」を通る「7番」は、過去の歴史を全く無視すれば、「天神から蓮池の間で明治通りを通るから7番なのだ」と言うこともできるかもしれないが、実際は、(い)と(う)を組み合わせて作られた循環路線(鳥飼循環)に対して付けられた番号「7番」が原型となっている(ただしこの場合の(う)は「20Z番」ではなく「9V番」。「Y≒V」という関係は何となく成立しそう。詳しくはこちらを)。
「7番」と同時に「8番」(荒江循環)も登場したが、現在の「8番」(西新~むろみ団地~室住団地)とは直接関係はない。
というわけで、ここ「姪浜駅東」を通る「7番」と「507番」は、末尾の「7」が共通しているが、特に関連はない。
…結局はこのことを言いたかっただけなのだが、相当回りくどくなってしまった
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続いて、バスに乗ることとバスから降りることについての考察、「東蜷田」の記事より。
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「蜷(ニナ)」とは、カタツムリの別名だとこれまで勝手に思い込んでいたのだが、調べてみたら、巻き貝の一種とのこと。
住宅も店舗も建て込んでいて決して「田舎」ではないのだが、バス停の標柱は片側にしかない。
行先案内にある下曽根駅前(←南口ではないほう)、曽根新田方面に向かうものは廃止となっている。
ひとつ西の「横代北町二丁目」では舞ケ丘方面から来る「5番」が合流し、「5番」のルート上には合流直前に「農事センター入口」があって湯川方面に向かう「28番」「11番」も停車し、さらに、すぐ北側を並走する国道10号の「湯川中学校前」にはサンリブシティから来た「13番」「93番」、都市高速経由の「110番」「138番」などがあり、地域としてみれば、小倉都心部に向けてそこそこの本数があるのだが、ここ「東蜷田」に停車するのは「38番」のみである。
このように、「目の前のバス停からの本数は限られているが、付近のバス停まで含めると結構たくさんある」という場合、“どこでバスを待つか”というのは一種の“賭け”のようなところがある。
最近は「バスナビ」も進化しており、うまく使いこなせば、“待ちぼうけ”や“取り逃がし”のリスクは軽減できるのだが、実際は、「今日はどこで待とうかな」みたいなことを考える人は少なくて、いつも決まったバス停で待つというパターンが多いのかもしれないけど(バスナビで、周辺バス停を含めて検索結果が表示されたりすれば、また状況も変わるかも)。
バスに「どこで乗れるのか」というのは、「どこで降ろされるのか」ということ以上に大問題である。
行きたいところの近くまで連れていってくれれば、想定していた場所と多少ずれたとしても、それはさほど大きな問題ではない(「数分後に同じバス停で乗り継ぎをする」とか「迎えに来ている人が居る」などの事情がない限り)。
これは、「どこで降ろされるのか」というのが、既にバスに乗っている人にとっての問題だからである。
一方で、「どこで乗れるのか」というのは、未だバスに乗っていない人にとっての問題であり、最悪の場合、“バスに乗れない”という可能性もあるため、この意味で、「どこで降ろされるのか」と比較して「どこで乗れるのか」は常に大きな問題だといえる。
…と、なんだかもっともらしいことを書いたのだが、実はごく当たり前のことではある。
ただ、この当たり前のことが、新路線やルート変更などを考えるうえで結構重要な要素となるし、また、論理学というか哲学的な側面もあって(ないですかね?)面白いと思う。
天神から香椎方面に行こうと思ったら、昭和通り東行きの「郵便局前」もしくは「天神三丁目」から乗るというのが長年定着していて、もしこれを変えるとなるとかなり大きな覚悟が必要になると思われる。
一方で、香椎地区から天神北ランプ経由の便が成立するのは、「どこで降ろされるのか」がそこまで重要ではないからだといえる。
逆に、もし「23B」などの夕方の一部の便を、「呉服町ランプ→蔵本→博多五町→中洲→天神四丁目→天神北→天神北ランプ経由」に変更…などということが行われたら大混乱が起きるだろうしクレームも殺到することだろう(そういう変更自体が起こり得ないでしょうけど)。
他方、「天神から四箇田団地」でみると、昭和通り西行き、渡辺通り南行き及び北行き、国体道路西行き…と乗り場が分散してもそれなりに成り立っており(ここでの方角は実際の方角ではなく福岡仕様)、そういう意味では、東部方面の利用者と比較して西部方面の利用者のほうがバスを使いこなしていると言えるのかもしれない(乗り場を集約すべきと言いたい訳ではありません)。
70番台の昭和通りから明治通りへのルート変更は、先日考察したような内容も踏まえての大きな決断だったと言えるのかもしれない。
また、今後は、全体の便数が減少傾向を辿り、以前のように「どこで待っていてもそれなりにバスは来る」ということが当たり前ではなくなることから、乗り場の変更や分散がいま以上に行いにくい時代になると思われ、「どこで乗れるのか」という問題はさらに重要視されてくるのではないだろうか。
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続いて、駅そのものと駅の周辺部はどっちが大事か、ということについて、「合同庁舎」の記事より。
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福岡市博多区の「合同庁舎」バス停。
博多駅筑紫口から東にまっすぐ伸びる道路上にある。
「300番台」のバスが華々しく登場したのと同時に設置され、当初は運行本数も多かったバス停だが、天神北ランプ経由だけが生き残り、博多駅東ランプを経由するものは平日一日一往復だけという状態が長らく続いてきた。
昨年春のダイヤ改正で「29N」が「香椎浜方面→名島ランプ→都市高速→駅東ランプ→合同庁舎→博多駅→大博通り→呉服町ランプ→都市高速→名島ランプ→香椎浜方面」という循環運行になり、「合同庁舎」を通るバスも一気に増えたのだが、その年の秋には再び元のルートに戻され(往路復路ともに呉服町ランプ経由に)、再び「300番」が一日一本だけという状態に戻ってしまっている。
博多駅に一番近いところにありながら、なかなか有効活用がなされない都市高速「博多駅東ランプ」。
細かいことは無視して大雑把な話をすると、「駅に一番近い」ということは、駅の「周辺部」よりも駅「そのもの」に速くたどりつくことを意味する。
“駅「そのもの」に行くんだったら、別にバスじゃなくても電車で行けばいい”訳なので、そうなると、バスの役割としては、電車で行くのが相対的に面倒な駅の「周辺部」に速くたどりついたほうがいいということになる。
郊外と博多駅地区を結ぶ路線において、博多駅東ランプよりも、駅から少し離れた呉服町ランプのほうが活用されているのはこのような背景があると思う。
他方、天神地区においては、天神に一番近い「天神北ランプ」が大いに活用されている。
天神に一番近いところで都市高速を下りても十分に採算がとれることを現わしており、「天神」と「博多駅」におけるバスのプレゼンスやバスへの依存度の「差」を現わしていると言うこともできるのではないだろうか。
…まあ、地下鉄「東比恵駅」の存在をはじめとして、他にも様々な要因があると思うので、あくまで「大雑把な」話として聞いて(読んで)いただければと思う。
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続いて、福岡特有の方向感覚について、「古賀駅南口」の記事より。
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福岡県古賀市の「古賀駅南口」バス停。
JR古賀駅からは真東(反対方向のバス停はさらに北寄り)にあり、決して駅の南側にはないのだが、なぜか「南口」である。
駅により近い場所(駅の東口ロータリー)には、「133番」と「無番 グリーンパーク古賀行き」の起点である「古賀駅東口」のバス停があることから、既に「古賀駅東口」があったので仕方なく「古賀駅南口」になったのか?というと、そういう訳でもなく、バス停ができた順番としてはこちらの「古賀駅南口」のほうが先である。
このバス停の名称が、「古賀駅南口」であることに対し、私自身これまで、あまり違和感を持っておらず、ちょっと前に地図を眺めていてふと気がついたというのが正直なところだ。
なぜ違和感がなかったのか?と考えてみたのだが、私が福岡市西南部で生まれ育ったため、自分が居る場所を基準として「北に海があって、その手前で鉄道や都心につながる幹線道路が東西に走っている」という「感覚」が身に染みついているためではないかという気がする。
この「感覚」に基づけば、海(玄界灘)や鉄道(鹿児島本線や旧宮地岳線)、幹線道路(国道495号)との関係から、この場所が「南口」でも不自然ではない(不自然じゃないといくら言ったって間違っていることは事実なんですけどね)。
「絶対音感」と「相対音感」があるように、方向感覚にも「絶対方向感覚」と「相対方向感覚」があるといえ、私が持っている方向感覚は所詮「相対方向感覚」だということになりそうである(ただ、私自身「相対音感」には自信があるものの、「相対方向感覚」には大して自信はない…)。
このバス停に「古賀駅南口」と名付けた人は、どういう方向感覚を持っていたのか気になるところだ。
「古賀駅南口」には、古賀ローカルの「136番」が停車する(「古賀急行」は停車しません)。
バス停の行先案内には「136 古賀駅前」とあるが、先述の「古賀駅東口」に向かう訳ではなく、古賀駅南口→市役所前→古賀新町→古賀→古賀駅前というルートを通り、線路の反対側(メインの出入口)で終点となる。
なので、「古賀駅南口」でバスを降り、「古賀駅東口」を通って「古賀駅前」まで歩くと、さっき降りたバスよりも早く到着する場合がある。
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次に、バス停の名付けについての考察、「ニュータウン第一」の記事より。
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福岡県筑紫野市美しが丘南にある「ニュータウン第一」バス停。
小郡・筑紫野ニュータウン内には、数多くのバス停が存在するが、「ニュータウン第○」という名称は「ニュータウン第二」までであり、「ニュータウン第三」「ニュータウン第四」…「ニュータウン第十二」などのバス停はない。
一方で、同ニュータウンの中には、「美鈴が丘第一」「美鈴が丘第二」「希みが丘第一」「希みが丘第二」…など、別階層の「第○」バス停がある。
「ニュータウン」という大きなカテゴリーの中に、「美しが丘」「光が丘」「美鈴が丘」「希みが丘」などの各地域が存在する訳だが、こう考えると「ニュータウン第一」「ニュータウン第二」という表現は、かなり適当(「ふさわしい」ではなく「いい加減」の意)なネーミングに見えてしまう。
「教会前」「踏切」など、抽象的なバス停名には親しみを覚えると書いたことがあるが、「ニュータウン」の例は、それらとは趣をやや異にするものだと思う。
また、各地域の内部をみても、美しが丘地区には「美しが丘」「美しが丘南」「美しが丘南四丁目」というバス停が存在する。
普通に考えると、「美しが丘南四丁目」は「美しが丘南」に含まれ、「美しが丘南」は「美しが丘」に含まれるのではないかと思うのだが…。
「ピント」というか「階層」がバラバラであり、これもかなり適当なネーミングだと思う。
バス停名を「名称」としてではなく、「このバス停はAであり、BやCではありません」という他と区別するための単なる「記号」として捉えるのであれば、隣のバス停と違う名前さえつけておけばよい訳で、「適当な名前」でも全然構わないのかもしれない。
それだったら、無理に地名を入れなくたって、バス停名は「カレーうどん」でも「うさぎさん」でも「気分爽快」でも何でもいい、ということになってしまう(かなり極論ではあるが)。
バス停というのは、その名前が後世に残り、地図にも掲載され、かつ、地域のイメージづくりにも寄与するという意味では、まちの「資産」ということができると思う。
バス停に「よい名前」を付けることは、「資産価値」を高めることにつながる訳で、もう少し「く・ふ・う」を期待したいものである(なお、このニュータウン内のバス停は、ある一時点で一斉に名前を付けた訳ではなく、開発の進展に応じて路線を開設していった結果なので、ある意味仕方ないということは十分わかったうえで書いています)。
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次に、バス停の名付けについての考察その2、「トンネル口」の記事より。
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北九州市八幡西区の「トンネル口」バス停。
北九州市には他にも、小倉と門司の間に「手向山トンネル口」、門司の関門海峡側と周防灘側の間に「鹿喰トンネル口」や「桜トンネル口」があるが(他に「関門トンネル車道口」「関門トンネル人道口」もあり)、こちらは単に「トンネル口」。
他方、福岡地区には「トンネル」が付いたバス停はなく、北九州と福岡の地形の違いを表す例とも言えそうだ。
トンネルの名称は「永犬丸トンネル」、トンネルを抜けると中間市である。
北九州市のベッドタウンであり、位置関係的には八幡西区と一体化しているようにも見える中間市だが、地形的には独立性が強い。
主に八幡西区西部の住宅地と黒崎地区を結んでいる「74番」の一部が、八幡西区から中間市に入りさらにその先、再び八幡西区の「香月営業所」まで運行されているが、営業所からの(営業所への)出入庫を目的とした運用のようであり、運行本数も少なく時間帯も偏っている(かといって、利用者が皆無というわけではありません)。
「トンネル口」の読みは「トンネルロ」ではなく「トンネルグチ」。
当然の読み方ではあるのだが、以前、市販の道路地図で、宗像市の「構え口」が「構之口」になっていたり、糸島市の糸島高校の南にある「糸高南」が「縞南」になっている例を目にしたことがあり、西鉄のあずかり知らないところで伝言ゲームのように間違って伝播していく可能性がない訳ではない。
また、西鉄のあずかり知らない場面ではなく、社内の表示においても、バス停の銘板(というのでしょうか?バス停名が書いてある板)やバス停掲示の路線図兼運賃表、車内のデジタル運賃表や西鉄の公式サイトなどの間で表示が統一されていないケースは多い。
例としては、「前」の有無、「団地」の有無、新字体か旧字体か、「口」か「入口」か、 「の」か「ノ」か「之」か“そのいずれもない”か、「ケ」か「ヶ」か“そのいずれもない”か、「つ」か「ツ」か“そのいずれもない”か、数字か漢数字か…などがある。
“目に見えるもの”だけでなく“耳で聞こえるもの”にまで対象を広げれば、「トンネル口」のひとつ先の「犬王」がアナウンスでは「いのう」なのにサイトでは「いぬおう」だったり、春日市の「須玖」がバス停の英字表記は「SUKU」なのにアナウンスは「すぐ」だったり、同じく春日市の「放送所前」が英字表記は「HOSOSHO MAE」なのにアナウンスは「ほうそうじょまえ」だったり…と、様々な違いがある。
「一つのバス停に一つの名前がある」というのは一見当たり前のようにも思えるのだが、実は、「一つのバス停にいろんな名前がある」というケースは枚挙に暇がなく、“目に見えるもの”と“耳で聞こえるもの”の全てがすんなりと一致することのほうが珍しいのかもしれない。
バス停の数が管理しきれないほど多く、それだけ人々の生活の内部に入りこんでいるという見方もでき、このような「ゆるさ」「大らかさ」を否定するつもりはない(駅の名前とかインターチェンジなんかであれば、そのような多様性も許容されにくいのかもしれない)。
なので、「どれかひとつに早急に統一すべきだ!」などというつもりは全くないのだが、検索に際しての弊害にだけは気を配っていただきたいものである。
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最後に、バス停の名付けについての考察その3、「南薬院」の記事より。
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福岡市中央区の「南薬院」バス停。
薬院エリアの南、というよりは西のイメージがあるのだが、市内電車の電停名の頃から「南薬院」。
「東中洲」も、中洲地区の中では決して東にはないのだが、「西中洲」よりは東に位置していることは確か(ただし、ここでの方向感覚は「福岡仕様」ですが)。
ただ、「福岡東医療センター南門前」は、どう見ても、東医療センターの南にはない。
地名に方位が付くバス停名の場合、最近では「乙犬東」「朝日西」「上山田南」「古賀北」…のように、地名の後に方位が付くケースが多いが、かつては、「東大橋」「東七隈」「西大岳」「南薬院」「北片江」…のように地名の前に方位が付くケースが多かった。
非常にどうでもいい話だが、地名の後に方位が付くと、かなりピンポイントな感じがする一方で、地名の前に方位が付くと、「地域」「エリア」を表しているようで「面」的な感じがする(←あくまで個人的な感想です)。
「東ドイツ」「西サモア」「南スーダン」「北朝鮮」が、「ドイツ東」「サモア西」「スーダン南」「朝鮮北」だったら、ずいぶんとコトバから受けるイメージも変わってくる。
バス停名の後に方位が付くようになったのは、検索の際の利便を図る意味もあるだろうし(例えば、五十音順に並べたときに「片縄」と「東片縄」で全く違う場所に出てくるよりは、「片縄」と「片縄東」で近接して出てきたほうがわかりやすい)、また、バス停の密度が時代とともに高くなり、方位を付ける前の「地名」自体がピンポイント化する傾向にあることも背景にあると思う。
バス停ではないが、「博多南駅」の開業がもう少し早かったら「南博多駅」になっていたかもしれないし、「南福岡駅」の改称がもっと遅かったら「福岡南駅」になっていたかもしれない。
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(つづく)
過去記事に光を当てるシリーズの7回目。
なかなか新たな記事のほうに頭が向かないため、今回は、過去に書いた考察(というか、好き勝手にだらだら書いているだけですが)の中からいくつかを再掲。
なお、記事を書いた当時と状況が変わっている場合もあるので、その点はご容赦を。
まずは、福岡西部地区の行先番号に関する考察、「姪浜駅東」の記事より。
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「7番」と「507番」が停車する福岡市西区の「姪浜駅東」バス停。
福岡市営地下鉄とJR筑肥線の姪浜駅には、北側に「姪浜駅北口」、南側に「姪浜駅南口」のバス停があり、「姪浜駅東」は、「南口」からひとつ東側のバス停である。
もし「姪浜駅東口」という名称だと、駅にかなり近いところにありそうな感じを与えてしまいそうなので、「口」を外して「姪浜駅東」とすることで、その微妙な距離感を伝えている感じだ。
ただ、「古賀駅南口」よりは、駅に近そうではあるけれど。
このバス停は、片側(都心方面)にしかバス停がなく、反対側(姪浜駅南口方面)にはバス停の標柱がないため、姪浜駅方面に向かうバスは向かい側の標柱がない場所に停車する。
もともとは、ここを通るバスは「7番」だけであり(バス停の行先案内にも「7番」しかない)、次の「姪浜駅南口」で終点だったことから(ただし一部は「姪浜(折り返し場)」まで)、わざわざ標柱を設けるまでもないという判断だった…ということなのかどうかはわからないが、現在は「507番」もここを通るようになったことから当初とは状況が変わっている。
福岡市の西南部(主に早良区と西区)と福岡市中心部を結ぶバスの番号は、通る道路によって「大まかに」以下のように分類できる(アルファベット部分に何らかの数字が入る)。
(あ)都市高速経由 … 「30X番」「50X番」「31X番」「51X番」
(い)明治通りまたは昭和通り経由 … 「Y番」
(う)国体道路経由 … 「20Z番」
(え)城南線経由 … 「1W番」
(あ)の中を見ると、郊外で西公園ランプか百道ランプを経由するものは百の位が「3」、それより西のランプ(愛宕、姪浜、福重・石丸)を経由するものは百の位が「5」というのが原則だが、愛宕ランプを通る「304番」という例外もある。
また、十の位が「0」であれば都心では天神北ランプ経由、「1」であれば呉服町ランプ経由が原則だが、呉服町ランプを通る「306番」という例外もある。
(い)は、具体的には「1番」「2番」「3番」を指しており、これ以外の番号(「4番」「5番」「6番」など)は、とりあえずここでは考慮外とする(ただ、「4番」「6番」などは全く関係ないとは言い切れない面がある)。
なお、ここでいう「1番」「2番」「3番」は、「天神→博多駅」や「天神→県庁・九大方面」の「統一番号」としてではなく、「市内貫線」「金武線」「脇山線」としての「1番」「2番」「3番」である。
(う)は、(あ)(い)(え)と比較すると例外はなく、全て六本松~国体道路を経由する。
(え)については、「主に早良区と西区」に限らず、城南区にまで適用範囲が広がる(「16番」及び廃止された「18番」)。
逆に、西区と都心部を城南線経由で結ぶ路線であっても、「1W番」という番号が空いていなくて(う)をアレンジした「214番」がついたケースもある。
例えば、四箇田団地から都心に向かうメイン路線である昭和通り経由(い)の「2番」をベースとして、都市高速経由(あ)は「502番」、国体道路経由(う)は「202番」、城南線経由(え)は「12番」というふうに、末尾の数字「2」が固定されていたならば、体系的でかなりわかりやすいといえる(←実際にやろうと思ったら相当難しそうだということはわかったうえで敢えて書いています)。
でも実際はそうなっていなくて、四箇田団地から都市高速経由(あ)は「501番」と「502番」、国体道路経由(う)は「201番」、城南線経由(え)は「19番」であり、アルファベットの「X」「Y」「Z」「W」は、郊外部の行先に対応して固定されているという訳ではない。
ただし、(あ)のうちの「500番台」と(う)については、連続運行されるケースが多いことから、末尾の数字も概ね対応(X=Z)している(201番と501番、203番と503番、204番と504番など)。
また、(あ)のうちの「300番台」については、新設当時に限っていえば、(い)と対応(X=Y)していた(1番と301番[都心~都市高速~姪浜~橋本・拾六町団地~野方]、2番と302番[都心~都市高速~藤崎~原~室住団地・西高下]。301番と302番は、いずれも現在走っているものとは別モノ)。
「502番」の末尾は「2」であり、「2番」に対応しているようにも見えるが、実際は、ルート的に「501」と「503」の間に位置するので「502」を付けてみたところ、それが昭和通り経由の「2」とたまたま一致したので、「なんだかうまく収まったように見えている」だけ(X≠Y)である。
「姪浜駅東」を通る「7番」は、過去の歴史を全く無視すれば、「天神から蓮池の間で明治通りを通るから7番なのだ」と言うこともできるかもしれないが、実際は、(い)と(う)を組み合わせて作られた循環路線(鳥飼循環)に対して付けられた番号「7番」が原型となっている(ただしこの場合の(う)は「20Z番」ではなく「9V番」。「Y≒V」という関係は何となく成立しそう。詳しくはこちらを)。
「7番」と同時に「8番」(荒江循環)も登場したが、現在の「8番」(西新~むろみ団地~室住団地)とは直接関係はない。
というわけで、ここ「姪浜駅東」を通る「7番」と「507番」は、末尾の「7」が共通しているが、特に関連はない。
…結局はこのことを言いたかっただけなのだが、相当回りくどくなってしまった
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続いて、バスに乗ることとバスから降りることについての考察、「東蜷田」の記事より。
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「蜷(ニナ)」とは、カタツムリの別名だとこれまで勝手に思い込んでいたのだが、調べてみたら、巻き貝の一種とのこと。
住宅も店舗も建て込んでいて決して「田舎」ではないのだが、バス停の標柱は片側にしかない。
行先案内にある下曽根駅前(←南口ではないほう)、曽根新田方面に向かうものは廃止となっている。
ひとつ西の「横代北町二丁目」では舞ケ丘方面から来る「5番」が合流し、「5番」のルート上には合流直前に「農事センター入口」があって湯川方面に向かう「28番」「11番」も停車し、さらに、すぐ北側を並走する国道10号の「湯川中学校前」にはサンリブシティから来た「13番」「93番」、都市高速経由の「110番」「138番」などがあり、地域としてみれば、小倉都心部に向けてそこそこの本数があるのだが、ここ「東蜷田」に停車するのは「38番」のみである。
このように、「目の前のバス停からの本数は限られているが、付近のバス停まで含めると結構たくさんある」という場合、“どこでバスを待つか”というのは一種の“賭け”のようなところがある。
最近は「バスナビ」も進化しており、うまく使いこなせば、“待ちぼうけ”や“取り逃がし”のリスクは軽減できるのだが、実際は、「今日はどこで待とうかな」みたいなことを考える人は少なくて、いつも決まったバス停で待つというパターンが多いのかもしれないけど(バスナビで、周辺バス停を含めて検索結果が表示されたりすれば、また状況も変わるかも)。
バスに「どこで乗れるのか」というのは、「どこで降ろされるのか」ということ以上に大問題である。
行きたいところの近くまで連れていってくれれば、想定していた場所と多少ずれたとしても、それはさほど大きな問題ではない(「数分後に同じバス停で乗り継ぎをする」とか「迎えに来ている人が居る」などの事情がない限り)。
これは、「どこで降ろされるのか」というのが、既にバスに乗っている人にとっての問題だからである。
一方で、「どこで乗れるのか」というのは、未だバスに乗っていない人にとっての問題であり、最悪の場合、“バスに乗れない”という可能性もあるため、この意味で、「どこで降ろされるのか」と比較して「どこで乗れるのか」は常に大きな問題だといえる。
…と、なんだかもっともらしいことを書いたのだが、実はごく当たり前のことではある。
ただ、この当たり前のことが、新路線やルート変更などを考えるうえで結構重要な要素となるし、また、論理学というか哲学的な側面もあって(ないですかね?)面白いと思う。
天神から香椎方面に行こうと思ったら、昭和通り東行きの「郵便局前」もしくは「天神三丁目」から乗るというのが長年定着していて、もしこれを変えるとなるとかなり大きな覚悟が必要になると思われる。
一方で、香椎地区から天神北ランプ経由の便が成立するのは、「どこで降ろされるのか」がそこまで重要ではないからだといえる。
逆に、もし「23B」などの夕方の一部の便を、「呉服町ランプ→蔵本→博多五町→中洲→天神四丁目→天神北→天神北ランプ経由」に変更…などということが行われたら大混乱が起きるだろうしクレームも殺到することだろう(そういう変更自体が起こり得ないでしょうけど)。
他方、「天神から四箇田団地」でみると、昭和通り西行き、渡辺通り南行き及び北行き、国体道路西行き…と乗り場が分散してもそれなりに成り立っており(ここでの方角は実際の方角ではなく福岡仕様)、そういう意味では、東部方面の利用者と比較して西部方面の利用者のほうがバスを使いこなしていると言えるのかもしれない(乗り場を集約すべきと言いたい訳ではありません)。
70番台の昭和通りから明治通りへのルート変更は、先日考察したような内容も踏まえての大きな決断だったと言えるのかもしれない。
また、今後は、全体の便数が減少傾向を辿り、以前のように「どこで待っていてもそれなりにバスは来る」ということが当たり前ではなくなることから、乗り場の変更や分散がいま以上に行いにくい時代になると思われ、「どこで乗れるのか」という問題はさらに重要視されてくるのではないだろうか。
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続いて、駅そのものと駅の周辺部はどっちが大事か、ということについて、「合同庁舎」の記事より。
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福岡市博多区の「合同庁舎」バス停。
博多駅筑紫口から東にまっすぐ伸びる道路上にある。
「300番台」のバスが華々しく登場したのと同時に設置され、当初は運行本数も多かったバス停だが、天神北ランプ経由だけが生き残り、博多駅東ランプを経由するものは平日一日一往復だけという状態が長らく続いてきた。
昨年春のダイヤ改正で「29N」が「香椎浜方面→名島ランプ→都市高速→駅東ランプ→合同庁舎→博多駅→大博通り→呉服町ランプ→都市高速→名島ランプ→香椎浜方面」という循環運行になり、「合同庁舎」を通るバスも一気に増えたのだが、その年の秋には再び元のルートに戻され(往路復路ともに呉服町ランプ経由に)、再び「300番」が一日一本だけという状態に戻ってしまっている。
博多駅に一番近いところにありながら、なかなか有効活用がなされない都市高速「博多駅東ランプ」。
細かいことは無視して大雑把な話をすると、「駅に一番近い」ということは、駅の「周辺部」よりも駅「そのもの」に速くたどりつくことを意味する。
“駅「そのもの」に行くんだったら、別にバスじゃなくても電車で行けばいい”訳なので、そうなると、バスの役割としては、電車で行くのが相対的に面倒な駅の「周辺部」に速くたどりついたほうがいいということになる。
郊外と博多駅地区を結ぶ路線において、博多駅東ランプよりも、駅から少し離れた呉服町ランプのほうが活用されているのはこのような背景があると思う。
他方、天神地区においては、天神に一番近い「天神北ランプ」が大いに活用されている。
天神に一番近いところで都市高速を下りても十分に採算がとれることを現わしており、「天神」と「博多駅」におけるバスのプレゼンスやバスへの依存度の「差」を現わしていると言うこともできるのではないだろうか。
…まあ、地下鉄「東比恵駅」の存在をはじめとして、他にも様々な要因があると思うので、あくまで「大雑把な」話として聞いて(読んで)いただければと思う。
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続いて、福岡特有の方向感覚について、「古賀駅南口」の記事より。
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福岡県古賀市の「古賀駅南口」バス停。
JR古賀駅からは真東(反対方向のバス停はさらに北寄り)にあり、決して駅の南側にはないのだが、なぜか「南口」である。
駅により近い場所(駅の東口ロータリー)には、「133番」と「無番 グリーンパーク古賀行き」の起点である「古賀駅東口」のバス停があることから、既に「古賀駅東口」があったので仕方なく「古賀駅南口」になったのか?というと、そういう訳でもなく、バス停ができた順番としてはこちらの「古賀駅南口」のほうが先である。
このバス停の名称が、「古賀駅南口」であることに対し、私自身これまで、あまり違和感を持っておらず、ちょっと前に地図を眺めていてふと気がついたというのが正直なところだ。
なぜ違和感がなかったのか?と考えてみたのだが、私が福岡市西南部で生まれ育ったため、自分が居る場所を基準として「北に海があって、その手前で鉄道や都心につながる幹線道路が東西に走っている」という「感覚」が身に染みついているためではないかという気がする。
この「感覚」に基づけば、海(玄界灘)や鉄道(鹿児島本線や旧宮地岳線)、幹線道路(国道495号)との関係から、この場所が「南口」でも不自然ではない(不自然じゃないといくら言ったって間違っていることは事実なんですけどね)。
「絶対音感」と「相対音感」があるように、方向感覚にも「絶対方向感覚」と「相対方向感覚」があるといえ、私が持っている方向感覚は所詮「相対方向感覚」だということになりそうである(ただ、私自身「相対音感」には自信があるものの、「相対方向感覚」には大して自信はない…)。
このバス停に「古賀駅南口」と名付けた人は、どういう方向感覚を持っていたのか気になるところだ。
「古賀駅南口」には、古賀ローカルの「136番」が停車する(「古賀急行」は停車しません)。
バス停の行先案内には「136 古賀駅前」とあるが、先述の「古賀駅東口」に向かう訳ではなく、古賀駅南口→市役所前→古賀新町→古賀→古賀駅前というルートを通り、線路の反対側(メインの出入口)で終点となる。
なので、「古賀駅南口」でバスを降り、「古賀駅東口」を通って「古賀駅前」まで歩くと、さっき降りたバスよりも早く到着する場合がある。
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次に、バス停の名付けについての考察、「ニュータウン第一」の記事より。
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福岡県筑紫野市美しが丘南にある「ニュータウン第一」バス停。
小郡・筑紫野ニュータウン内には、数多くのバス停が存在するが、「ニュータウン第○」という名称は「ニュータウン第二」までであり、「ニュータウン第三」「ニュータウン第四」…「ニュータウン第十二」などのバス停はない。
一方で、同ニュータウンの中には、「美鈴が丘第一」「美鈴が丘第二」「希みが丘第一」「希みが丘第二」…など、別階層の「第○」バス停がある。
「ニュータウン」という大きなカテゴリーの中に、「美しが丘」「光が丘」「美鈴が丘」「希みが丘」などの各地域が存在する訳だが、こう考えると「ニュータウン第一」「ニュータウン第二」という表現は、かなり適当(「ふさわしい」ではなく「いい加減」の意)なネーミングに見えてしまう。
「教会前」「踏切」など、抽象的なバス停名には親しみを覚えると書いたことがあるが、「ニュータウン」の例は、それらとは趣をやや異にするものだと思う。
また、各地域の内部をみても、美しが丘地区には「美しが丘」「美しが丘南」「美しが丘南四丁目」というバス停が存在する。
普通に考えると、「美しが丘南四丁目」は「美しが丘南」に含まれ、「美しが丘南」は「美しが丘」に含まれるのではないかと思うのだが…。
「ピント」というか「階層」がバラバラであり、これもかなり適当なネーミングだと思う。
バス停名を「名称」としてではなく、「このバス停はAであり、BやCではありません」という他と区別するための単なる「記号」として捉えるのであれば、隣のバス停と違う名前さえつけておけばよい訳で、「適当な名前」でも全然構わないのかもしれない。
それだったら、無理に地名を入れなくたって、バス停名は「カレーうどん」でも「うさぎさん」でも「気分爽快」でも何でもいい、ということになってしまう(かなり極論ではあるが)。
バス停というのは、その名前が後世に残り、地図にも掲載され、かつ、地域のイメージづくりにも寄与するという意味では、まちの「資産」ということができると思う。
バス停に「よい名前」を付けることは、「資産価値」を高めることにつながる訳で、もう少し「く・ふ・う」を期待したいものである(なお、このニュータウン内のバス停は、ある一時点で一斉に名前を付けた訳ではなく、開発の進展に応じて路線を開設していった結果なので、ある意味仕方ないということは十分わかったうえで書いています)。
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次に、バス停の名付けについての考察その2、「トンネル口」の記事より。
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北九州市八幡西区の「トンネル口」バス停。
北九州市には他にも、小倉と門司の間に「手向山トンネル口」、門司の関門海峡側と周防灘側の間に「鹿喰トンネル口」や「桜トンネル口」があるが(他に「関門トンネル車道口」「関門トンネル人道口」もあり)、こちらは単に「トンネル口」。
他方、福岡地区には「トンネル」が付いたバス停はなく、北九州と福岡の地形の違いを表す例とも言えそうだ。
トンネルの名称は「永犬丸トンネル」、トンネルを抜けると中間市である。
北九州市のベッドタウンであり、位置関係的には八幡西区と一体化しているようにも見える中間市だが、地形的には独立性が強い。
主に八幡西区西部の住宅地と黒崎地区を結んでいる「74番」の一部が、八幡西区から中間市に入りさらにその先、再び八幡西区の「香月営業所」まで運行されているが、営業所からの(営業所への)出入庫を目的とした運用のようであり、運行本数も少なく時間帯も偏っている(かといって、利用者が皆無というわけではありません)。
「トンネル口」の読みは「トンネルロ」ではなく「トンネルグチ」。
当然の読み方ではあるのだが、以前、市販の道路地図で、宗像市の「構え口」が「構之口」になっていたり、糸島市の糸島高校の南にある「糸高南」が「縞南」になっている例を目にしたことがあり、西鉄のあずかり知らないところで伝言ゲームのように間違って伝播していく可能性がない訳ではない。
また、西鉄のあずかり知らない場面ではなく、社内の表示においても、バス停の銘板(というのでしょうか?バス停名が書いてある板)やバス停掲示の路線図兼運賃表、車内のデジタル運賃表や西鉄の公式サイトなどの間で表示が統一されていないケースは多い。
例としては、「前」の有無、「団地」の有無、新字体か旧字体か、「口」か「入口」か、 「の」か「ノ」か「之」か“そのいずれもない”か、「ケ」か「ヶ」か“そのいずれもない”か、「つ」か「ツ」か“そのいずれもない”か、数字か漢数字か…などがある。
“目に見えるもの”だけでなく“耳で聞こえるもの”にまで対象を広げれば、「トンネル口」のひとつ先の「犬王」がアナウンスでは「いのう」なのにサイトでは「いぬおう」だったり、春日市の「須玖」がバス停の英字表記は「SUKU」なのにアナウンスは「すぐ」だったり、同じく春日市の「放送所前」が英字表記は「HOSOSHO MAE」なのにアナウンスは「ほうそうじょまえ」だったり…と、様々な違いがある。
「一つのバス停に一つの名前がある」というのは一見当たり前のようにも思えるのだが、実は、「一つのバス停にいろんな名前がある」というケースは枚挙に暇がなく、“目に見えるもの”と“耳で聞こえるもの”の全てがすんなりと一致することのほうが珍しいのかもしれない。
バス停の数が管理しきれないほど多く、それだけ人々の生活の内部に入りこんでいるという見方もでき、このような「ゆるさ」「大らかさ」を否定するつもりはない(駅の名前とかインターチェンジなんかであれば、そのような多様性も許容されにくいのかもしれない)。
なので、「どれかひとつに早急に統一すべきだ!」などというつもりは全くないのだが、検索に際しての弊害にだけは気を配っていただきたいものである。
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最後に、バス停の名付けについての考察その3、「南薬院」の記事より。
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福岡市中央区の「南薬院」バス停。
薬院エリアの南、というよりは西のイメージがあるのだが、市内電車の電停名の頃から「南薬院」。
「東中洲」も、中洲地区の中では決して東にはないのだが、「西中洲」よりは東に位置していることは確か(ただし、ここでの方向感覚は「福岡仕様」ですが)。
ただ、「福岡東医療センター南門前」は、どう見ても、東医療センターの南にはない。
地名に方位が付くバス停名の場合、最近では「乙犬東」「朝日西」「上山田南」「古賀北」…のように、地名の後に方位が付くケースが多いが、かつては、「東大橋」「東七隈」「西大岳」「南薬院」「北片江」…のように地名の前に方位が付くケースが多かった。
非常にどうでもいい話だが、地名の後に方位が付くと、かなりピンポイントな感じがする一方で、地名の前に方位が付くと、「地域」「エリア」を表しているようで「面」的な感じがする(←あくまで個人的な感想です)。
「東ドイツ」「西サモア」「南スーダン」「北朝鮮」が、「ドイツ東」「サモア西」「スーダン南」「朝鮮北」だったら、ずいぶんとコトバから受けるイメージも変わってくる。
バス停名の後に方位が付くようになったのは、検索の際の利便を図る意味もあるだろうし(例えば、五十音順に並べたときに「片縄」と「東片縄」で全く違う場所に出てくるよりは、「片縄」と「片縄東」で近接して出てきたほうがわかりやすい)、また、バス停の密度が時代とともに高くなり、方位を付ける前の「地名」自体がピンポイント化する傾向にあることも背景にあると思う。
バス停ではないが、「博多南駅」の開業がもう少し早かったら「南博多駅」になっていたかもしれないし、「南福岡駅」の改称がもっと遅かったら「福岡南駅」になっていたかもしれない。
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(つづく)
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