スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王座戦&神に到る道

2006-09-27 23:16:58 | 将棋
 王座戦第三局。
 佐藤棋聖の先手で▲7六歩△3四歩▲2六歩に△9四歩の出だし。その後,後手は9筋の位を取り,先手の▲7八金を見て四間飛車に。2筋の歩は交換させて角は自分から交換しました。中盤に入って後手がその角を打ち,1九の香を取った段階では,駒得して馬を作ったわけですから後手が優勢になったものと思います。その後も続いた中盤の戦いで,さらに後手が駒得になったので,差はもっと広がったのではないかと思います。ただ終盤は一方的に攻め込まれ(受けに回ったからではありますが)ちょっとびっくりしたのですが,凌ぎきって羽生王座が勝ちました。僕なんかだと,投了の局面ではもう一手,▲6七金と指して,次の手を見てから投了したい感じですが…。
 羽生王座はこれで王座戦15連覇。同一棋戦の15連覇は史上初めて(ほかの棋士では大山名人の13連覇が最高)。また,これでタイトル獲得65期となり,歴代単独2位となりました。一方の佐藤棋聖は,過去2回の王座戦挑戦と同様に,今回も羽生王座に1勝もできずに敗退となってしまいました。次の竜王戦はタイトル保持者が異なるので,違った結果が得られるでしょうか。

 競輪は明日から向日町記念です。京都です。

 『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』は『エチカ』の序論といわれたりしますが,これは未完に終っています。
 そこでは,我々が演繹法によって事物を導くために,なるべく早く神Deusの観念に到達しなければならないとされているのですが,その方法を論じている間に,議論が堂々巡りをしてしまうからです。もちろんそのこと自体は,第五部定理一四,そして第二部定理四七,あるいは単に第一部定理一一に訴えるだけでも,我々が神の観念に到達できることは明らかで,『エチカ』においてはこの困難は解消されていますからさして問題とはなりません。しかし,我々はなるべく早く神の観念に到達しなければならないといい,その最善の手段を考えるということは,裏を返せば,神の観念がそれ自体で人間に与えられることはないとスピノザが考えていたことの証明ではないかと僕には思えるのです。
 これが,僕がスピノザの哲学に訴えて,人間は神の実在をそれ自体で知ることはできないと考える根拠です。
コメント
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