『漱石,もう一つの宇宙』がなぜルールの公理系に関する僕の仮説を強化し得るのか。その理由は,この本の126ページにある次の一文にあります。

「しかし当然のことながら,躁うつ病圏の科学者は「永遠の相の下に」仕事をする分裂病圏の科学者よりもはるかに大きく時代,伝統,状況などの制約をうける」。
まず最初にお断りしておかなければなりませんが,ここで筆者がいっている分裂病とか躁鬱病というのは,文字通りに精神の病としての病気を示すわけではありません。これは飯田真さんと中井久夫さんという方が,『天才の精神病理』という本で示した,科学者の病跡学的なカテゴリーです。もっとも,僕はそちらの本に関しては読んでいませんので,これ以上のことは説明できません。また,この本に関する知識は,すべて『漱石,もう一つの宇宙』に依拠したものです。
どういう点でこのふたつの類型が異なるのかといいますと,分裂病圏の科学者はいわゆる天才型で,その独自性や飛躍性に大きな特徴を有するのだそうです。一方,躁鬱病圏の科学者というのは,そのような独自性には欠けていても,勤勉で几帳面で良心的で徹底的。このために分裂病型よりも,より持続的な知的生産が約束されているそうです。
繰り返しになりますが,科学者をこういった性質によって分類し,一方を分裂病圏,他方を躁鬱病圏といっているわけです。これは科学者の分類なのですが,もしも哲学者としてのスピノザを分類するならどちらになるのか。スピノザに詳しい方はもうお分かりの筈ですが,分裂病圏に含まれるのです。
休日急患診療所の医師の診断が的外れであったということは,あくまでもその後の結果をみた上でいえることではあるのですが,実はこのことは,その時点で僕自身がうすうす感づいてはいました。ただ,それを曲がりなりにも専門家といえる医師に言うような気力はそのときの僕にはなかったですし,一刻も早く家に帰りたいという気持ちの方がずっと強かったのです。
まず第一に,栄養のあるものを摂取せよということですが,僕はそれはその時点で自分の身体にはマイナスにしかならないだろうと感じました。僕は自分が糖尿病であるということもその時点では知らなければ,そもそも糖尿病というのがどういう病気であるのかということさえ分かってはいなかったのですが,栄養を補給することがプラスにはならないということは,僕自身の身体が答えを出しているように感じました。自分の身体のことは自分が一番よく分かるとはよくいわれることですが,これはあながち嘘ではないのだろうと思います。ただ,分かるということと対処する,対処できるということは別で,僕のように放置すれば,大変な状況に陥ってしまうということです。
もうひとつ,年が明けたら口腔外科に行くようにという助言は,年末年始は病院が休みだからということを踏まえたもの。今年は1月5日が月曜でしたから,その助言を守るならばその日に行くということになりますが,僕はこの助言は守れないだろうなと感じていました。というのは,自分の身体がそんなに保つとは到底思えなかったからです。つまり僕は大晦日の時点で,このままでは年が明けてすぐに死んでしまうだろうと思っていたのです。

「しかし当然のことながら,躁うつ病圏の科学者は「永遠の相の下に」仕事をする分裂病圏の科学者よりもはるかに大きく時代,伝統,状況などの制約をうける」。
まず最初にお断りしておかなければなりませんが,ここで筆者がいっている分裂病とか躁鬱病というのは,文字通りに精神の病としての病気を示すわけではありません。これは飯田真さんと中井久夫さんという方が,『天才の精神病理』という本で示した,科学者の病跡学的なカテゴリーです。もっとも,僕はそちらの本に関しては読んでいませんので,これ以上のことは説明できません。また,この本に関する知識は,すべて『漱石,もう一つの宇宙』に依拠したものです。
どういう点でこのふたつの類型が異なるのかといいますと,分裂病圏の科学者はいわゆる天才型で,その独自性や飛躍性に大きな特徴を有するのだそうです。一方,躁鬱病圏の科学者というのは,そのような独自性には欠けていても,勤勉で几帳面で良心的で徹底的。このために分裂病型よりも,より持続的な知的生産が約束されているそうです。
繰り返しになりますが,科学者をこういった性質によって分類し,一方を分裂病圏,他方を躁鬱病圏といっているわけです。これは科学者の分類なのですが,もしも哲学者としてのスピノザを分類するならどちらになるのか。スピノザに詳しい方はもうお分かりの筈ですが,分裂病圏に含まれるのです。
休日急患診療所の医師の診断が的外れであったということは,あくまでもその後の結果をみた上でいえることではあるのですが,実はこのことは,その時点で僕自身がうすうす感づいてはいました。ただ,それを曲がりなりにも専門家といえる医師に言うような気力はそのときの僕にはなかったですし,一刻も早く家に帰りたいという気持ちの方がずっと強かったのです。
まず第一に,栄養のあるものを摂取せよということですが,僕はそれはその時点で自分の身体にはマイナスにしかならないだろうと感じました。僕は自分が糖尿病であるということもその時点では知らなければ,そもそも糖尿病というのがどういう病気であるのかということさえ分かってはいなかったのですが,栄養を補給することがプラスにはならないということは,僕自身の身体が答えを出しているように感じました。自分の身体のことは自分が一番よく分かるとはよくいわれることですが,これはあながち嘘ではないのだろうと思います。ただ,分かるということと対処する,対処できるということは別で,僕のように放置すれば,大変な状況に陥ってしまうということです。
もうひとつ,年が明けたら口腔外科に行くようにという助言は,年末年始は病院が休みだからということを踏まえたもの。今年は1月5日が月曜でしたから,その助言を守るならばその日に行くということになりますが,僕はこの助言は守れないだろうなと感じていました。というのは,自分の身体がそんなに保つとは到底思えなかったからです。つまり僕は大晦日の時点で,このままでは年が明けてすぐに死んでしまうだろうと思っていたのです。