スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&受動

2010-04-19 18:59:25 | 将棋
 勢いに乗る甲斐智美女流二段が矢内理絵子女王を一気に土俵際まで追い詰めて迎えた第3期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 甲斐二段の先手で角道を止めての三間飛車。矢内女王は左美濃を選択し持久戦。石田流に組んだ先手から仕掛けました。この仕掛けは機敏で先手が好調に主導権を握る形。ただ後手も決め手を与えない,らしい指し方で双方が1分将棋に突入して混沌とした終盤戦に。
               
 実戦はここから△5二歩▲3四歩△4二銀▲4三歩△同銀▲8一角成△3五歩▲同金△4六飛と進めましたが▲5七角(第2図)の好手を食らい将棋が実質的に終わってしまいました。第1図はまだ先手が簡単に勝てるような局面とは思えませんから,この間の後手の指し方が直接的な敗因となったものと思われます。
               
 3連勝で甲斐新女王が誕生。自身の初タイトルと共に,三段への昇段も手に入れました。内容はいずれも終盤の競り合いを制してのもので,最も力量の差が出るところで競り勝ったわけですから,実力的にはもう追い抜いていると考えてもいいように思います。

 以前にスピノザの哲学における本筋の証明というのはどういうものかということを僕がどう考えているのかということを説明したことがあります。今回の第三部定理九の証明も,僕のその考え方に則ったものとなっています。しかし実際に現在の考察の課題となっていること,すなわち人間が混乱した観念を有する場合,要するに人間の精神の受動の場合にも,人間の精神はそれ自身の存在に固執する,あるいはしているということを示すだけであるなら,たぶん次のような考え方をする方が理解はしやすいだろうと思います。
 再び第三部定理三により,人間の精神に混乱した観念が生じるとき,人間は働きを受けているわけです。したがってその結果として,人間の精神の実在性ないしは完全性が減少したり阻害されたり,あるいは破壊されてしまうということも,現実的には生じ得るわけです。しかしそれは,この人間の精神に対して働きかける何かほかのものの観念あるいは思惟の様態の作用によるものであって,この人間の精神の現実的本性からこのことが生じるというわけではありません。これは端的には第三部定理四から明らかだと思います。
 実際には混乱した観念が生じる場合にも人間の精神は自身の有に固執しているのであって,現実的に有という力,すなわち実在性が減少したり阻害されたりするのは,その力よりも働きかける思惟の様態の力が上回っている,すなわち第四部公理でいわれている意味でその思惟の様態が有力であり強大であるという理由に依拠します。
 したがって,確かに混乱した観念を有する場合には人間の精神の実在性はより小さくなるということが生じ得ますが,このことは第三部定理六とか第三部定理七と齟齬を来すというわけではないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする