南関東もいよいよ三冠レースが開幕。今晩は羽田盃が行われました。
ナンテカが半ば強引にハナを主張しての逃げ。かなり引き離しました。タケノアリュール,ライトラン,ショウリュウ,ウインクゴールドといったあたりの追走。最初の800mは48秒3のハイペース。
後方3番手に位置していたマカニビスティーが向正面からかなり外を回って追い上げ開始。そのままコーナーも大外を回って直線入口では先頭まで並び掛け,すぐに抜け出しました。中団にいたシーズザゴールドは一旦は捲られたのですが,直線に入って馬群がばらけると鋭く伸びて再び並び掛けます。脚色からシーズザゴールドが楽に差し切ると思ったのですが,並ばれるとマカニビスティーもまた頑張って,ほとんど並んだままゴールイン。写真判定となりましたが,優勝はシーズザゴールドでマカニビスティーは2着。シーズザゴールドの後ろからレースを進めたブンブイチドウが離されたものの3着を確保し堅い決着。
優勝したシーズザゴールドは北海道デビューで転入後3連勝で迎えた前走の京浜盃を2着。そのときのレース内容から,ここは2着馬以外とは勝負をつけている感がありました。うまく直線で相手を目標にできた利もあったかと思います。南関東重賞は初制覇。
今日の鞍上はJRAの内田博幸騎手。羽田盃は2005年以来の2勝目。管理している大井の荒山勝徳調教師は羽田盃初制覇です。
マカニビスティーはいくらなんでも競馬が強引すぎた印象。それでこの差ですから能力はあるいはこちらが上かもしれません。いずれにしても3着には大きな差をつけていますから,東京ダービーでもこの2頭が主役を張ることになるでしょう。
これは現状の考察とは少し離れてしまうのですが,ここ一連の受動に関する探究は,スピノザの哲学において,ある事物の実在性すなわち完全性の移行ということをどのように考えるべきであるのかということと関連してくると僕は思います。スピノザの哲学全体の中では,これも非常に重要なことと思いますので,この点について改めてここで僕の考え方を示しておくことにします。
これは人間の身体の場合で考えても人間の精神の場合で考えても同様ですが,ある受動によって結果として人間の実在性が低下ないしは阻害されるなら,この人間は大なる完全性から小なる完全性へと移行したということになります。そして逆に,人間の実在性が増加ないしは促進されるなら,この人間は小なる完全性から大なる完全性へと移行したということになります。これはそれ自体で明らかだといえるでしょう。
しかしこのとき,前者の場合にある人間がより不完全な状態になったとか,後者の場合により完全になったということはできないと僕は考えています。なぜなら,どちらの場合でも,移行した当の人間が自己の有に固執する傾向を有していたということでは同じだからです。
完全であるか不完全であるかということは,この傾向を有しているかいないかという観点からいわれるべきです。したがってより小さな完全性であっても,それがひとつの完全性であるということは間違いなく,これは大なる完全性の場合と同様です。つまり人間が小さな完全性に移行することはその人間が不完全になったということを意味しません。同様に,人間が大なる完全性に移行したとしても,その人間が完全になったということもできないと思います。そもそも完全性というのは,力という観点からみた本性なのであって,本性の異なるものについて,一方を完全とか不完全とかいうことはできないと思うからです。そしてこうした観点から,スピノザの哲学における完全の意味を考えるべきでしょう。
ナンテカが半ば強引にハナを主張しての逃げ。かなり引き離しました。タケノアリュール,ライトラン,ショウリュウ,ウインクゴールドといったあたりの追走。最初の800mは48秒3のハイペース。
後方3番手に位置していたマカニビスティーが向正面からかなり外を回って追い上げ開始。そのままコーナーも大外を回って直線入口では先頭まで並び掛け,すぐに抜け出しました。中団にいたシーズザゴールドは一旦は捲られたのですが,直線に入って馬群がばらけると鋭く伸びて再び並び掛けます。脚色からシーズザゴールドが楽に差し切ると思ったのですが,並ばれるとマカニビスティーもまた頑張って,ほとんど並んだままゴールイン。写真判定となりましたが,優勝はシーズザゴールドでマカニビスティーは2着。シーズザゴールドの後ろからレースを進めたブンブイチドウが離されたものの3着を確保し堅い決着。
優勝したシーズザゴールドは北海道デビューで転入後3連勝で迎えた前走の京浜盃を2着。そのときのレース内容から,ここは2着馬以外とは勝負をつけている感がありました。うまく直線で相手を目標にできた利もあったかと思います。南関東重賞は初制覇。
今日の鞍上はJRAの内田博幸騎手。羽田盃は2005年以来の2勝目。管理している大井の荒山勝徳調教師は羽田盃初制覇です。
マカニビスティーはいくらなんでも競馬が強引すぎた印象。それでこの差ですから能力はあるいはこちらが上かもしれません。いずれにしても3着には大きな差をつけていますから,東京ダービーでもこの2頭が主役を張ることになるでしょう。
これは現状の考察とは少し離れてしまうのですが,ここ一連の受動に関する探究は,スピノザの哲学において,ある事物の実在性すなわち完全性の移行ということをどのように考えるべきであるのかということと関連してくると僕は思います。スピノザの哲学全体の中では,これも非常に重要なことと思いますので,この点について改めてここで僕の考え方を示しておくことにします。
これは人間の身体の場合で考えても人間の精神の場合で考えても同様ですが,ある受動によって結果として人間の実在性が低下ないしは阻害されるなら,この人間は大なる完全性から小なる完全性へと移行したということになります。そして逆に,人間の実在性が増加ないしは促進されるなら,この人間は小なる完全性から大なる完全性へと移行したということになります。これはそれ自体で明らかだといえるでしょう。
しかしこのとき,前者の場合にある人間がより不完全な状態になったとか,後者の場合により完全になったということはできないと僕は考えています。なぜなら,どちらの場合でも,移行した当の人間が自己の有に固執する傾向を有していたということでは同じだからです。
完全であるか不完全であるかということは,この傾向を有しているかいないかという観点からいわれるべきです。したがってより小さな完全性であっても,それがひとつの完全性であるということは間違いなく,これは大なる完全性の場合と同様です。つまり人間が小さな完全性に移行することはその人間が不完全になったということを意味しません。同様に,人間が大なる完全性に移行したとしても,その人間が完全になったということもできないと思います。そもそも完全性というのは,力という観点からみた本性なのであって,本性の異なるものについて,一方を完全とか不完全とかいうことはできないと思うからです。そしてこうした観点から,スピノザの哲学における完全の意味を考えるべきでしょう。