スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京スプリント&尿意の肯定

2010-04-07 21:00:34 | 地方競馬
 大レースの勝ち馬2頭が有力視された東京スプリント
 ケイアイテンジンも逃げたかったのではないかと推測しますが,外から抜群のダッシュでポートジェネラルの逃げ。ヴァンクルタテヤマ,サクラビジェイも前にいき,スーパーヴィグラスとリミットレスビッド。ケイアイテンジンは結局はその後ろで,スーニとほぼ同じ位置。ミリオンディスクがこれをマークしてフジノウェーブはその後ろ。前半の600mは34秒7でハイペース。
 昨年同様にポートジェネラルは快調な逃げ。馬場の内目からこれを追ってきた馬は伸びを欠き,これらの外からスーニとミリオンディスクが並んで追い上げ,さらにその外からフジノウェーブ。この3頭が一気にポートジェネラルを交わして優勝争いを演じましたが,最初に抜け出していたスーニが優勝。追ってきたフジノウェーブが2着でゴール前で脱落したミリオンディスクが3着。
 優勝したスーニは前走の黒船賞に続く勝利で重賞5勝目。この舞台はフジノウェーブが最も得意とするところですからこれを撃破したのは価値があります。短距離馬としての地位を着々と固めているといえるでしょう。
 鞍上は川田将雅騎手で管理しているのは吉田直弘調教師。このレースは実質的にはこれが第2回です。
                  

 尿意というのをここまで厳格に規定すれば,もはや尿意という観念が含んでいる肯定,すなわち意志作用の内容がどのような思惟の様態であるのかということは,解決したも同然といっていいのではないでしょうか。すなわちそれは,自分の身体に対して尿を,あるいは一定以上の量の尿をといった方がより正確かも知れませんが,これを肯定することにほかなりません。このことは,ちょうどペガサスの表象像を肯定する意志が,馬に対して翼を肯定するような思惟の様態であるということと,ほとんど並列的な対応関係にあるといえますので,これ以上の説明は不要でしょう。
 ただし,これはあくまでもある人間の身体の状態というのを,きわめて静的にみた場合にのみいえることです。スピノザの哲学というのはむしろダイナミックなところがありますから,実際に尿意に含まれる意志というのを規定する場合には,これだけでは不十分かもしれません。
 人間の身体に尿が蓄積されていくと,身体は自己保存の法則によりこれを体外に排出しようとします。第二部定理七により,人間の身体の秩序とこの人間の精神の秩序は同一なので,この人間の精神のうちにはこの観念も生じます。さらにいうなら,より多くの尿が溜まってくるにしたがって排出しようとする運動もそれだけ大きくなると考えられ,実際に僕たちは尿意について,それを弱いものとか強いものと感じる場合があると思います。僕はこうした観念も含めて排尿の観念,すなわち尿意と規定しました。しかるに今回のテーマである第二部定理四九系は,個々の観念と個々の意志作用が同一であるといっていて,このことはすでに論理的な観点からは証明されています。したがって尿意の意志作用のうちには,この観念も肯定するようなものが必要なのであって,単に自分の身体に対して一定の量以上の尿を肯定する思惟の様態だけを尿意の意志作用というのは,少なくともこの考察における尿意の規定からは,やはり必ずしも十分であるとはいえないでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする