スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&腰痛

2010-09-03 19:25:22 | 将棋
 第51期王位戦七番勝負第六局の千日手指し直し局。
 先手になった広瀬章人六段は当然といわんばかりに四間飛車穴熊。深浦康市王位は左美濃から銀冠で対抗。後手からの仕掛けに乗じた先手がはっきりとリードを奪って終盤に。しかしそこから後手も決め手を与えないように踏ん張りました。なかんずく第1図から☖4七歩成☗同金に金を取らず☖2五歩と突いて玉の逃げ道を広げるあたり,いかにも深浦王位らしい指し方だと感嘆しました。
                         
 先手はここから龍を使って7四の角を取りにいき,その間に後手も反撃。入玉こそ望めないものの中段に逃げ出す形で寄りにくくなり,逆転しました。
                         
 ここで後手は☖5八飛。先手は☗3八金と取り,☖同飛成☗2九銀☖同龍☗同飛と一直線で第3図。
                         
 こうなると後手は3八に金か銀を打って迫るよりなく,実戦は☖3八銀。しかしこれには☗3五桂と跳ね出す空き王手があり,☖3六玉に☗4五角。☖3五玉にも☗5三角が決め手で,王手を続けているうちに3八の銀を抜ける形となって先手の勝ち。第2図では☖3九同銀成と取る手があり,どうもそこが後手にとっては最後のチャンスだったようです。
 4勝2敗で広瀬章人新王位誕生。同時に七段昇段も決めました。シリーズを通していえば,居飛車を選択した第三局を勝ったのが大きかったのではないかというのが個人的印象。これを勝ったことによって,本人も大きな手応えをつかめたのではないかと想像します。前にも書きましたが,広瀬新王位は前々から期待していた棋士のひとりですので,個人的にも嬉しく思います。
 一方の深浦前王位も応援している棋士のひとり。最近ははっきり不調といっていいような結果が出ていますが,倒れたとしてもそのたびに砂を掴んで立ち上がってきた棋士。必ずやまた復活する日をみせてくれるであろうと思っています。

 この腸ヘルニアの例からも分かりますように,はちょっと体調が悪いというくらいでは医者には行かない人でした。もっとも僕自身も自分のというものをリアルに意識してもなお病院には行かなかったわけですので,この点についてはどうこういうことはできません。少なくとも傍目からみる限りでは,父というのは生命への執着というものはあまり感じられませんでしたので,やはり僕と同じように,死に対する不安ないしは恐怖感というものをあまり感じていなかったのかもしれません。
 話を元に戻しましょう。母と妹がアメリカから帰国したのが4月28日。母は渡米前と帰国後では父の状態は一変していたといっています。確かに渡米前は一緒に夕食を摂っていたのに,帰国後はそれがなくなりましたから,一応はずっと一緒にいて,だんだんと夕食の時間が遅れていくさまを目の当たりにしていた僕よりも,その期間はアメリカにいた母の方が,この父の変化を強烈に意識したかもしれません。
 そしてこの頃から,父は送迎と週末の中央競馬以外は,ほとんど外出しなくなりました。バドミントンの関係で応援を頼まれることはあったようですが,すべて断りました。また中央競馬についても,途中で帰ってきてしまうというようなことはありませんでしたが,きまって出掛けるのは午後からとなり,午前中から行くということはなくなりました。
 さらに,父は新たな身体の異変を訴えるようになりました。腹が張るということのほかに,腰痛を次第に訴えるようになっていったのです。
 もっとも,父が腰痛を訴えるというのは別に珍しいことではなく,僕がまだ子どもだった頃からよくあって,最近はさすがにありませんでしたが,僕も小さい頃にはよく父にマッサージをしていたものです。だからこれについても僕にはそれほどの驚きはありませんでした。ただ,そうした腰痛というのは,要するに一種の筋肉痛のようなものだったのでしょうが,今から考えますと,この頃の腰痛というのにはもっと別の要因があったのだろうと思います。それは端的にいえば,筋肉痛のようなものが外の痛みだとするなら,このときの痛みは中の痛みではなかったのかと思うのです。外の痛みか中の痛みか,僕は経験したことがありませんから想像することしかできませんが,その相違は痛みを感じる当人には分かるのではないかと思うのです。しかしこのときの父は,その差異というのを把握できていなかったのだろうと思います。
コメント
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